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江戸時代と火球
昨夜は各地で火球が観察されたそうですが、(1)江戸時代(2)江戸時代以前 では、この火球は、どのように受け止められていたのでしょうか?
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彗星という漢字があるようにいわゆるほうき星と呼ばれる流星は古くから知られていました。 江戸時代以前は陰陽道に基づいて天文博士と言う役職が朝廷内に設けられていました。 彗星や日食などが観測されると吉兆を占っていました。 天体観測というよりも占いの対象とされていました。 戦乱などの前兆と考えられていました。 日本書紀にも「じょ明天皇六年秋八月,長き星南方にあらわる.時の人彗星という.」(634年)という記載があります。 陰陽道による占いなどが廃れた江戸時代には暦を作成する必要から天文方と呼ばれる役所がありました。 天体観測をしていました。 星の高度や位置を測定する機器も揃えられていました。 天文台という言葉も生まれ大型の測定器具は浮世絵の題材などにもされていました オランダからも天体観測に必要な知識が輸入されていました。 下記のサイトにもありますように加賀藩なども同様の役所を設けていました 加賀藩での天体観測記録 - 富山市科学博物館 www.tsm.toyama.toyama.jp/tao/aroom/edo/kaga/ka-kiroku.htm 永禄12年(1569年)~文久2年(1862年)の間の詳細な記録が掲載されています。 地震や台風のように実害がないことから比較的冷静に受け止められていました。 葛飾北斎も山岳の横にほうき星を描いた浮世絵を残しています。 むしろ現代人の方が惑星の衝突などという知識がなまじあることからパニックが起きやすいかと思います。
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- あずき なな(@azuki-7)
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回答にあるように 既に知られた存在だったようです キリスト教の概念のように「星はそらにくっついている」なんて考えは持ってませんでしたしね 平家が既に日食や月食を知ってたぐらいですから ある程度天文学知識は当時の日本にもあったと思いますよ
お礼
そうですか。全く何の知識もなく、見ればびっくりするでしょうね。私的には、火球>流れ星>彗星 の順で驚くでしょうね。ありがとうございました。
- 177019
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「火球」というより、今でいう「彗星」の事が鎌倉時代の僧、日蓮の御一生の中に「竜の口の法難」として出て来ます。この法難の発端は、日蓮と祈雨の勝負に惨敗した極楽寺良観が幕府に対して日蓮の讒言(ざんげん)をなした事に始まります。文永8年9月12日、深夜になって平左衛門尉頼綱は日蓮を竜の口の刑場に護送、丑寅の時刻に太刀取りが白刃を抜き、日蓮の上に振りかざした瞬間、突如、江の島方角から発光体が飛来し、太刀取りは目がくらんで倒れ、他の武士たちも恐怖におののいて平れ伏し、逃げ去るという有様でついに刑を執行する事は出来なかった。後に、この「発光体」が「彗星」であった事が証明されています。当時の人々は、天変地異が起こる不吉な前兆として捉えていたようです。なお、日蓮はこの後、佐渡に流罪になりました。
お礼
彗星ですか。それにしても、今でこそ科学的知識が行き渡っているから火球と分かりますが、当時の人はさぞかし驚いたでしょうね。参考になりました。ありがとうございました。
お礼
日本書記に記述があるとは驚きました。やはり、占い的に受け止められていたんでしょうね。確かに、江戸時代になると、オランダから入ってきた情報で、それなりに理解はされていたんでしょうね。参考になりました。ありがとうございました。