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行動的環境と地理的環境について。

はじめまして。レポートを書く上で参考にしたいこと があるので質問させていただきます。 心理学者のコフカ(K.koffka)は行動的環境と地理的 環境を区別して、「人間はそれぞれの行動的環境に 基づいて行動する」と主張したそうですが、 この主張を、皆さんはどう考えるか教えてください。 よろしくお願いします。

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  • ベストアンサー
  • Diogenesis
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回答No.2

詳しい補足ありがとうございます。 どう考えるかと訊かれても 漠然としすぎていて答えに困るのですが, 心理学徒の端くれとして私なりに思うところを書きます。 コフカによる行動的環境と地理的環境の区別は 哲学の歴史の中で形を変えつつ繰り返し問題とされてきた 知覚(あるいは表象)と実在の関係についての ゲシュタルト学派なりの立場表明と受けとめています。 哲学内部における議論はさておき, 20世紀において哲学の外でコフカに先行するものとして ジャーナリストリップマン(Lippmann,W.)のステレオタイプ(stereotype), 動物学者ユクスキュル(von Uexkuell, J.)の環境世界(Umwelt), コフカ以降のものとして 知覚心理学者ギブソン(Gibson,J.J.)のアフォーダンス(affordance), 認知科学者ジョンソン=レアード(Johnson-Laird,P.N.)のメンタルモデル(mental model)などなど, 知覚された世界と客観的実在の世界の関係については さまざまな観点から多様な形での考察がなされてきました。 これらは大まかに言って2つの立場に分かれると思います。 ひとつは知覚された世界を客観的実在の不完全な写しと捉える 偽物-本物図式を踏襲しているもので, ステレオタイプやメンタルモデルはこちらに属するものでしょう。 これに対し 知覚された世界こそが第一義であると考え それ自体には誤りはありえないとする立場が一方にあり, 環境世界や行動的環境はこちらに属するものと考えます。 ナチスの迫害を逃れてアメリカに渡ったコフカと出会い, 彼の私的ゼミナールを舞台とした知的対決の中から自らの理論を構築したギブソン至っては 知覚世界vs実在世界という二元論そのものを乗り越えようとしてます。 このように見てくると コフカの行動的環境は ユクスキュルの環境世界とギブソンのアフォーダンスをつなぐ 重要な概念であると言えるでしょう。 そんなわけで ユクスキュルやギブソンからコフカの思想を見なおすというのも一興です。 入門編的な本をご紹介しますので, 興味がおありなら夏休みの読書リストに加えてみてください。   日高敏隆(著)   『動物と人間の世界認識/イリュージョンなしに世界は見えない』 筑摩書房   佐々木正人(著)   『アフォーダンス/新しい認知の理論』 岩波科学ライブラリー   三嶋博之(著)   『エコロジカル・マインド/知性と環境をつなぐ心理学』 NHKブックス ユクスキュルやギブソン自身の著作に触れたくなったらこちらをどうぞ。   ユクスキュル,クリサート(著),日高敏隆ほか(訳)   『生物から見た世界』 新思索社    ギブソン(著),古崎敬ほか(訳)   『生態学的視覚論/ヒトの知覚世界を探る』 サイエンス社 コフカの『ゲシュタルト心理学の原理』は古典的文献ですが, 大部かつ難解で専門家以外にはお薦めできません。

参考URL:
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0735.html
cheeky-angel
質問者

お礼

ありがとうございます。「私たちはありのままの 世界をみていない」ということになるのではないか、 というのが私の考えでしたが、知覚された世界こそが第 一義であると考えそれ自体には誤りはありえない、 という見方もあったんですね。 しかし、我々が見ている世界はそもそも上下が反対 である、というのなら(私はこれはいまだに 信じられないのですが)、知覚された世界こそが第一 である、という主張は少し説得力がないのかも しれませんね。 たくさんの本を紹介していただき、ありがとうござい ます。夏休みにでも読んでみようと思います。

その他の回答 (2)

  • Diogenesis
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回答No.3

#1,#2です。 気合を入れて書いたので ちゃんと読んでいただけて嬉しいです。 ところで >我々が見ている世界はそもそも上下が反対である これは網膜像のことをおっしゃっているのですね? しかし網膜像自体は知覚像ではありません。 網膜像は物理法則にしたがって逆転しているだけです。 網膜像の光のパターンに応じて網膜上の錐体と桿体という光受容器が反応し, その信号が視神経を介して大脳の第一次視覚野に送られます。 その後,視覚情報はいったん色,形,位置,動きといった要素ごとに 別の場所で処理されたあと再統合され... といった複雑なプロセスを経て初めて知覚像が生成されるというのが一般的理解です。 ところで 不思議というなら網膜像の逆転以外にも 眼球は常に動いているのに世界は安定して見えるとか, 大脳への視覚情報伝達は断続的に行われ 途切れている時間のほうが長いのに世界は連続して見えるとか, 不思議なことはいくらでもあります。 しかしながらこれを不思議と感じるのは われわれがカメラの比喩で視覚を理解し, 知らず知らずのうちに偽物-本物図式に囚われているせいではないか? そう教えてくれるのが ユクスキュル=コフカ=ギブソンの観点ではないでしょうか。

cheeky-angel
質問者

お礼

お早い回答ありがとうございます。 そうなんですか。網膜像と知覚像は違うものだった のですか。 確かに不思議なことがいっぱいありますね。 言われるまでそんなことに疑問を持ったことは ありませんでしたが、よく考えると不思議なこと だらけです。人間の体ってうまくできている ものですね。

  • Diogenesis
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回答No.1

質問の意図がよくわかりません。 コフカの主張に対する一般の人の意見を聞きたいのでしょうか? それなら行動的環境,地理的環境という用語について 解説をつけておくべきでしょう。 そうではなくて コフカの主張に対する心理学の専門家の意見を聞きたいのですか? それとも何か具体例を示してもらいたいというのでしょうか?

cheeky-angel
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 コフカの主張に対する専門家の意見を聞きたいと 思って、投稿しました。 言葉が足りなくてすみません。

cheeky-angel
質問者

補足

このお話に関係する、HPの一部を引用します。 ◆現存する世界と見えている世界とは異なる  雪原を一人の旅人が歩いていて、その旅人の歩く姿を見てその土地の人は非常にあぶなかっしく見ていたという有名な話があります。その旅人が雪が降り積もったところを道だと思って歩いていたのは、実は湖の氷面を歩いていたのです。土地の人にとって危ない湖も、旅人にとってはただ雪の降り積もった道に見えていたわけす。このような物理的な環境と知覚された環境との間にはズレが生じる現象はたくさん起こります。このことを、コフカ(Koffka,K.)は物理的な環境を地理的環境(geographical environment)と呼び、一方後者を行動的環境(behavioral environment)と呼び、二つの環境を識別しています。私たちは自らが知覚した環境、すなわち行動的環境の中で客観的事実と異なっていても何の疑いもなく、それが事実だと思い込み生活を営んでいるのです。いわば、一人ひとり外界の刺激を異なる仕方で知覚しながら、その主観的、行動的世界の中で人々とかかわっているといえるでしょう。  私たちの見ることの特徴には、さまざまなことが知られています。 http://www.nanzan-u.ac.jp/~tsumura/minileture/pdf/hyakubunhaikken.pdf「百聞一見に如かず」ってほんとう? より。

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