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利己主義は高貴か?ひとはどこまで阿呆になれるか
- 利己主義は高貴な魂の本質に属すると言われる。
- 高貴な魂は自己制限を持ち、他との交渉において繊細さを示す。
- 利己主義の中には他者への利益を図る行為も含まれる。
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人類は集団で生きているが、縄張りを持っているのです。この二面性が人類発展の秘訣です。この二面性が人類社会の複雑さにつながります。縄張りばかり主張して外敵に対して集団で対処しなければ滅んでしまいます。一方で集団が争いに負けてちりちりバラバラになっても縄張りによって家族が生き延びられたのです。 利己主義だけで人が生きられるものではないことは明らかです。自分が否定しても社会からの恩恵を自然に受けているのです。それぞれの人によってその重みの比率が違っているだけです。その比率も時代や社会や年齢によって影響を受けるものです。
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- 畑 茂夫(@Flareon)
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> よわい者なる側が 仮りにもし何らかのいきさつで強く《高貴な》者の側に成るという場合もあり得ます。ユダヤ人が 各地を転々としていて寄留した国でつねに支配される側にいたあと イスラエルなる国をつくった。それからは 強い側に立っている。 弱きものを助けるのが日本の風俗であり、慈悲の精神だね。 私は闇の仏陀として、君達が死ぬことに慈悲を手向け、死ぬ事を助けようとしているよ。 君達に判る言葉に翻訳すると、君達が死に事を手伝っているよ。 ケラケラ。
お礼
だから その死はすでに済んだところから ひとは歴史を始めると言ったよ。 ご回答をありがとうございます。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
どこぞで拾ってきたウンコだよ > 存在とは 《有限なもの(時間的なもの) - 無限なもの(時間を超えたもの)》 説明しよう。。 有限の者、時を知らぬ刹那の存在。三次元惑星人 無限なもの。時を知る永遠の存在。四次元惑星人 有限なものは、時間的なものじゃなくて、時間を認識できない、時を知らぬものだ。 認識は、古い言葉で悟る事といっただろう。
お礼
残念ながら 《第四次元》は 一般に《時間》であって ただの経験的なものごとです。 経験世界のことであるかぎりで それも《有限なもの》です。
- 畑 茂夫(@Flareon)
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利己主義の考察としてはそれなりにまとまっているよ。 貴族のたしなみ。 貴族へのおべっか。 どっちにしろ階級を肯定する意味からの考察で、土着風俗に由来するのだろう。
お礼
★ どっちにしろ階級を肯定する意味からの考察で ☆ すね。それが 特徴であり おそらく理論としてはマチガイであるとわたしは考えます。 《つよい ‐ よわい》の対立するふたつの側に分けたという前提が すべてであるという議論であり理論です。 よわい者なる側が 仮りにもし何らかのいきさつで強く《高貴な》者の側に成るという場合もあり得ます。ユダヤ人が 各地を転々としていて寄留した国でつねに支配される側にいたあと イスラエルなる国をつくった。それからは 強い側に立っている。 そうなるとどう成るのだろう? どう理論を説明するのか? 修正するのだろうか? というより もうほとんど立ち行かなくなるものと思われます。 そのあたりの問題について 然りも否も 自由な見解を寄せて欲しいと思っています。 というような楽屋裏事情ですが。 ご回答をありがとうございます。
補足
すみません。引用において入力ミスがありました。 x (け) 高貴な魂は 自分の根底に潜む敏感な本能から 自分の取るだけのものを他にも与える。 ○ (け) 高貴な魂は 自分の根底に潜む情熱的で敏感な報復の本能から 自分の取るだけのものを他にも与える。 x (こ) [・・・] すなわち それはおよそ見遙かすか 或いは見下ろす。――それは自分が高みに立っていることを知っているのだ。―― ○ (こ) [・・・] すなわち それはおよそ《上》を見上げることを好まず ――むしろ自分の前を 水平に ゆっくりと見遙かすか 或いは見下ろす。――それは自分が高みに立っていることを知っているのだ。―― ☆ すみません。入力での大幅な見落としでした。おわびします。
お礼
★ 縄張り ☆ が必ずしも自明ではありませんね。 まづはご回答をありがとうございます。 もし 生活共同としてともに生きる社会集団とは別に 特定の別個の集団としてその自分たちの利益を確保するためにのみ利害関係を同じくし生死を共にする行き方とその集まりが 縄張りだとしますと おそらくそれについて二つの側面があると考えられましょう。 世間一般としての集団の中にあって生きて行くには何らかの理由や事情によってむつかしいというとき それでも生きて行くには 多少とも非合法の手段にうったえてでも互いに利害と生死をも共にするために集まる――といったやむを得ず消極的に出来た場合の縄張り。つまり縄張りを およそ隠れて蔭で主張しそれを生活の手段とするその集まり。 あといまひとつは そこからこの縄張り集団を自己目的として積極的にアンダーグラウンドの世界で生きて行くという場合。 もしこの後者の《不法行為集団》のことを言っているとすれば ちょっと受け容れられない理論であるようです。いわく: ★ 人類は集団で生きているが、縄張りを持っているのです。この二面性が人類発展の秘訣です。 ☆ そんなことは言えません。そんな理論はありません。もしそういう理論があって そのようなことが大手を振って言えたとすれば 世の中はすべて飲めや歌えやののっぺらぼうの世界となります。声の大きいのが有力者となってのさばる世界です。――考えられません。 ★ 利己主義だけで人が生きられるものではないことは明らかです。 ☆ いえ。そんなことは言っていません。問うていません。 利己主義を高貴な魂だとする見解を批判しようとしているのです。 ひとはおよそ自己の利益を追究して生きています。またそういう利己を志向する者どうしとしてその利害の調整のために 共同自治して行くものです。 あるいは 人間は人間をひとつの判断基準としているからには その人間ないし自己が中心となったかたちで ものごとを判断します。自然環境を守れと言うのも 人間が中心になった考えですし 動物保護と言っても 動物のためであると判断する人間の基準にもとづきそうするものです。 つまり ひとは 利己の志向を持ち行動し 自己を判断の規準の中心としてものごとを考える社会的動物です。 ただし ここで 利己主義はまた別です。利己志向と利己志向主義とは別です。 自己中心性を主義主張とする自己中心主義は また別です。その志向性ないし思想が 自己目的となった行動形式は 別の問題となります。あまりよろしくないものです。 ★ 利己主義だけで人が生きられるものではないことは明らかです。 ☆ もし自己目的と化した利己主義のことであれば その利己主義で生きるのは マチガイです。狭い考えに落ち入っています。さっきの《縄張り》の思想と行動も この狭い考えに立っています。 ★ 自分が否定しても社会からの恩恵を自然に受けているのです。それぞれの人によってその重みの比率が違っているだけです。その比率も時代や社会や年齢によって影響を受けるものです。 ☆ これは――と言ってさらにツッコミを入れますが―― この論理はダメです。ひと言で言えば てめえら文句言うなと言っているだけだからです。 《自分が否定しても社会からの恩恵を自然に受けているのです》からこそ――互いにそうであるからこそ―― 誰でも境遇があまりにもひどい場合には文句を自由に言って 互いに考えを述べ合い しかるべく対処するものなのです。あなたの論理は けっきょく弱いものは 多少でも社会の恩恵を享けているのだから でっかい口をたたくでないぞと言っているに過ぎません。 いったい誰が・何がそういうデッカイ口をたたかせているのですか? いったいあなたは何さまなのですか? お互いさまではないのですか? 縄張りがあるから おれはそのように言っていてもいいんだと言いたいのですか? ――心を入れ替えなさい。