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利己的

全体的な幸せについてですが、利己的、自己中、不倫、浮気、ネットワークビジネス、暴力で人に迷惑や嫌な目に合わしても、欲望や性格のため、狡猾に立ち回りしている人が、結構得していると思うのです。 自滅する人もいるかと思いますが、セコイですよね。ばか正直に生きている人や徳を高く持っていても、なんとなく 損する面があるような気がします。 周りをみて、最終的にどうですか?うちの会社の利己的な管理職は、好き放題です。また、ずる賢いので、かなり立ち回りもうまくやっています。倫理的にまずいことも、平気でやってます。 なんだか、金と地位とずる賢さがあれば、世渡り上手になれるのかな?

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noname#140045
noname#140045
回答No.2

このようなことを議論する場合、言葉の定義が大変に重要です。 ただし、その定義とは自分個人としてどう思うかでしかありません。 たとえば、ここでは「ばか正直」を良いこととして表現しているようですが、私は違います。 世の中、交通事故に遭わない方法であったり、あるいは「駆け引き」や「本音と建前」を子供に教える大人もいるかも知れません。 それと同様に子供にもたとえば世の中には詐欺師など人を騙す人がいるから「騙されない方法」を教える必要があります。 でもたぶん「ばか正直」な人にはそれはできないでしょう。 結果として、正直な人はいいかも知れませんが、ばか正直な人は大人としては欠陥であると言えます。 同様にもし「利己的=自分のメリット」と私は定義します。 そうすると、私は利己的であることは悪いことではないと思います。 それは人間のみならず動物であっても常に自分のメリットに従い行動しています。 たとえば、人のために親切にするのも、見返りを求めていたり、お礼を言われるのが嬉しいからだったりと、常に自分の気持ちを満たそうと行動しています。 逆に何も考えていない行動であっても、それは自分にとって興味がなかったり、責任が問われなかったりするからであって、自分に被害が及ばないことは常に考えているのです。(つまり防衛本能です) また、何も考えていないことで言い訳が簡単にできるという理由だったりもします。(「ゴメン、他の仕事が忙しくて何も考えていなかった」とか) 結局100%とは言いませんが、50%以上は常に自分にメリットがある方を選択しているのです。 では、なぜ日本で「利己的」が悪いことになるのかという疑問が生じるでしょう。 それは、日本には昔から「誰かが幸せになれば、誰かが不幸になる」との意識が強すぎて、自分が幸せになることで周りも幸せになることのほうが多いのですが、ねたみも手伝って「利己的=自分だけが幸せになる=周りが不幸になる」との論理になってしまうのです。 結論としては、「100%でない利己的」に生きるのが一番いいことだと思います。 しかし、日本では「相手のため」と称して何かあると責任転嫁する傾向が強いので、それを悪いことと思うか、思わないかで意見が分かれると思います。

  • sonador
  • ベストアンサー率42% (3/7)
回答No.1

確かにそのような社会になってきていますよね・・あなたはそちら側に行きたいのですか?もしそうなのであればそうすればいいのでは?馬鹿正直な人が最終的にはうまくいくというような正義はもうこの世の中少ないんだと思います。かといって無いとは限りません・・ 後ろを振り返るなって言う人もいますが、時には自分の人生振り返りも必要なときがあるはずです。その時あなたが自分の人生に満足できる道を選ぶべきではないでしょうか?あなたがセコイと思っているような人間にあなたはなりたいのですか?お金持ちは幸せですか?幸せは人それぞれ価値観の違いがありますから誰が一番幸せ者かなんて決めれませんよね・・?アフリカの貧しい子供たちだって幸せですよ、今日を生きられていることが彼らの幸せではないでしょうか?では、あなたは?金とか地位とかずる賢さとかそんなことを考える前に他にすることがあるのではないでしょうか?

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