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日本軍の捕虜に対する対応について
ある資料で日本軍は海外の捕虜に対して、日本の将兵と同じ量の食事を出していたと見ました。 日本国内で人一人がやっと生きていくどうかというくらいの配給しかなかった中で、 捕虜には十分な食料がいきわたっていたという話でした。 また連合国に捕虜にされた日本人には十分な食料が与えられなかったというのは事実なのでしょうか。 日本兵が捕虜になった国や地域によって状況が違うと思うは思いますが詳しく知りたいと思っています。 日本は国際法上の規約を守って捕虜に対する対応をとっていたのでしょうか。 また連合国軍は日本兵捕虜に対してどのような対応だったのでしょうか。 詳しく教えて頂ければ幸いです。 どうぞ、よろしくお願いたします。
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- mm058114
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日本が捕虜にした連合国将兵に対しては、 戦況の良い、物資が豊富な地方の収容所は、十分に給養されたでしょう。 収容所が持っている物資の、できるだけの事はされたはずです。 在庫が少なくなれば、当然のことながら減食されます。 これは、日本軍と同じシステムです。 個人的に日本軍将兵が、連合国将兵の分を横取りした現場はあったかもしれません。 経理上は、同等に計上されているはずです。 経理を、ちょろまかすことはできません。 食料が不足し、不敏に思った兵が、少しでもと思いゴボウを食べさせたら、後になって木の根を食わされたと、戦犯になった話しは有名です。 戦局が悪くなり、食糧事情や他の支給物の質が落ちると、十分給養ができなかったのは捕虜虐待として、捕虜を扱った者は、みな訴えられています。 洪思翊中将も、この責任で処刑されています。 反対な立場の連合軍の捕虜になった日本軍将兵の事は、あまり知りませんが、 捕虜第1号の酒巻少尉の著書や、カウラ収容所関係の本では、連合国と同様の給養がなされ、返って贅沢に感じた様です。 日本軍ではありませんが、収容所に押し込められた日系人達の最初の頃の待遇は、とても悪かった様です。
- eroero4649
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>日本は国際法上の規約を守って捕虜に対する対応をとっていたのでしょうか。 いろいろ分からなくなっているというのが現実だと思います。戦後に行われた戦犯裁判で、フィリピンやインドネシアなどの日本軍将兵がBC級戦犯として現地で裁かれて、かなりの数が死刑に処されているのです。その多くの名目が「捕虜虐待」ですが、よくよく考えればこれは看守と囚人が逆転することになるわけですから、当然復讐心を伴うものであったでしょうし、ろくに審議も進まないまま死刑の判決が出て処刑されるケースも多かったのでそれが正当な裁判であったかどうかも今となってはもう検証も難しいでしょう。 ただ、貧乏な日本軍が金持ち軍隊であるイギリス軍やアメリカ軍の捕虜を遇すれば、それはお金持ちの感覚からすると虐待されたように感じることは多々あったであろうことは間違いないと思います。例えばもし我々が北朝鮮軍の捕虜になったとしたら、その扱いはひでえと感じることでしょうね。北朝鮮的にはちゃんと取り扱ったつもりでもね。 >また連合国軍は日本兵捕虜に対してどのような対応だったのでしょうか。 アメリカ兵の手記に、「我々は日本兵の捕虜をとろうとはしなかった」と書いてあります。なぜかというと、捕虜になることを禁じられていた日本兵は死ぬまで戦おうとしました。例えば負傷している日本兵に近づくと、彼は隠し持った手榴弾で「死なばもろとも」と目論もうとしますから、そうすると「死んだやつは悪さをすることはない」ということになります。また、その手記によると日本兵は負傷したアメリカ兵を助けようとする兵士も迷わずに撃ってきたそうなんです。それは彼らからすると「戦場の仁義に反する」ということになり、「そういうやつらに手加減をしてやる理由はない」となったのです。 ドラマ「パシフィック」でも描かれていますが、戦場のアメリカ兵では日本兵の金歯を持っていくのが流行っていたそうで、中にはまだ息がある日本兵の口を銃剣で無理やり抜いていくこともあったそうです。 似たような話は欧州戦線でもあり、映画「フューリー」でもドイツ軍のSSの兵士を捕虜にしないで撃ち殺す場面があります。実はSS兵士の捕虜というのは国防軍兵士に比べると極端に少なくて、連合軍兵士がSSの捕虜をとろうとしなかったことが示唆されます。 殺し合いをしている場所で、自分たちを殺そうとする相手を捕まえるのが捕虜なわけですから、若い男たちが気が立っていてその手に銃も握られているわけですから、捕虜なんてなかなかとろうとしなくなるのが「戦場の狂気」というやつでしょうね。だってさ、仲間を殺したやつが目の前にいるんですよ。せめて銃床でそいつの顎を砕いてやらないと気が済まないってのも当然感情として起きると思いますよ。
- 15261526
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日本軍の捕虜の扱いについては、史料が証拠隠滅されているので、文献にはない。捕虜になった人々の証言では、最低限の取り扱いは将校にはあったらしい。下士官は凄まじい扱いだったらしいが、それでも生存者が相応にいるので、酷い という評価は難しいかもしれない。 ただし、局地的には、国際法違反は散見される バターン死の行進は検証資料が多いので、信ぴょう性は高いだろう 根本的に「捕虜になることを恥ずべきものとする風潮」がある日本軍の精神性を考えれば、扱いが良いというのは、信ぴょう性がない。 それでも有力将校を捕虜にした場合には、敵情報取得のために高待遇を実施した可能性は高いだろうし、戦争の情報の重要性の側面からは、必要な情報を得るために捕虜を非常に優遇することは十分想定されうる話 なお、捕虜になった日本兵が十分な食料が得られなかった、という話はないでもない。 もっとも、捕虜になった時点で相当に飢餓状態に陥っているので、まだマシというのが実態だろう ちなみに、日本軍における国際法認識については、文献を見る限りでは、悲惨の一言 あれだけ万国法などと明治維新では持て囃されたが、下士官レベルでは、海洋法の知識が確認できないし、将校レベルでも、公海・無害通行などの知識がないというしかない 戦時中であることを斟酌すれば、仕方ないとは言えるだろうが
日本と欧米では、食糧事情も食文化も違います。 基本的に日本人はベジタリアンに近いですからね。 ある収容所では、ゴボウが出されましたが、それを食べた捕虜は、「木の根を喰わされた」として、激怒したらしい。 本当か嘘かは知らないけれど、終戦時に解放された捕虜の証言で、捕虜収容所の兵士が捕虜虐待の罪で銃殺されたそうな。 >日本は国際法上の規約を守って捕虜に対する対応をとっていたのでしょうか 割とまじめだったと思います。 日本兵と同じ物、同じ量を配給したようです。 >連合国軍は日本兵捕虜に対してどのような対応だったのでしょうか。 ごく普通だったと思います。 捕虜になるという考え方が、欧米と日本では大きく違いますし。 日本では、捕虜になるということは恥とされました。 また、捕虜になると洗脳されてスパイにされるという考えもあったようです。 なので、戦闘中に行方不明になって、ひょっこり帰ってくると、スパイ容疑をかけられることになりました。 なので、捕虜になるぐらいなら死んだ方がマシという考え方になります。 少なくない兵士がこうやって死んでます。 日本軍捕虜は、帰るに帰れないという考えになります。 欧米では、勇敢に戦った者という立場になります。 特にパイロットなどは、仕事場は空であって、航空機を撃たれて脱出したら戦闘は終わり。という考えです。 収容所から脱出できれば脱出を。捕虜交換で解放されればそれでもよし。 本国に帰れば、志願してまた戦場へ。というのが普通です。
- kia1and2
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日本国内では食料不足で配給制でも、外地での日本食以外は、豊富に。 日本軍に捕虜になったもと軍人さんが、死ぬ前に一度日本に行ってお礼を言いたいという人がかなりの数で来日されているので、ちゃんと人間として捕虜を扱っていたと想像できます。 連合軍による日本塀捕虜の扱いは知りません。
- trytobe
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まあ、アメリカの日本人捕虜への待遇は、その当時も今のグアンタナモも同じで、「看守と囚人」のような立場を錯覚して、日本人捕虜に非人道的な攻撃性を向けることはあったようです。ただ、日本人捕虜を日本語という謎の言語の盗聴であったり、情報源として活用する意図で、生かせておくことに価値を見出していた面が強いのです。アメリカの問題点は、どちらかというと、民間人である日系人の排斥運動で、何もないところに収容所を作って灼熱地獄で暮らした、というほうが問題視されています。 さて、日本人は、アメリカ人捕虜に対して、食事に関しては量は出していたのですが、「アメリカ人の口に合う食事や食材は手に入っていない」というだけで、戦後に捕虜は「虐待された」という判断を下しているのです。だって、ゴボウなんて野菜じゃなくて、根っこだと思われてたんです。そりゃ、ベジタリアンでもゴボウを好き好んで食わないし、それも味がしょうゆでは・・・。 そのような、事実認定が「連合国側の主観に基づく」ようにして戦犯の犯罪認定に用いられたのが、極東軍事裁判(東京裁判)で、今こそ、第二次世界大戦の全戦場の連合国・枢軸国を問わない、「個人の犯罪認定」を見直すことで、国家犯罪との分離や冤罪の名誉回復、そして、連合国側による戦後の引き揚げ民間人への暴行・連行・強制労働についても「国際法廷」で責任を問うためにも、事実の保全が重要となり、ご質問のような検証が可能なうちに済ませておこうと頑張っているのです。