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死刑になりたいから殺人をする人と自殺希望者の関連性はあるか?
- 日本での最高刑は言うまでもなく、死刑です。
- 自分が死刑になりたくなかったら、他人の命を奪ってはならないという論理が成り立つと思います。
- 死刑になりたいから殺人をする人と自殺希望者の関連性は紙一重かもしれません。
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死刑になりたいから殺人をする人と自殺希望者の間には 関連はないと思いますか? ある、と言う見方の一つに suicide-by-cop 「警官による自殺」(下記)があります。 http://en.wikipedia.org/wiki/Suicide_by_cop 武装した警官に発砲して殺してもらう、という自殺で「拡大自殺」(下記)の一つと見られています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%A1%E5%A4%A7%E8%87%AA%E6%AE%BA
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- myuki1232
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関連があるかないか、で言えばあると思いますが、世の中の大体の物の間には何かしらの関連があるでしょうから、無意味な質問ですね。 > だから、死刑になりたいから殺人をするひとと > 自殺希望者の重なりは小さいと推測されます。” > と言っていますが、私は 紙一重なのではないかと思います。 この2つは逆のことを言っているのではないので、「が」で繋げるのはおかしいです。 「重なりは小さい」と「紙一重」はほとんど同じ意味のように思えます。
お礼
回答ありがとうございます。 >「重なりは小さい」と「紙一重」はほとんど同じ意味のように思えます。 誤解させてしまったようですみません。「重なりは小さい」とは共通点が少ないことです。「紙一重」とは 見かけは大きな違いでも、実はほんの僅かな違いしかないということです。
- jiyouneko961
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犯罪には色々な背景が有ると思います 犯罪を犯してしまい死刑が宣告されて、罪の重さを知り 過ちを悔いて一命を持って償う 死刑の根本ではないかと、思います 自殺についても、色々な背景が有ると思います 健康面、経済的な面、精神的な面等々 コレもある意味自分も命を奪うという犯罪じゃないかと思います ”根底には死んで責任をとる、という文化があります” コレは少し違うのでは無いかなと思います 侍の死の美学、どう生きるかではなく、いかに死するか じゃないかなと思います 罪を犯し責任を取って死を選ぶ、コレは文化では無いでしょう 一命を持って諫言する、正義を貫く、不正をただす、文化と言うのならこちらでしょうね 死刑になりたいから無差別に人を殺す、人間の所業ではない 己の欲望のみ求め、他人に危害を加えるのは人間ではない 一命を持って償うなどの感情も持っていない 自殺志願者とは全く関連が無いと思う 人として死を選ぶ者と、人を捨て刑に服する者とは違うのではないでしょうか
お礼
回答ありがとうございます。 >人として死を選ぶ者と、人を捨て刑に服する者とは違うのではないでしょうか それじゃ、宅間守や加藤智大は どのように説明しますか?
- since2015
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「 命と言うのは個人の持っている最も大事なものであり、善人も悪人もこの価値観を共有するという前提があると思うんです。 だから、誰だって 死ぬのは 一番辛いことで、自分が死刑になりたくなかったら、他人の命を奪ってはならない という論理が成り立つと思います」 ↑ 此処からして 違います もっと 命の尊さが解かるのなら死刑制度自体 いけない事だと知り 死刑制度は無かった筈てす それなのに 実際は 死刑制度なのだから 刑そのものが 違う意味で出来上がった物だという事になります
お礼
回答ありがとうございます。 >もっと 命の尊さが解かるのなら死刑制度自体 いけない事だと知り 死刑制度は無かった筈てす チェスのクイーンを交換するような理屈かもしれません。
お礼
回答ありがとございます。