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自由の無い
こんばんは。 「選択」に、自由が無かったら。 責任を問うのは「酷」ですよね。 「最低限度の生活を営む権利」 それから、「人権を侵害不可能」 と言うべきですか。 【訊きたいポイント】 「衣食足りて、礼節を知る」は、本当ですか?
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根源的に人は自由である。 社会的義務は、社会に参加するという選択(自由)との 交換条件に過ぎない。 社会的義務が嫌なら、社会に参加しなければいい。 社会に参加しながらなお自由であろうとするのは、 他人の自由とぶつかって社会性を阻害する。 人権も同様。 社会的権利を主張するなら、社会に参加する=社会的 義務との交換条件となる。
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>「選択」に、自由が無かったら。責任を問うのは「酷」ですよね。 日本では余り起こりませんが、「選択」に自由が無いのに(強制されたのに)責任を問われたら、海外では即暴動です。
お礼
ddtddtddt様、ご回答ありがとうございます。 「暴動」というのも、見るたびに「勿体ないことを」と思ってしまいます。 (「機械を壊す運動」ってのは、、、まああれも、長い目で見たら勿体ないのでしょう) やっぱり、私は、経済学(者)は、いまいちに思えます。 「最低限度の生活保障」を、例外無く組み込むべきでは?
- hekiyu
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「選択」に、自由が無かったら。 責任を問うのは「酷」ですよね。 ↑ 何故責任を問えるのか、といえばそれは 選択できたからです。 こっちの道を選ぶべきだったのに、あえて あっちの道を選んだ。 だから責任を問えるのです。 選択の自由がなければ、そもそも責任を問う ことはできません。 「最低限度の生活を営む権利」 それから、「人権を侵害不可能」 と言うべきですか。 ↑ 申し訳ないが意味不明です。 こういう場では、表示された文章でしか判断できないという 表示主義を採らざるを得ないのです。 「衣食足りて、礼節を知る」は、本当ですか? ↑ 現実問題として、そういう事実があるのは確か だと思います。 自分のことで手一杯の人間が、礼節などには 構っていられるか、てことです。 金持ちになれば、他人に優しくなれます。 衣食他って礼節を知るのは当たり前で、誰でも なし得ることです。 衣食足りずも、礼節を知る、こそ価値があると 思います。
お礼
hekiyu様、ご回答ありがとうございます。 >「何故責任を問えるのか、といえばそれは 選択できたからです。 こっちの道を選ぶべきだったのに、あえて あっちの道を選んだ。 だから責任を問えるのです。 選択の自由がなければ、そもそも責任を問う ことはできません。」 昔々、こちらで(hekiyu様ではありませんが)教わったことと 同じ内容のご回答を頂けて、ほっとしました。 >>「「最低限度の生活を営む権利」 それから、「人権を侵害不可能」 と言うべきですか。 >「 ↑ 申し訳ないが意味不明です。 こういう場では、表示された文章でしか判断できないという 表示主義を採らざるを得ないのです。」 なるほど。 「衣食が足りなければ、ある程度の「粗相」は、仕方が無いか?」 というような、趣旨だったのですが。 >>「「衣食足りて、礼節を知る」は、本当ですか? >「 ↑ 現実問題として、そういう事実があるのは確か だと思います。 自分のことで手一杯の人間が、礼節などには 構っていられるか、てことです。」 「手一杯」との表現ですが、 生活保護なら、「最低限度の生活」は保障なわけで。 >「金持ちになれば、他人に優しくなれます。」 ・・・「「なろうかな?」と思った時だけ、気まぐれに」 ということでは、それは「19世紀型」というわけで。 >「衣食他って礼節を知るのは当たり前で、誰でも なし得ることです。 衣食足りずも、礼節を知る、こそ価値があると 思います。」 ああ、なるほど。。。難しいですね。 「自爆テロ」よりは「餓死」を選ぶ、か (「他人を巻き込むな!」というのも、見たりしますが・・・)
- nekosuke16
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難解な質問ですね。 ピントがズレているのかもしれませんが、とりあえず。 「衣食足りて、礼節を知る」 貧困は、心までも貧しくしてしまいます。そういった意味では、衣食足りて、初めて人間としての心のベースが整うのかもしれません。 一方で、格差が拡大を続ける現在の日本では、上層の人々にとっては十二分すぎるほど食は足りています。だから、礼節を知るべき環境は本来ならば整っている筈です。 しかし、現状は違いますね。 「弱きを助け、強きを挫く」と言いますが、それは、あくまで「礼節を知った者」が為せる行動です。 弱肉強食、勝利者こそ正義という現在の日本の中で、弱きを助く風潮は、もはや皆無です。 「衣食足りて、礼節を知る」は、出典、由来は別として、本来日本人が持っていた一つの美しい心の光景でしたが、今はもう過去のもののようですね。 底辺の自由、「最低限度の生活を営む権利」、人権は上層の人たちのとっては、一切無関係のことです。 国の運営者、恵まれた者たちにとっては「底辺などどうでもいい」というのが本音でしょうかね。特に実務者である官僚などにとっては、自らの立身出世が全てですから、さらにどうでもいいことなのではないでしょうか。 現代社会は、「衣食足りて、礼節を知らず」だと思いますよ。 自分を含めて、益々、底辺の人たちにとっては生きづらい時代になりそうですね。
お礼
nekosuke16様、ご回答ありがとうございます。 >「貧困は、心までも貧しくしてしまいます。そういった意味では、衣食足りて、初めて人間としての心のベースが整うのかもしれません。」 聞いた事があるのは、「与えられる一方」という立場の弱さというか、「与える事が出来た(出来る)」というのも、ニーズの一つ、なのかなあ、と。 >「一方で、格差が拡大を続ける現在の日本では、上層の人々にとっては十二分すぎるほど食は足りています。だから、礼節を知るべき環境は本来ならば整っている筈です。 しかし、現状は違いますね。 「弱きを助け、強きを挫く」と言いますが、それは、あくまで「礼節を知った者」が為せる行動です。 弱肉強食、勝利者こそ正義という現在の日本の中で、弱きを助く風潮は、もはや皆無です。 「衣食足りて、礼節を知る」は、出典、由来は別として、本来日本人が持っていた一つの美しい心の光景でしたが、今はもう過去のもののようですね。」 ああ、そうした事情については、 「日本人(他、○○人)だから、〰〰(に、違いない)」というのは、論理的に間違いだそうです。 「〰〰という日本人も、居る」が、正解。 >「本来日本人が持っていた一つの美しい心の光景でしたが、今はもう過去のもののようですね。」 これがまさに、そのような話で。 昔は「日本人とは、何か」と、大真面目に考えられていたようですが? >「弱肉強食、勝利者こそ正義という現在の日本の中で、弱きを助く風潮は、もはや皆無です。」 格差は拡大したのかな、と思うんですが、社会保障は機能しているとも思います。 んー、「弱きを助く」とのことですが、そもそも「他力本願」という発想が強いのでしょうか? >「底辺の自由、「最低限度の生活を営む権利」、人権は上層の人たちのとっては、一切無関係のことです。」 ・・・そうは、いきませんよ。 他者の人権を侵害したり、無視したりしたら、自分の人権をも認めないことになるんです。 >「国の運営者、恵まれた者たちにとっては「底辺などどうでもいい」というのが本音でしょうかね。特に実務者である官僚などにとっては、自らの立身出世が全てですから、さらにどうでもいいことなのではないでしょうか。」 そうでしょうか? >「現代社会は、「衣食足りて、礼節を知らず」だと思いますよ。 自分を含めて、益々、底辺の人たちにとっては生きづらい時代になりそうですね。」 まあ、質問の趣旨としては、 仰る「底辺の人たち」が、礼節を知らなくても仕方が無いか? という方向性だったのですが。
お礼
psytex様、ご回答ありがとうございます。 >「根源的に人は自由である。」 大上段に、ということですね。 >「社会的義務は、社会に参加するという選択(自由)との 交換条件に過ぎない。」 んー、なるほど。 世間では「節税」が流行したり? だから、違和感が生じるのでしょうか。 >「社会的義務が嫌なら、社会に参加しなければいい。 社会に参加しながらなお自由であろうとするのは、 他人の自由とぶつかって社会性を阻害する。」 「その福利は、国民が、これを享受する」 >「人権も同様。 社会的権利を主張するなら、社会に参加する=社会的 義務との交換条件となる。」 まあ、そうですね。 だから、「節税」って言って憚らない方の人権は、どうなりますか。 (「制度を悪用する者には、制度からの保護を、適用せず」)
補足
>>「人権も同様。 社会的権利を主張するなら、社会に参加する=社会的 義務との交換条件となる。」 >まあ、そうですね。 だから、「節税」って言って憚らない方の人権は、どうなりますか。 (「制度を悪用する者には、制度からの保護を、適用せず」)」 あ、そうじゃなくて。 「制度」は、違憲無効ということもあるわけで。 人権侵害が可能なわけでは、ありません。