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競争化社会と利己主義

競争化社会は、利己主義を助長しますか? 競争化社会は、利己主義を正当化してしまうのでしょうか? 競争化社会は、隠して追行する利己主義を正当化するためなのでしょうか? 正当化された様に見せかけようとしている隠れた利己主義は人を人間とみなさず密かにも利用できる物と認識しますが、人間の心の乖離や人格の落ちぶれに主義追行者はあたかも気が付かない振りをします。しかしそれは、ばればれです。 競争化社会は、利己主義に繋がりますか? もしそのような傾向を助長しているとしたら、日常をどう思われますか? 当てはまらないというご意見も出よう事と思います。 しかし、それは、自己自我を守るためというような狭義さからの発露であっては決してなりません。 なぜなら、社会に多く問題を発生させているのですから。 質問を逆にした方がよりわかりやすいのかもしれません。 利己主義は、競争化社会を作りますか? 利己主義は、競争化社会を作ると達成しやすいですか? 利己主義は、競争化社会であった方が、やりやすいですか? もしそうなら、それに感化される者、全ての人は、その小さな悪価値によって心半ば卑下に足枷られるのですか?枷られた者は、競争強者の利己主義の餌食ですか? 競争化社会は、餌食創出に都合が良いという訳なのですか? そういう意味で、足枷風潮右にお上に倣えに意見も持たず迎合しているとしたら、気付きの後、どう思いますか? どんな意見を持ちますか?これからの自身をどう推し進めていこうと思いますか?そして、どんな新しい自分を創出し、何を選択し、どんな価値を持ち、何をしますか? 暇なときに回答ください。

みんなの回答

noname#91323
noname#91323
回答No.5

企業利益だけを追求してもかまわないように、企業が政治に資金を投入しさらなる利益を生むようになってしまうでしょうね 米国などはさらに一歩進んでいて、楽をしすぎた化け物企業が自ら崩壊してしまう状況もあります(実際は国民の税金でたすかりますからおいしい話です) 残ったのは巨大企業と大金持ちと貧困になります 日本の場合、企業(利益目的団体)の暴走をコントロールしてくれる大政党ができれば何とかなりますが・・・さて?

mixture007
質問者

お礼

ありがとうございます。 >残ったのは巨大企業と大金持ちと貧困 明らかに資本主義・競争化社会の間違いの点ですね。 色々な主義は歴史的にも世界的にも試みられてきました。 失敗も多々ありました。 しかしそうするとどう失敗するかは学べました。 ですので、この日本の主義も間違っている部分は無いと言ったら全くの大嘘吐きになります。 そんなに簡単に正解を引き当てるはずがないのです。 問題点を解決でき、問題を出さない策や、主義を、創出、繰り込むことが必要と思います。 でなかったら、この国は進歩なんてしないと思います。 都合が良くて、衣食住に自分さえ満足する為に精一杯努力していれば、他は全て無視して、利用できる人は存分利用して生きましょうなんて、人間の親が子供に教えることじゃないですよ。 このままこの国がこの点について怠慢だと、この国はコントロールできる能力の範囲を超えて崩壊すると思います。

noname#100496
noname#100496
回答No.4

競争社会は、脳が刺激されて活動が活発です。その影響で自我が強くなり、利己的になります。だから原因は脳の発達です。対策は脳を休ませる事です。しかし現代社会は、脳を刺激する仕組みになっていて、どうにもなりません。昔の社会は、脳を休ませる仕組みになっていました。たとえば何かの作業をする時、昔は手作業だから手作業の間、手に意識が向いて、脳が休みます。今は機械だから脳が休みません。移動も車だと脳が休みません。歩いて行くと、歩いてる間、足に気持ちが向いて、脳が休みます。つまり日本的に言えば、社会生活から間すなわち、頭の休む時間が、無くなったという事です。競争などはとくに24時間、脳が休まないのでは、気になってリラックス出来ないです。脳が思考してる時は、脳が自然の情緒を遮断するからストレスになります。脳が休んで、脳波がアルファ波になると、人の心が自然の情緒と交流するので、心が癒されます。日本の伝統文化は、自然の情緒、心の癒しを追求しています。西洋文化の自己表現とは違います。脳と自然は対立しています。だから脳の論理的思考の科学が、自然を破壊しました。大宇宙では脳は不完全、不調和な存在です。だから中国の老子は、脳の思考による人知を否定し、無知をすすめています。仏教の釈迦の教えは、脳を自我を否定し、脳を休めて無我になれば、人は救われると教えています。禅の座禅などです。

mixture007
質問者

お礼

ありがとうございます。 >対策は脳を休ませる事です。しかし現代社会は、脳を刺激する仕組みになっていて、どうにもなりません 互いに方向性が両立できない、対称的である方向の必要性が問題なのですね。 >頭の休む時間が、無くなったという事 たしかに、使うことを強要されているような有様です。乗っ取りすら感じます。 >自然の情緒を遮断するからストレスになります なるほど。ある意味知ってはいるが社会的な風潮からの恐怖により無視を強要されているようなものですな。 >日本の伝統文化は、自然の情緒、心の癒しを追求しています。西洋文化の自己表現とは違います。 観点を紹介くださいました。 >老子は、脳の思考による人知を否定し、無知をすすめ >釈迦の教えは、脳を自我を否定し、脳を休めて無我になれば、人は救われる おもいをめぐらせてみたいです。

noname#101110
noname#101110
回答No.3

人間は誰でもまず自分を大事にする本能があり、周囲の者よりも良くありたいと願うものです。これを利己心といってもいいですが、本来そのために人間が絶滅せず生きながらえてきた生命力の根幹なのです。それを下手に抑えると様々な弊害が出ます。自由社会は皆が伸び伸びと思う様生きる、生きられる理想社会なのです。つまり利己主義と競争社会は自由社会という車の両輪なのです。 が、そこではお互いの競争は必然的に熾烈になります。それをうまく利用して社会を活性化させようというのがアメリカの経済政策だったのですね。今度うまくいかなかったのは人間が自由に競争すると勝ち組負け組に分かれて断絶が発生するということ、それと自由ゆえにモラルを無視して勝つことだけにに邁進するものが現れた結果、社会の秩序がこわれるということが起こったわけですね。 勝ち組をある程度抑えて負け組みを助けるルールを作り、多少活性化を削いでも社会がうまく運行できるようにシステムを再設計しなければなりません。そして社会の底辺を形成する負け組ホームレス達に本来の生命力を植えつけるための施策を考えねばなりません。私達がやることはやまほどあります。そして、近未来でそういったことがうまくいくなら競争社会は成功したといえるでしょう。

mixture007
質問者

お礼

ありがとうございます。 >自分を大事にする本能があり、周囲の者よりも良くありたいと願う どういった点で良くあるとするのでしょうか? >利己主義と競争社会は自由社会という車 全ての人が望む所なのでしょうか? >秩序がこわれるということが起こった そうなんですよ。 敷かれた法にのっとって、良心にもすら自ら背ける能力を持ったある意味箍が外れた精神の乗り物が暴走しています。 >勝ち組をある程度抑えて負け組みを助けるルールを作り、多少活性化を削いでも社会がうまく運行できるようにシステムを再設計しなければなりません。そして社会の底辺を形成する負け組ホームレス達に本来の生命力を植えつけるための施策を考えねばなりません。私達がやることはやまほどあります。そして、近未来でそういったことがうまくいくなら競争社会は成功したといえるでしょう。 そうですね。 大半同感できます。 競争化社会の悪を自分自身の中に知覚できる能が必要と思います。 できなければ、あらゆるものは分裂し、無視の対象範囲は増え、差別化は進み、過去にあったように人間の存在を分けてしまう名前や区分まで登場してしまう有様です。 野放しはもうやはり間違っています。 でもそのほうが都合が良いからという人は、もう逸脱していて人間の心に居ない事を悟るべきとおもいます。実際は薄々は感じてはいるでしょうが。生活と安心を崩せないから他者を崩す方が楽安心なのです。故障した人間の心がこの世には存在しています。

  • v008
  • ベストアンサー率27% (306/1103)
回答No.2

競争にさらされると利己主義は正当化されます。当然の権利があります。 当然に守られるべき権利を確認してください。それは人間であれば当然持ち合わせているのです。 今 家督制度に戻ったらどうしますか?  徴兵制度があり、明日から念願の仕事に就けると思ったら、徴兵されたらどう思いますか?韓国も スイスも 外国の人は当然ですとかいわれると従うんでしょうね。       まんまと裁判員としての徴用は実現してしまいましたよ。 兵隊ではなく、老人介護の徴用制度だってありえるのは分かっているのだろうか? 断るのは利己主義ですか? 仕事のない人には すでにそういうバッシングを政府も議会もやっていますね。 嫌がる人を押さえるのには、利己主義であることをいさめる方法が一番良いでしょうね。 権利の主張をさせない事を徹底してやった時代がこの日本でありました。

mixture007
質問者

お礼

>競争にさらされると利己主義は正当化されます こういった回答がなされるだろうと半ば予期しておりました。 こういった社会は、ますます助長されていくのでしょうな。 その先の未来が、どのように予期、目に映りますか? 利己の裏には、他者の家畜化や、名を変えた実質植民化が横行します。 多くの人の人間性や尊厳は、死なない直前のぎりぎりまで切り裂かれます。 権利の裏にこのような実際があることはどう思われますか? こういった現実が、人間の真実でしょうか?

  • 4295624
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回答No.1

こんばんは、答えになってませんがお願いします。  競争は良いと思います。例えば、スポーツや良い成績を挙げようと切磋琢磨する事です。協調性、向上心、正義感等が育まれます。  上記の様に、真っ直ぐに努力する事も有ります、一方真っ直ぐに努力しないで、嘘偽りを行って他人の利益を貪る事も有ります。  前者が利他的であり、後者が利己的です。 

mixture007
質問者

お礼

ありがとうございます >競争は良いと思います。例えば、スポーツや良い成績を挙げようと切磋琢磨する事です。協調性、向上心、正義感等が育まれます 勝つ人ができるのは負ける人もいるからではないですか? 勝つ人は、それを十分知っています 相対比だと思いませんか? 相対的に人を分類してしまい、少数派だけが生き残り、確かではないが切符を手に入れそれゆえに更にその都合を利用し、都合よく環境を整え。 生活が安定している時代は良いのですが、安易に解決できない難問が身に及んだ時、生き残るであろう者はその実権を、あぶれた人に対し衣服を扱うかのように利用しつつ、目的は最終的に最後の砦の自分の身を少しでも先まで守ろうとします まあ、相互に利用していることは間違い無いでしょう そういった面では、本来の純粋な利他とは到底いえません 証拠に、命の関わる場面となると、それまで利他施者と呼ばれた者の多くがどういった選択や、策略をしているか見て御覧なさい >前者が利他的であり、後者が利己的です 以上のことから、利他的は、利己を満足しての利他であり、利他のみは望めとも望もうともいえません、まず利己ありき、利己に繋げられる手立てとして利他ありきでしょう 後者利己は、やはり、技術力が無かったり、勉強不足であったり、産業の高度化であったり、その方に施される教育環境の質の懸念(貧困など)であったり、そうこうしているうちに大人になってしまう。利他に繋げられる人が目標ならそれは昔より難民多きでしょう ですので、平均化した視点から見ますと、皆利己なのです。 競争化で頭出た人でも、切羽詰った場合それをどう利用するかといったら、紛れもなく自分のために利用するでしょう。自分で獲得したものですから。 しかし、その人たちは、保身の為に、切磋琢磨で身につけた結果が、結果として他者を密かに家畜化できることを同じく密かに知っている方が大半です それにより、自身の生活の向上を加速させられることも十二分に知っていて、密かな目的にもなっていること間違いありません 切磋琢磨した人が、難問にぶつかった時、自分を含め人の命に及ぶ時、どういった選択を取るか? 今の世。その答えは簡単です 多くの人から本当に納得のある理解を得られる選択を選べる人は発生するのでしょうか? どんぐり以上の智慧に到達できない限り皆利己足踏みでしょう。

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