- 締切済み
「善悪の彼岸」(ニーチェ著)について質問です。
序言 『幾千年に及ぶキリスト教的・教会的な圧迫に対する戦いは―キリスト教は「大衆」向きのプラトーン主義だから―、ヨーロッパにおいて、かつて地上に現存しなかったような華麗な精神の緊張を創りだした。≪中略≫この弓の張りを弛めようとする試みがすでに二度も大規模に行われた。一度目はジェズイット主義によって、二度目は民主主義的啓蒙によって。』 にある大規模な試みの二つ目の民主主義的啓蒙はフランス革命などの時期を示しているんでしょうか? 一つ目については勉強不足で全く見当がつきません。どなたか教えてください、宜しくお願いします。 手元にあるのは岩波文庫のものです
みんなの回答
- koosaka
- ベストアンサー率43% (78/179)
私の持っている「善悪の彼岸」は新潮社・竹山道雄・訳と光文社古典文庫・中山元・訳です。 当該箇所は中山元は以下のように訳しています、 「千年を超えるキリスト教と教会からの圧力との闘いはーというのは、キリスト教は通俗的なプラトン哲学だからだーヨーロッパにかつて地上に見られなかったほど、めざましい精神の緊張をもたらしたのだ。これほどの力で引き絞った弓であれば、どんな的でも射ることができるほどだ……そしてすでに2度までこの弓の緊張を緩める偉大な試みが行われている。最初はイエズス会の試みであり、2回目は民主的な啓蒙の試みだった」 まず、ニーチェは古代ギリシャのプラトンの「イデア論」が、天に「イデア界」という超越的世界があり、それがホンモノの世界で、真の実在であり、地上の私たちの住む感性的世界はニセモノの世界であり、仮象の世界である、と言って、天と地の価値観を転倒した哲学者だということ、これを古代から「形而上学」と呼んできましたが、このプラトンの「イデア」を中世キリスト教世界は「神」に言い換え、神学を形成したということです。「通俗的なプラトン主義」それがキリスト教。ニーチェはそれをすべてひっくり返そうとしました。 しかし、ニーチェがそれをする前に、2度に渡って、それをやろうと試みたことがある、と言っています。 1度目はイエズス会のジュスイット派によって、2度目は18世紀の啓蒙主義とその延長で、その帰結としてのフランス革命と、新聞の発行などによって。 それまで学問というのは、修道院の修道士によって行なわれ、ラテン語を読めない一般の人は一方的に神父の言うことを信じるしかなかったけど、16世紀以降、各国の口語、ドイツ語・イタリア語・フランス語・スペイン語などが出来て、聖書が口語によって、あるいはこれをラテン語が「聖なる言語」とすれば、口語は「俗なる言語」ですが、俗語で聖書が読めるようになって、キリスト教のいう天に神が存在し、その神が人間を創った、ということに懐疑を抱くようになった、ということがあります。その結果、ルターの宗教改革が起き、聖書だけを権威としてバチカンのいうことに反対し始めました。その宗教改革に対する、反・宗教改革を唱えたのが、イエズス会のロヨラとか、ジュスイット派やヤンセン派、カルヴァン派の、パスカル、モリーナ、カルヴァンなどの人たち。それまでのプラトニズムでキリスト教を正当化するわけにいかなくなったので、一般の人たちが聖書を読めるようになったことを背景として、それを前提にカトリックの神学を作り直さねばならなくなりました。それが1度目のプラトニズムの危機。 2度目は、何と言っても、新聞の発行ですね。みんなが新聞を読めるようになって、神なんていないと思い始めた、ということ。 ニーチェは19世紀末に「神は死んだ」といいましたが、新聞を読んでいる一般の民衆からしたら、今更そんなことを言っても、そんなことは分かり切ったことと思ったのではないでしょうか。 たぶん、そんなことだろうと思います。