• 締切済み

自殺と殺人は方向性が違うだけですか?

こんにちは。 自殺と殺人は心の中の衝動の方向性が違うだけで、紙一重でしょうか。 自殺→自分を責めるため、衝動が内へ向かう? 殺人→他人を責めるため、衝動が外へ向かう? 殺人は酷いことだから自殺とはわけが違うなどというようなことではなく、自殺や殺人をする人の内面について聞きたいです。 回答よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.8

NO.7です。わかりやすくするため、若干補足します。 「殺してやる!」→殺人 「死んでやる!」→自殺 ただしこの場合、抑圧されて意識の上では「私なんか死んでしまえ」に変形していることが多々。

回答No.7

私がカウンセリングを受けた臨床心理士は、「激しい怒りの衝動が自分に向くと自殺。相手に向くと殺人」と言っていました。自殺する人も、相手を殺してやりたいほどの怒りの衝動を持っているのですが、「相手を殺してやりたい」は受け入れがたい感情なので抑圧してしまいます。そしてその抑圧された怒りの衝動を自分に向けてしまうのです。

  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率64% (1056/1648)
回答No.6

心の中の衝動の方向性が自分か他人かという違いは、AかBかの単なる選択ではなく、正反対といって良いような方向性の違いで、紙一重とはいえないと思います。他人を責めるという心の方向性は同じで、手段が違うだけという、たとえば、相手を告発して社会的に抹殺するために自殺するといったような場合であれば、似ているといえるかもしれませんが、それでも、自己の生存本能を抑えて実行せねばならない自殺と、自己の生存が前提となる殺人、実行後の出来事の責任を負う必要がない自殺と、実行後の出来事に責任を負わされる殺人とでは、対象が自分か他人かという単なる選択の違いでは片付けられない、もっと根本的な違いがあるように思われます。 また、殺人にせよ、自殺にせよ、理由はさまざまで、責めるという心の衝動とは無関係な場合も多々あります。

noname#260418
noname#260418
回答No.5

もし質問者さまの親しい人が 自殺したらどう思いますか。 どうしてだろう、何があったのか、 悩んでいたあのことが 原因かずっと考えると思うのです。 殺されたらどう思いますか。 なんで殺したんだ、何をしたんだ、 なんでだとずっと考えるでしょう。 内面を知ることはできそうですか。 他人が想像することは簡単です。 相手に共感できますか。 身近な人がそうなったことを 考えたほうがいいと思いますよ。

noname#260418
noname#260418
回答No.4

殺人や自殺を他人が知ることはできません。 共感できますか。「その気持ち分かる」と 言えるなら人から聞くまでもないです。 連続殺人犯の供述から書かれた マーダーケースブックを読めば 少し分かるかも知れません。

回答No.3

生物として、進化は生きる意志を与えるが、それは 社会性のない、あるいは社会性の発達していない生物 においては、同等な機能を持った同種との生存競争を 意味する(殺し合いは否定されない)。 自然界に自殺する生命は例外的だ。 一方で社会性が発達すると、その組織内では殺す事は 否定され、一方で異なる組織間での生存競争が起きて 戦争となる(戦争での殺人は英雄)。 また、自己の生存より組織のそれが優先するために、 自殺が求められる状況も生じる。

  • 177019
  • ベストアンサー率30% (1039/3444)
回答No.2

回答になっていないかも分かりませんが、人間それぞれに事情がある事はお分かりの事だと思います。私は、仏教徒ですから私の考え方で言うなら、「自殺者」は、「現実からの逃避」であります。人間生きている限り解決出来ない問題はありません。その方法を知らずして、常に生きようとする生命を自らの手で抹殺する事は大罪に値するものだと思います。 「殺人者」は、過去世においては逆に殺された人だと言われています。過去世において殺されたから今世において「殺人者」として生まれて来た。という事だと思います。これを運命・宿命とも言いますが、そのような運命・宿命を正すために私たちは仏教を信じ、修行しているのです。

  • qualheart
  • ベストアンサー率41% (1451/3486)
回答No.1

言葉にすると紙一重のように感じますが、そもそも「方向性」という言葉で片付けてよい違いではないと思います。 「自分を責める」と「他人を責める」は、単なる方向性の違いだけでなく、本質的な性質の違いがあると思います。 「自分を責める」は、根本的には自分に対する失望感から生まれるものだと思います。 それに対して「他人を責める」は、他人に対する憎みから生まれるものだと思います。 自分を責めるとき、ほとんどの場合そこに「憎悪」は存在しないと思われます。しかし、相手を責めるときは、相手に対する「憎悪」が基本的な要素になります。この違いは、単なる「方向性の違い」とは言えないと思います。 また、殺人は衝動性が高いですが、自殺は衝動性が低いという点があると思います。簡単に言えば、瞬間的な衝動で殺人を犯してしまう人はいても、瞬間的な衝動で自殺してしまう人はいないってことです。人が自殺する場合は、何日も何時間もかけて考え、その上で実行することがほとんどで、殺人のように衝動的感情で実行するものではないです。 それだけでも、単なる方向性の違いとは言えないと思います。 ご参考まで。