• 締切済み

ネガティブなことを言うか言わないかで

妬ましいとか、憎らしいとか、不満だとか、寂しいだとか、そういったネガティブなことを思ったとしても言わずに我慢する人と、ガンガン口に出す人がいますよね。 例えば寂しさを口に出すとしたら、「なんで俺に構ってくれないんだよ!お前たちは人でなしだ!もう死んでしまえ!」。言うのも聞くのもなかなか恥ずかしいですが、自分の中のネガティブな感情を言葉にし、実際に口に出すとこうなると思います。 でも、「お前のことが気に食わない!」「もっと私に優しくしなさいよ、バカ!」「俺を大事にしないお前のことを許さないからな!」と平気で毎日のように吐き捨てる人もいれば、そんな感情を抱いてもぐっと堪える人もいます。 で、これらの負の感情を実際に口にするか、堪えるか、ということで、精神的にどのような変化をもたらすのかをお聞きしたくて質問させていただきました。 寂しい、あいつが嫌い、許せない…という気持ちになっても、常に口には出さず、我慢しているとストレスが溜まって、精神的によくないのではないかと思いますが、自分の弱い部分、醜い部分を人前でさらすという行為もまた、虚しくプライドが傷つくように思います。 一方、なんでもかんでも口に出してしまうと、スッキリするかもしれませんが、虚しさを倍増させ、一時的に快感に満たされるかもしれませんが、後で苦痛が倍増するのではないか?と思ったのですが、実際のところどうなのでしょう? このような気持ちにならない、ということが、精神にはよいのでしょうけど、いざ抱いてしまったら、この二択の場合どちらのほうが精神的ダメージが大きいのでしょうか?それと、それぞれの行動(感情をそのまま言葉に出すor感情を我慢しておさえる)は、心身にどのような影響をもたらしますか?

みんなの回答

回答No.5

妬ましいとか、憎らしいとか、不満だとか、寂しいだとか、そういったネガティブなことを思ったとしても言わずに我慢する人と、ガンガン口に出す人がいますよね。 「我慢することは良くありません。がんがん口に出すほうが心身に良いでしょう」 例えば寂しさを口に出すとしたら、「なんで俺に構ってくれないんだよ!お前たちは人でなしだ!もう死んでしまえ!」。言うのも聞くのもなかなか恥ずかしいですが、自分の中のネガティブな感情を言葉にし、実際に口に出すとこうなると思います。 「それでいいとおもいます。それから、その口に出したことの自分の心の内の原因を探り、その原因を受け入れる事です。即ち、自分にはそのような心があると言うことを知ることです。そして、その反対側の心も自分にあることを知ることが大事です。後は、どちらが自分にとって心地が良いか、楽しいか選択して、たった一度の人生ですから、自分の人生が楽しくなる方を自分で選ぶようにすれば良いだけです。」 でも、「お前のことが気に食わない!」「もっと私に優しくしなさいよ、バカ!」「俺を大事にしないお前のことを許さないからな!」と平気で毎日のように吐き捨てる人もいれば、そんな感情を抱いてもぐっと堪える人もいます。 で、これらの負の感情を実際に口にするか、堪えるか、ということで、精神的にどのような変化をもたらすのかをお聞きしたくて質問させていただきました。 「自分の心の内を外に出すのは素晴らしいことです。これを誠実と言います。精神的には、口を出さない場合は自閉症状や、思っていることと行動が違うことによるストレス、自分への偽りに対する嫌悪感、それを解決するための防衛機制という自己防衛システムによる逃避など、心身に与える悪影響は多大です。どんどん口に出しましょう。そしてそれを受け容れてくれる素晴らしい人とその時間を過ごしましょう」 寂しい、あいつが嫌い、許せない…という気持ちになっても、常に口には出さず、我慢しているとストレスが溜まって、精神的によくないのではないかと思いますが、自分の弱い部分、醜い部分を人前でさらすという行為もまた、虚しくプライドが傷つくように思います。 一方、なんでもかんでも口に出してしまうと、スッキリするかもしれませんが、虚しさを倍増させ、一時的に快感に満たされるかもしれませんが、後で苦痛が倍増するのではないか?と思ったのですが、実際のところどうなのでしょう? 「すっきりすることは良いことです。カタルシスです。しかし、その次に再創造即ち、リクリエーションすることが大切です。スッキリした真っ白な自分の中から、先ほど言ったように人に腹が立ったり憎む原因を探し、その反対側の自分を内観して探し出し、その自分を選択して、その双方の自分がいることを知り、自由に好きな方を選択すれば良いだけです。全てには陰陽があり、表裏があります。これは、古代中国の思想のタオなどでも説明されています。あなたにも、他の人間と同じく、全て陰と陽の心を持ち合わせています。既に生まれたときから、そのどちらを選択するかは自由であり、逆にその自由に束縛されていると言っても良いほど自由です。好きな自分を再創造して生きていけば良いと思います。そうすれば上ってくる感情や言葉も違ってくるでしょう。無為自然、ありのままに、好き勝手に、自由気ままに人生を歩む方が楽しいに決まっています。その自由気ままが、全ての人の普遍性に近いような自分であれば、全てのものと融和して生きていくことができます。たった一度の人生です。」 このような気持ちにならない、ということが、精神にはよいのでしょうけど、いざ抱いてしまったら、この二択の場合どちらのほうが精神的ダメージが大きいのでしょうか?それと、それぞれの行動(感情をそのまま言葉に出すor感情を我慢しておさえる)は、心身にどのような影響をもたらしますか? 「感情をそのまま言葉に出せば、爽快で健康に活き活きと生きることができ、感情を我慢すればストレスと、抑圧による自閉と、心身は暗く沈み込み、辛い結果が待っています。誠実である前者を行うには、この世の中は規律や道徳、まやかしの倫理観や価値観がはびこっていますが、それも全て受け容れて、素晴らしい自分を中心にして生き抜けば、この世は極楽です。最後にヒントですが、明石家さんまさんの娘の名前は(いまる)です。生きているだけで丸儲けという意味らしいです。素晴らしい名前ですね。それでは。」

  • doraneko66
  • ベストアンサー率11% (535/4742)
回答No.4

精神的にどうこうじゃなく、周りがどう思うかで周りの対応が変わり、その後、自分に返ってくると思います。 誰に言うかによっても返し方が違うから それによっても変わると思います。 言われた人がどういう対応を取るかで その人の感じ方は変ると思います。 ま、大抵の人は、想像つくから下手なことは言わないでしょう。

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.3

「自分だけスッキリして、そのストレスを当てつけられてしまった周囲をスッキリさせない人」 が最低なだけです。 ・誰もいないところ・聞いていないところで、思いっきり大声で悪口でもなんでも叫んでスッキリしてから戻ってきてくれ または、 ・自分の中で、そんなストレスのもとをいつまでも念頭に置いていたらストレスは解決しないから、と、すっかり忘れ去ってくれ と思うのです。関係ない他人に大声でぶつけないで自分で処分してきてよ、という不満でした。

noname#223508
質問者

お礼

お気持ちとてもよく分かります。 自分のことしか考えてないですよね。こういう人のせいで、本当は心がとても清い人だったり、精神的に健康に過ごせていたはずの人の心が荒んで「同類」にしてしまうこともあるし、本当にやめてほしい。 ただ、そうやって他人に不快な思いをさせてまで文句を言ったり、汚い言葉で怒鳴ったりして、その人はストレスがスッキリ解消されるのか?というと、違うような気がしたので、質問させていただきました。 すればするほど、怒りやストレスが増幅したり、「あ~、スッキリした。明日からは笑顔でいよう」なんて気分にはなれてないと思うので、一見「自分ばっかり好き放題なことして、スッキリできていいわね」と思ってしまうけど、実はその人のムカつきはどんなに怒鳴っても少しも解消されていないのでは?だとしたら、なぜそんな不毛なことをしてしまうのか?疑問に思いました。

  • Dr_Hyper
  • ベストアンサー率41% (2483/6032)
回答No.2

私は一切言わない人なので、正直なんでも間でも我慢できずに言ってしまう人の気持ちが分からないのですが、すこし変わった視点からコメントすると。 私も第三者からみれば・・・・ということがあるかもしれないですが、 私は絶対文句は人には言わないし愚痴もいわないし、顔にもださないと いう女性が身近にいるのですが、毎日人の文句を私に延々と言っています。 彼女からすると、不平不満を我慢して耐えて耐えているひとで、なんでもかんでも言う人をみていると、きっとスッキリするんでしょうね。とうらやましそうに言っています。 つまり、自分が文句を言っている自覚が無いわけです。またはこれくらいは心の闇を吐き出すことにくらべれば漏れてきた程度のことと思っているのだと理解します。 そう考えると、自覚が無い場合、結局文句を散々言おうが、好き勝手に思ったことをいってしまおうが、自覚がなければ自分は我慢していると思っているのでは無いでしょうか。 そうすると、今あなたが、例として思っている好き勝手いっているひとのなかの多くは自分は堪え忍んでいると思っている。つまりみんな我慢しているので精神状態はみんな同じ。 という回答です。たしかに今日は洗いざらい話しますね。とかとにかく聞いてくださいと言ってはなしたり、こうゆう場で話を聞いてもらうときは、吐き出すぞ。といって吐き出すのでスッキリしますが、普通の場合意図してなければ、心理的にはがまんしているのと同じなのかもしれないです。 言い方はわるいですが、重度の認知症のひとは苦しまないと言いますが、軽度の場合自分の行動に意識がある場合は苦しみますよね。 脳の仕組みはそのように意識して自覚をしてはじめて心に影響をあたえるのかもしれません。

noname#223508
質問者

お礼

こんにちわ。回答頂きありがとうございます。 なるほど…口に出そうが、出すまいが、心に抱える闇の量は同じ。また、出していない人と思っていても、どこかの場で(必ず:仮定)出している。 私の職場には、文句があると非常識と言ってしまって良いほどに大声で騒ぐ人もいますが、逆にそういった怒鳴り声や愚痴を聞かされたり、無理な仕事を押し付けられたりしてもちっとも愚痴もこぼさず、「いつか心が壊れてしまうのでは…?」と心配になる人もいます。しかし、私はその人の職場におけるある一面だけしか見ていないので、どこかで吐き出している可能性は絶対にありますよね。

回答No.1

Q、ネガティブなことは? A、言わない。 × 負の感情を抱いてもぐっと堪える人もいます。 ○ 負の感情を抱いたら捨てて流して終わる。 >どのような影響をもたらしますか? なんの影響も受けない!

noname#223508
質問者

お礼

そうじゃなくって~~! 心理的にどんな変化が起きるのか興味があったんです…w

noname#223508
質問者

補足

でもご回答ありがとうです。

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