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エゴイズム,自己中,そして利己主義。

エゴイズム,自己中,そして利己主義。 これらは同じことでしょうか? 意味が違いますか? どう使い分けされておられますか?

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noname#211437
noname#211437
回答No.2

No.1です。お礼ありがとうございます。 補足質問に対しての再回答です。 >一番広義のものをエゴイズムとして、そのエゴイズムというものを >自我という意識だと混同する人いないわけではないですね。 確かに混同している部分もあると思いますが、 各個人におけるパーソナルという面においては、 個別に差違なども含まれる可能性もあるのではないでしょうか。 >自己中心ということについても、狭さや開いた広さという尺度での >価値判断がなしうると思うんです。 しかし、その価値判断も主観的によるものか、客観的によるものかの 判別や区別が付かない可能性も出てくることも視野に入れておくと 良いのではないでしょうか。 >自己中心っていうかどうか分かりませんが、 >個体的存在としての人間においては開明していて >広い意識になっている人でもやはり自己中心って避けられないですよね。 >どうでしょうか? 無意識において自己中心になっている部分もあるということでしょうか。 その広い意識なるものにおいて、自己中心的な考えや思想なるものを 自ら悟ることも大事であり、賢明な考え方だと思います。 >自己を超えた自己中心って、個体存在としての人間にありうると思われますか。 自我を超越した自己中心的な個体存在の人間というのは 存在していてもおかしくはないと思います。 適切な回答になっているかどうか解りませんが、 以上であります。

krya1998
質問者

お礼

再度の、ご親切なご解答に感謝します。

krya1998
質問者

補足

個体存在といっても、意識している自己というものはどこまで深く内省しているかですよね。 どこに自己を置いているか。

その他の回答 (2)

回答No.3

利己主義=利益を自己に誘導する目的であっても、 社会の分業化が充分発達しており、その長期的波及効果を 把握できるだけの認識の発達(あるいはそれを支える制度) があれば、利己的な過程に社会全体の順調な運営=利他が 介在し、利己と利他は一致するようになる。 そうした認識の深まりの伴わない短絡的利己は、社会的に 有害(違法・合法を問わず)な自己チューな迷惑となる。 エゴイズムは、原義としては自我意識を強く押し出す事で あり、分業化の発達において先述の「短絡的利己」を押さ える手段として、認識の深まりを省略して法規やモラルと いった他律的権威によって社会性を強制するようになり、 エゴイズムを排除するようになった。

krya1998
質問者

お礼

たいへん参考になるご知見をありがとうございました。 今後ともよろしくお願いいたします。

krya1998
質問者

補足

利己的な過程に社会全体の順調な運営=利他が 介在し、利己と利他は一致するようになる。 この分析と知見は確かにそうだと存じます。

noname#211437
noname#211437
回答No.1

>エゴイズム,自己中,そして利己主義。 >これらは同じことでしょうか? 広範囲のものから順番に並べると、 エゴイズム ⇒ 利己主義 ⇒ 自己中心 となりますかね。 その広範囲なものから順番に内包されているものであって、 個別ではないということも付け加えておきます。 つまり、エゴイズムの中に利己主義が含まれていて、 更に、利己主義の中に自己中心が含まれていると思います。 >意味が違いますか? エゴイズム 利己主義の核となる考え方であって、 このエゴイズムから、各種多様に利己主義が 派生しているものと考えられると思います。 利己主義 おそらく、この利己主義という言葉が、 日本における、エゴイズムの基となる 考え方だと思いますが、 ごく一部のエゴイズムの思想だと思います。 自己中心 エゴイズム、利己主義から、 更に詳細に派生された言葉であり、 これが、各個人のパーソナルに なると思います。 >どう使い分けされておられますか? エゴイズムは別として、 利己主義は主観的な見方になると思いますが、 自己中心は客観的な見方になるのではないでしょうか。

krya1998
質問者

お礼

ありがとうございました。 大変思索的なご解答ありがとうございました。 いわゆる一番広いエゴイズムを自我という意識だと混同する人いないわけではないですね。 自己中心ということについても、狭さや開いた広さという尺度での価値判断がなしうると思うんです。そんなことからの質問でした。

krya1998
質問者

補足

一番広義のものをエゴイズムとして、そのエゴイズムというものを自我という意識だと混同する人いないわけではないですね。 自己中心ということについても、狭さや開いた広さという尺度での価値判断がなしうると思うんです。 自己中心っていうかどうか分かりませんが、個体的存在としての人間においては開明していて広い意識になっている人でもやはり自己中心って避けられないですよね。どうでしょうか? 自己を超えた自己中心って、個体存在としての人間にありうると思われますか。

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