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江戸時代などの職業としての侍は、 どういう仕事をしていたのですか? 何でお金を稼いでたのですか?

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noname#224207
noname#224207
回答No.5

一般に言うお侍さんではなく「職業としての侍」となりますと非常にややこしい話になります。 身分制度として公家や町人、百姓とは別に武家とされる身分がありました。 この武家の中も士と卒に分けられていました。 更にこの士も上級、下級に分けられていました。 この武家内部の区分が各大名家(藩)で違っていました。 概略のイメージとしては「職業としての侍」というのは、武家内部で区分された上級の士を指すことになります。 時代劇などによく出てくる江戸幕府の場合は、士を俸給(禄高)で区分していました。 一万石以上を大名としていました。 一万石未満から二百石までを旗本と称して、馬に乗ることを認めていました。 二百石未満の人を御家人と称して、馬には乗れませんでした。徒士と言います。 この旗本と御家人の区分の目安の二百石も実は巾がありました。 古くから先祖代々徳川家に仕えていた人の場合には二百石未満でも旗本とされた人もいました。 この人達についてはお目見え以下か以上かという区分がありました。 「職業としての侍」は旗本を含めそれ以上の人達のことです。 主な仕事は幕府内の中級の役割を担っていました。 時代劇によく出てくる町奉行は三千石以上の旗本が任に当たっていました。 町奉行は老中の下に属していました。老中は一万石以上の大名がその任に当たっていました。 町奉行所の与力が二百石程度でしたので、「職業としての侍」の一番下程度だったということです。 与力の下の同心は御家人ですので「職業としての侍」には含まれないことになります。 一般にはお侍さんと呼ばれていました。 旗本になりますと、家臣を雇用することが義務付けられていました。 この家臣の給与も負担していました。 この旗本の家臣は若党と呼ばれ又者と言われていました。 「職業としての侍」ではありませんが、一般にはお侍さんと呼ばれていました。 ここで面倒なのが「侍」という言葉の定義からしますと「主人に仕える人」ですからこの若党も侍だということができます。 このように言葉の定義がおそろしく曖昧なのが江戸時代の特徴です。 蛇足 幕臣は原則として江戸市中に家屋敷が支給されていました。 御家人で200坪程度です。 御家人は俸給が安いので、支給された土地が運よく繁華街の道路に面していれば、その道路に面したところに長屋を建てて貸していました。 本来は禁止されていましたが、誰も文句を言う人はいませんでした。 町奉行所の役人が集結して住んでいた八丁堀界隈は儒者、医者がやたらに多いので八丁堀の七不思議と言われていました。 江戸の街を取り締まる町奉行所の役人が町人に長屋を貸すのはまずいけれども、学者や医者ならいいだろうということです。 運悪く繁華街でない土地の場合は畑を作って、植木や草花を作り町人の問屋に買い取ってもらっていました。 朝顔や桜草は季節の収入になっていました。 現在でも東京で朝顔市があったり、桜草が下町のお宅で好まれるのはこの名残りです。

hakqdnvung
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回答No.6

武士(侍)にも身分がありまして 旗本と呼ばれる比較的身分の高い武士は幕府や主人である大名から給料を貰って食べてました 身分の低い下級武士は大変だったようで それこそ内職で生計を立てたりしていたようです(武士は食わねど高楊枝と言うことわざが生まれたりもしました) 侍の主な仕事 ・寺子屋の先生 ・人斬り屋(今で言う殺し屋) ・用心棒 など

hakqdnvung
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ありがとうございました。

  • hekiyu
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回答No.4

旗本や藩士は、それぞれ幕府や藩の仕事を していました。 今で言う、国家公務員と地方公務員みたいな ものです。 違うのは、仕事をしないで、お金だけもらって いた侍も沢山いたことです。 だから侍、武士というのは職業ではなく、 身分だ、ということです。 それ以外の武士は、浪人といいまして、身分上は 武士ではありません。 内職したりして、お金を稼いでいました。

hakqdnvung
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ありがとうございました。

noname#219804
noname#219804
回答No.3

武士は身分です。職業ではありません。 殿さまに仕えている武士を除けば、いわゆる浪人。自分で仕事を探して生活費を稼いでいました。 手っ取り早いところでは剣術道場で教えたり、あるいは内職や農家の手伝いをして暮らしている武士もいたそうです。

hakqdnvung
質問者

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ありがとうございました。

  • ithi
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回答No.2

hakqdnvung さん、こんばんは。 将軍や大名、旗本などは家禄を持って家臣として抱えていました。高級公家の青侍もしかりです。あとは浪人ですが、商人の用心棒になるか、後は寺子屋のか道場主になるとかですかね。

hakqdnvung
質問者

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ありがとうございました。

回答No.1

 現在の地方公務員と同じだと思います。 江戸では江戸の地方公務員と、各藩に対応する現在で言う国家公務員でしょうか。 もちろん幕府の内部の各種サービスがあるでしょうし。 各藩ももちろん自分の藩を治めるわけなので、県庁と同じでしょう。 一番重要なのは検地とそれに伴う年貢の量を決めることですね。 そして藩に仕えていない浪人以外はお殿様から禄高に応じたお米をもらうということになるのでしょう。浪人は、商人の用心棒ってところでしょうか?

hakqdnvung
質問者

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ありがとうございました。

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