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利己主義と利他主義
利己主義と利他主義の定義はそれぞれ何でしょうか?また、利己主義の反意語を利他主義だと安易に考えて良いのでしょうか?
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最近は、「利己主義」と「自己中心主義(自己チュー)」を混同 しがちです。 「利己(自己の利を優先する)」と「利他(周りの利を優先する)」 が相反する概念であるためには、その「利己」と「利他」が対立 するものである必要があります。 現在のように、分業による組織化が発達すると、かつてアメーバ のように単細胞で生きていた生物が、我々のように個体として 活動するように、組織の単位にとっての利己と利他は、全体の 最善の活動へと統合されます。 たとえば、細胞レベルの「利己主義」であるガン細胞が、自らの 死滅に結果するのと同様に、短絡的利己は真の利己ではなく なるのです。 つまり、「利己主義」が成立する(反意語である)ためには; 1.組織性が未発達である。 か、 2.組織性が発達していても、その自覚が未熟であり、その 不完全な個体の拘束(規則)や淘汰(貨幣制による競争)に よって、組織性が保たれている。 かの、いずれかの場合によります。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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謹んで新年を寿ぎます coco1389 さん、あなた様以外の皆様のお目にもとまることですので、誤解があるといけませんから一応付言させていただきます、ANo.2です。 法哲学(解釈法学や法思想関係も含む)とか社会思想関係では、個人主義っていうのは individualismという語が宛てられていますね。 相対関係における個人の価値の究極性をいうイズムですね。これは別言すれば個別存在主義、区画区分イズムですね。 普通selfishを個人主義とは言わず、自己主義とでもいうのでしょうか。利己主義というのとは少し違うのですが。 自己主義はどんな存在も根底にありますよね。一般や全存在の個別化たる自己性に立脚しない個別存在はありませんからね。 私たちSelf-Realization Fellowshipというヒンドゥ思想では、大文字が使われ、Tatの創造界の反射といわれています。 これは見え方は個人の聖なる魂ですが、実体は大きな魂、Selfだということになっています。 かの次郎物語の、下村湖人先生の『大いなる道というもの世にありと思うこころは未だも消えず』の道はいうなればこのSelfであり、selfに通じるもので、世にいうselfishという派生語とは異なるのではないかと存じて、先の投稿では個人主義のことばに宛ててみました。 普通の使い方と齟齬するなら、混乱を生じますから敢えてここにお断りを致します。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E5%B7%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9 に概略とたの-ismとの異同などの関係がありますね。 slfishとはちがうのですね。つまりegoism。 利他主義については、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E4%BB%96%E4%B8%BB%E7%BE%A9とありますね。 “利する”ということを、どの程度の人間的・人生的経験と思索、そして深さで生きる選択をしているかの違いでしょうね。 無論“己”というものの捉えかた、その範囲、そして捉える位相の問題ですよね。 “己”と“他”をどう考えるかですね。 そういう意味ではエゴイズムはともかく、セルフのない“他”や“利他”主義ってないですよね。 だから“slf”や“slfish”っていうのを日本語でなんというか。個人や個人主義とでもいうのでしょうか。 “slf”を仮に自己性というとすれば、主体性のない或いは、自己で決定したら考えたりするこが外的条件や自己の能力ないしは欠陥からできない人もいるでしょうね。 不十分な人。まぁほとんどの人ですが。 極度に自己性を高めた、広大で深い人は、やはりどんなときも自己性では無論ego性では、物事を考えたり、決定する事はないでしょう。前者とは両極に位置するでしょう。 愚か者も自己性では考えたり決定することができませんからね。 人の所有物品と同じ奴隷身分であれば同じ事を強制されますしね。 心身の欠陥(障害)から自己性を持てない人もいるかも知れませんね。
- ふじ-さん おたま-さん(@OtamaFJWR)
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社会の定義は「助け合うために集まったもの」です。 その社会の中で「成熟した社会」では明文化された法律がなくても犯罪は起こらない。 その理由は、反社会的行動を起こせば、自分自身も住みずらい社会になるから。 要するに「成熟した社会」では、他を利すること=己を利すること、に通じる。 よって、利己は利他を包含する、といえる。 ただし、それは真に自己中心的な人々が社会を形成する場合のみ(強欲な主義)、において、であり、 短絡的で即物的な自己チューな人々が集まった「未成熟の社会」では、 利己主義=他人との争い=他人が敵、であり、社会全体の幸福を下げる「無欲な主義」といえる。 こうした関係性を把握すると「社会の成熟度」いかんにより、言葉の上の「主義」が、 大した意味を持っていない空虚な言葉であることが解る。