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自殺・死ぬということは他人を殺すことと同じなの?
- 自殺をすることは他人を殺すことと同じなのか疑問です。
- 死ぬということの意味について考えています。
- 最近はいじめによる自殺が増えており、その問題についても考えています。
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質問者が選んだベストアンサー
「自分という存在を殺す」という意味合いで言えば、それは殺人かもしれません。 しかし「こころとからだ」は同一です。 同じ場所にあります…だからこそ恐い。 死ぬのが恐いことは、自然なことなんですね。 嫌わないでね、じぶんを。 悲しいこと、嫌なことあったけど、それは君のせいじゃないんだからね?。 ご両親が離婚したのは、互いが互いのことを考えた結果。 お互いが選んだ自分の人生なんだ。 みんな、自分の人生を生きてかなきゃいけなくなる。 君の今の時間は、そうなる前の準備段階だ。 準備段階だけど、大事な時間。 だからこそ、出来るだけ楽しいこと、嬉しいことを土台にして欲しいし、積んで欲しいな。 一人ひとりじゃ苦しいから、みんなで支えあっていこう。 友達とたくさん話し合い、遊び合おう。 「死ぬということ」は、確かに大きな命題だし、一生涯抱える疑問だと思う。 この地球上に生まれた人たち…どれだけの人が生まれて死んだかわからないけど、誰もその答えを出していない、ということを見つめて欲しい。 それそれが1つずつ、答えは持っているけど、それはみながみな違うもの。 共通の答えはない。 人間は、みんながみんなそれぞれ違うもの。 だからこそ「学べる」。 学びなさい、あなたが抱えている疑問の答えを。 安直に知ろうとするには、君が抱えている問題は大きい。 それを解決していこうとするなら、たくさんの時間と手間がいるはずだ。 だからそれを「宿題」として、生きていけば良い。 どうすれば答えが得られるかを、求めながら生きていけば良い。 命が大事なのはね「可能性というものを失ってしまうから」だよ。 私は東日本大震災の被災地を去年訪ねたけど、それを痛感した。 もし、津波が来なかったなら、明日も鉄道は動いて、駅には人が行き来して、スタンドで車が給油して…という風景があった「はず」だった。 「戻らないもの」は、絶対に戻らないんだ。 失ったものは二度と会えない。 全てが無になる…それがね「死」というものなんだよ。 だから、不幸でも良いんだ。 悲しくても、苦しくても、泣いてもいいんだよ。 そんな一つ一つの感情が、出来事が「可能性」なんだからね。 大事にしなよ?。 自分が何者だろうが、辛かろうが、苦しかろうが。 「可能性」というのは、何も楽しい事ばかりじゃない。 すべての出来事を「ひっくるめて」それを人生と呼ぶんだ。 …難しかったかな?(汗)。
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当方大学生なので、経験豊富でなくあまり参考に添えられないかとは思いますが、 僕も似たようなことに考えていた時期が有りましたので、回答させていただきます。 ・自殺をするということは他人を殺すことと同じことなんでしょうか。 自殺とは内的な他殺であるということでしょうか。しかし自分と他人は やはり明確に違うと思います。自殺とは、自分に向けられた殺意でしょうか。 僕は違うと考えています。この世に生まれてきたからには、誰しもが幸せを 求めるでしょう。ところが世界に目に見える形で存在する幸福は、 ある程度その量が決まっていると思うのです。 そうなると、幸福は他の人々との争奪戦となり必ず敗者を作り出します。 不幸な人が自殺を選びます。この時彼らは自分を呪っているのでしょうか。 僕は違うと思います。きっと、ついに自分を幸せにしてくれる事の無かった 周りの社会を呪いながら自分に刃を向けるのだと思います。 もう本当にどうしようもなく、自分を殺すのだと思います。 自殺と他殺は違う罪だと思っています。 ・死ぬということはいったいどういうことなのでしょうか。 難しいです。生物学的な活動が止まってしまう、と回答することもできますが 題意はこのようなものでは無いでしょう。 人間は常に生きようとしています。これをリビドーというらしいです。 それに対して、意外ながら人間は常に死のうともしています。ディストルドーという らしいです。両者は常にせめぎあっています。 最近考えたことがあるのですが、このリビドーとディストルドーのせめぎ合いは、 精神的なものである以外に、体の細胞レベルで実際に起こっていることでもあるのでは無いかと。 具体的には、がん細胞の存在です。がん細胞は人体において自動的に発生し、 人体を死に追いやる為のあらゆる活動を行い、免疫系と対立します。 心身の健康が害されていたり、老いがかさんだ時に人はがん細胞に打ち勝ち、 また生きたいという強い思いはがんを治癒させることもあります。 少し話題がそれてしまったでしょうか。。 私の信念を申し上げれば、人は死にたいと思った時に生きながらにして死ぬのです。 心身を外側へ開き、物事に前向きに取り組む事です。あなたの人生が生き生きと輝いている 限り、あなたは死を免れています。
お礼
回答有難うございました。 ちょっと難しかったけれど、私はずっと輝いて生きていたいなぁと思いました。 絶対に自殺はしたくないなと思いました。 生きていれば楽しいこともあるかもわからないので。 大切なお話、ありがとうございました!
そういうことは人に教えてもらうものではありません。 ましてや学校で教えてもらうものでもありません。 自分で見つけ出さなければいけないものです。 中二なら理解出来なくても当然だと思います。 夏休みに病院や老人ホームにボランティアに行ってみてください。 学校の先生にお願いすればいいでしょう。 そこでいろんな人に出会うなら 自殺が他人を殺すことなのか? 死ぬとは何か? きっとわかると思います。 「百聞は一見にしかず」です。
お礼
回答ありがとうございました。 自分で答えを見つけるということはとても難しいことかもしれませんが、最後まで頑張ってみたいと思います。 ありがとうございました!
- hekiyu
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・自殺をするということは他人を殺すことと同じことなんでしょうか。 ↑ 同じ場合があります。 攻撃的な人は、他人を攻撃します。その一環として 殺人があります。 しかし、優しい人などは、他人を攻撃しないで 自分を攻撃したりすることがあります。 その極限に自殺がある訳です。 ・死ぬということはいったいどういうことなのでしょうか。 ↑ 「われ未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや」 (孔子 論語より)
お礼
回答ありがとうございました。 生きているということを理解し体験しないと、死ぬということは分からないんだなぁと思いました。 ありがとうございました!
自殺をするということ・・・ それは、誰にもわかりません。 生きているわたしたちは何とでも言うことができます。 自殺をするひとを身勝手だという意味では、「殺人と一緒」と 言うことが出来ます。 しかし、私たちは自分の意志で自分の人生を生きている。 他人が、「殺人」と非難する資格はないのです。 死ぬということ、 それは、同じく生きている我々には誰にもわかりません。 あれこれ想像することは出来るけど。 生まれた瞬間から、ただ死へと向かっている。 生き物は、みな同じ宿命を背負っていますね。 そういう意味でも、「死ぬ」ことをあれこれ考えるのは骨折り損かもしれない。 死ぬということよりも、「生きる」ということはなにかを 考えてみてはいかがでしょうか? それが、一番難しい課題なのですから。
お礼
回答ありがとうございました。 死ぬということはとても難しい問題なんだなぁと改めて感じました。 生きていくことで何か分かることがあると思います。 何か分かるまで頑張ってみたいと思います。 ありがとうございました!
- mirameria8
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スピリチュアルカウンセラーです。 私もその昔自分が嫌いで仕方なくて、死にたいと思ったことは何度もありました しかし、大切な人が亡くなって生きるとは?死ぬとは?と悩んで、結果今では故人からのメッセージを伝えるセラピストをやっています。 質問への回答です ・自殺をするということは他人を殺すこ とと同じことなんでしょうか。 A・理論的にはそうなります。 私たち人というのは、この地球上に「気づきや学び」のために生まれ、生きています。 魂のレベルでは、生まれる前に、どんな事を学ぼうか、どんな環境に行けば それが学べるのかと検討し決めているのです。 肉体はそのために必要な器で、神様から借りています。 借りた物を壊すのは良くないし、人の物を壊すのはもちろん良くない。 自死はそのニュアンスのことが10000…倍以上(計り知れない位)の物である・・・と思って下さい。 ・死ぬということはいったいどういうことなのでしょうか。 A・「死」=終わり・・・と思われがちですが、決して、決して そうではありません! 死後も世界は続いています。 それは、良くも、悪くもです。 死というのは、肉体が無くなって、純粋な魂だけの状態になって別の次元に移ることです。 自分であかじめ決めた学びや経験を経た段階で、天国と言われる場所に「本当の意味での里帰り」をするのです 病気や事故で亡くなった場合、他殺で亡くなった場合です。 大切な故人からメッセージを受け取ったりすることができるのは、里帰りをした魂にアクセスするというイメージです。 もし、自死をした場合は、生まれる前にきめた学びを得るために再び同じような境遇・出来事に逢うように生まれ変わりをして、目的が達成されるまでやり直さなければなりません。 時間や期間は人の概念では計り知れないくらいです。 解りやすく説明してみようと書いてみたつもりですが、なかなか難しいですね。 あとは、信じるか信じないかにもなりますね。 命はとても大切なものだと教えられるけれども、それがなぜ、どうしてなのか?という説明は難しくて、 その言葉だけが時に一人歩きしていて納得できなかった自分が有りました。 私は自分が大嫌いだったし、所謂黒歴史でしか無いと思ってきて、何のために生きているのかも解らなかったのです。 けれども、時間はかなりかかったけれど、大人になって、やっと友人が出来て、共感してくれる人に出会えて、 そして、大切な故人にも生かされて今がある私です。 あなたにも必ず自分に誇りと自信がもてるようになります。 それがいつ・どんなときかもあなたの中で既に知っていますよ。 どうか、その日を迎えられるように、楽しんで日々を体験できますように。 愛と光を込めて。
お礼
回答ありがとうございました。 人という仕組み、生きるということの仕組みを聞いたら今悩んでいることがちっぽけなものに感じてきました。 こんなどうしようもない自分かもしれないけれど、私のことを大切に思ってくれる人と出会いたいなぁと思いました。 大切なお話、ありがとうございました!
私は、他人を殺すということは相手に「深い憎しみ」があると考えます。 自殺に「憎しみ」があるでしょうか。 社会への怨みや理不尽さが自殺する理由になるかもしれませんが、やはり「生きることに絶望」してしまっている状態です。 あと殺人ならば立件されなければいけません。 死ぬとは、脳幹が機能しなくなることです。
お礼
回答ありがとうございました。 なんか社会の仕組みは難しいなぁと思いました。 ありがとうございました!
- bjork1126
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自殺は他人を殺すこと? 自殺した本人は他人を殺していませんが、自殺の理由がいじめだったら、いじめた人が他人(自殺者)を殺したことになります。 死ぬということはどういうこと? こっちが聞きたいですね。十人十色で正解は無いと思います。 私は考える死ぬということは、自然のサイクルの一部だと思っています。 何かが活動していて、それが活動しなくなったことを勝手に人が「死」と名ずけているだけ。 サイクルの中で死ぬという段階があっただけだと思います。
お礼
回答ありがとうございました。 1人1人やっぱり違うものなんだなぁと思いました。 ありがとうございました!
お礼
回答ありがとうございました。 ちょっと難しかったけど今のこの辛いこと、苦しいこと、それぞれが大事なんだなぁと感じました。 私の人生が終わるまで何があるか分からないので、すべて楽しんで生きていこうかなと思います。 ありがとうございました!