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集団的自衛権に貴方の哲学で物申して頂きたい。
安保関連法案が国会で承認された様です。 みなさんどう思いますか この方向性を? 皆さんの哲学でこの集団的自衛権を含んだ関連法案に物申して頂きたい。 どうお考えでしょうか?
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「お礼コメント」をありがとうございました。 まあ、我々誰でも、大なり小なり「ジコチュウ」ですよね。哲人の言を借りれば、我々人間は、egocentric particuar「自己中心的特殊規定」をする生きものだ、ということになる、てとこでしょうか。 ところで、その「自己性」には人によって違いがあると思います。まず、最小単位としての「自分自身」があり、少し広げて自分の「家族」があり、さらに広げて自分の属する「共同体」があり、「自国」があり、「同盟国」があり、「アウタルキー」があり、…「人類」があり、「地球生命」があり…というような階層構造になるでしょう。 一方、我々が意見などを表明する際に準拠する基準あるいは行動原理として、「要不要の基準」と「正不正の基準」とがあります。それで、最小単位としての「自分自身」を中心にして考えると、「要不要の基準」すなわち「自分にとって必要かどうか」を重視する傾向が強く、「自己性」の枠を広げて「人類」や「地球生命」を自己と認識して考えると、「正不正の基準」すなわち「みんなにとって、あるいは生きとし生けるものにとってどうであるべきか」を重視する傾向が強くなるように思います。 もちろんこの違いは、良いとか悪いとか、どちらの価値が高いとかいうようなものではないとは思いますが、私個人としては後者をとりたい、できる限り「自己性」を普遍化したい、と考える次第です。「勇断をもって集団的自衛権にケリをつけ、再度戦争の永久放棄を世界に宣言するのはどうだろうか」という提言はここに源泉と根拠があったことを申しあげたいのです。 つねに、「自己愛」と「人間愛」を、等価に近づけたい。「博愛」の精神を、可能なかぎり地でいきたい。現実には、なかなかそこまで到達できていないことを実感することが多々ありますが、少なくとも、日頃からそう努めたいと思います。そういう境地を目指す「プロセスこそ大事」、と考えています。
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- Nakay702
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>集団的自衛権に貴方の哲学で物申して頂きたい。 ⇒この質問に感謝します。 次の会話文(のBのセリフ)をもって、私の回答とさせていただきます。 親戚の子ども(A)との会話です。 A:「集団的じえーけん」って何? B:友だちが喧嘩してたら、味方して助けてあげるっていうことだよ。 A:へ~。それって自分もけんかするってこと? B:まあ、そういうことになるね。 A:相手の人にも友だちいるでしょ。じゃ、その人はそっちの味方するの? B:まあ、そういうことになっちゃうだろうね。 A:じゃあさ、最後は、み~んなでけんかするってことなんだぁ。 B:うぐ…。 (私は、たじたじである。) A:変だね。 B:そ、そうだね、変だねえ。 A:どうしたらいいのかなぁ? B:やっぱ、喧嘩しないようにすることだろうね。 A:でも、しかけられたら? B:そういう時はもちろん自分を守るのさ。それなら、「専守防衛」といって、今までも認められていたんだよ。 A:じゃ、友だちがけんかしているのを見たときは? B:どっちかの味方をするとかでなくて、やめさせることを考えようね。 (子供の目は恐ろしい。一時は後ろめたい気分になったが、最後は何とか取り繕えたように思います。できれば、通して、胸を張って答えたかったですが。それにしても、集団的自衛権は、素朴な道徳観にさえもとると思ったひと時でした。) 結論と提案: 私は提案したい。 勇断をもって集団的自衛権にケリをつけ、再度戦争の永久放棄を世界に宣言するのはどうだろうか。世界に先駆けて、世界の範となりたいものである。 今、我々には国や民族の名を負わずに話し合う「個の普遍化」を目指す発想が必要ではないだろうか。集団的抗争が「地球規模の自爆テロ」にもなりかねない今日、否が応でもそうせざるを得ない時期に来ていると思うのです。 今は如何に戦うかでなく、「如何に戦いを避けるか」に最大限腐心すべき時代だと思うのです。そういう時代に居合わせてしまった我々の義務でもあると思うのです。「地球の子どもの未来を想う」なら、それがベスト(とまでいかなくても、少なくとも、ワースではない)と思うのです。
お礼
遅くなりました。そうですよね、今問われているのは以下に戦争に勝つかの技術ではなく 以下に戦争を止めるかのスキルだと思います。 集団的自衛権は2度に及んだ世界大戦 数千万の人間の犠牲に寄って やっと得た教訓を覆すものになります。 アメリカが戦争をやり過ぎて止まらなくなったのです。 アメリカは本土を爆撃されたことがない。まだ本当の惨劇を見ていないのです 9.11でカッとなって濡れ衣でイラクを爆撃し10万人のイラク人を殺した。 アメリカほど殺す国はもうありません。 そんな国に付いて行くのでしょうか? 同盟国なら恐れてばかりいないで説得すべきです。 中国はアヘン戦争や日本の侵略で傷つきながらもまた大国になりました 日本人は卑怯ではいけない。正義などない等と言っていてはいけない。 存在することが正義です 自分が存在し相手も存在するなら正義は共有されます。 正義が対立するのは互が調和してないからです。 なんでも色眼鏡で見ないで 本当の姿を知ろう。 ナカイ702さんの提案は素晴らしい 日本は戦争をする国にならずに 如何にして戦争を未然に防ぐかを考え実行する国になろう。 世界に戦争放棄をもう一度宣言しよう。 大人は本当のことが言えない。子供は本当の事を言う どちらが真実か? これはどうも大変ありがとうございます。
- a_hona
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アメリカの軍事力を借りながら、口先だけは平和平和と言うのは恥ずかしいことだろう。 人の褌で相撲を取っているのだから。 ある意味で賢いやり方だったし、今後もそれで通用するならそれもいい。ただし、その場合は、平和平和と口うるさく言えないことが条件となるが。 安全保障関連の法案可決は、頭から賛成できることではない。中国を仮想敵国として国民の危機感を煽ったような形に見えるからだ。その手法は、これら安全保障関連法案を戦争法案だと煽って人心を焚きつけデモを起こした左の連中と変わらない。 世界のパワーバランスの仕組みと抑止力、世界全体の軍縮にこぎつけるまでのロードマップ(が現実に存在するかどうかはさておき)について明言しても、理解のない国民にとってはなんのことだ?となるだろうが、はっきりとそれがあるならそれを言えばいいのである。安全保障関連法案が憲法違反になるならば、その憲法を問い直す選挙をすればいいのである。その結果護憲派が勝利すればそれはそれで、その未来への責任は国民が背負えばいいのである。改憲派が勝利しても同じ。今のように、白黒つけず、あやふやにしたまま事をすすめるのも日本らしい?といえば日本らしいのだが。 現段階で言えば、良し悪しどっちに転んでも、自民党を選んだ、あるいは投票にすら行かなかった国民の責ということになる。 (こんなことを論ずるのは哲学の仕事ではないが。) そう言えば、武器輸出を味方限定で解禁し、武器の共同開発を行うという話も聞いた。少し古い話だろうか。いずれにせよ、また戦争になって後悔したならば、人類がバカだったというだけの話であるし、戦争しても後悔しない連中がいるとするならば、そのような得体のしれない連中が人類の中にいたというだけの話になる。 そもそも歴史は繰り返すという。人類が歴史から学ばないのは世代交代が起こるからだと思われるが、その根底には、惨劇の話を伝え聞いても、その痛みに思いを馳せることが出来ない、想像力や共感が鈍いからということがあるからとなるのではないか。勿論、条件反射で、ただ九官鳥みたいに声高に、しかも口先だけで非戦を唱える連中に、(無条件で)想像力や共感があるとは言わないが。 少し長くなったが、これで回答としたい。
お礼
仰る事はよく分かりますが、それで日本の人々がどうなっても仕方ないという事でしょうか? 我々日本人が何か悪いことをしたのでしょうか? 核の傘の下で経済の繁栄に狂っていたかもしれない 歴史を教わらずに 無知のままだったかもしれない しかしそれが罪なのでしょうか? あなたの表現を借りれば 九官鳥のように非戦を唱える若者は 馬鹿なのでしょうか? もっと優しい目で見てやってください。僕の非礼はお詫びします。 日本の為に、いや世界で苦しむ人間の為に 一肌脱いでくださいませんか? どうも大変ありがとうございます。
#5です。 >平和憲法を体現する可能性を持っていたのではなかったのでしょうか? 日本は。 持っていたし、今も持っている。可能性だけは。 >今の人はもう欲が出て軍事力で守った方がいいと思うでしょうけど 違うな。昔も今現在も、主にアメリカの軍事力によって守られている。それが現実だ。 >戦争の体験に立ち返って 平和憲法の始めの気持ちに立ち返って世界に平和を解くような そんな人物はいないのか? 日本が平和憲法を受け入れた時、戦争体験に立ち返ってどころか、戦争体験そのものが日常だった。だから平和憲法を受け入れたと思える。もうみんな戦争には疲れていた。食糧難による暴動は起こったが、国体を護持せよなどの過激な内戦は起こらなかった。そんな理由で内戦に陥った国は、今現在を見回せばいくつもあるよ。それが平和憲法の始めの気持ちだったという面は、確かにあると思う。 だから経済を最優先事項にした。だからアメリカの軍事力の傘下に入った。これは正解だったと思う。アメリカの軍事力という条件付きで平和憲法は、現実の戦闘を防いだという意味で成功だった。抑止力になった。おかげで約半世紀の間、平和ぼけしても生きていけるという、世界史史上稀にみる体験をさせてもらった。 平和憲法は、その可能性を十分に発揮した。理念としてではなく、現実の状態としての体現だ。 平和憲法の始めの気持ちに常に立ち返っている人の一人は大江健三郎だろう。大江さんは自分の立場の大きさも、自分が時流に対するカウンターパートである事も、良くわかっている。なので国会前デモには、ちゃんと出てきた。他の文化人は、外野でつぶやくだけなのに。大江さんには、ちゃんとしたバランス感覚がある。 ベルリンの壁が崩壊した時、21世紀にアメリカとソ連は後退を続け、中東とアフリカと東南アジアと北欧はその影響で四分五裂になって内戦が頻発し、北朝鮮は核兵器を手に入れ、国力を増大させた中国は太平洋からアメリカを押し返すだろうという予想が、本当にあったんだ。 平和ぼけしていた自分は「何を馬鹿な!」と思ったが、本当だったよ。忘れたかも知れないが20世紀末期に、中東からEUへの現在の難民流入を極めて小規模にした形で、日本にはベトナムからの難民が漂着していたのを、おぼえているかい?。 平和憲法を護持するのはいい。別に反対じゃない。過去の実績からして極めて価値あるものだ。しかしそうしたいなら、現実的な準備が必要だ。戦後レジームが有効だった時代は気づかぬ内に、少なくとも20年くらい前に終わってしまったんだ。 自分は安保法制を頭から肯定はしないが、だからと言って、頭から否定するのはバランスが悪い。
お礼
早い話がアメリカもお金がないし、国民が死ぬのは嫌だ、必要以上に手を汚したくない。 だから日本も平和憲法をやめて普通の国になってくれ。 いやそうしないと知らないよ。 という話では? まあ普通に考えれば普通の話ですねえ。 しかし。何の為に日本人は300万人も死んだのだろうか。 何の為に世界中で何千万人もの人が死んだのだろうか? その反省は忘れて 戦争の続きをやって また核が使われないと言えるでしょうか? 第三次世界大戦とか、温暖化や人口爆発で被害が増えるということはないでしょうか? テロだって原発を狙われたら大変なことになるということが明らかになった。 そんな恐ろしい破壊力の時代に 戦争なんて野蛮な行為をまだやろうというのでしょうか? 私は踏みとどまったほうがいいと思う。日本人は何でそんなに軽いのか? 哲学・思想がないから、宗教も正義もないから。それでい良いのでしょうか? 日本人に正確な歴史を教え、思想を根付かせ、哲学を促す その様な事が憲法改正を機に出来たらいいなと思います。 どうもありがとうございます。
- kohichiro
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普通の国になったと感激している人の気分が良く分からないのは私が馬鹿なせいでしょうかね。自分の国は自分で守るというのは当然のことで、ですから憲法9条はさまざまに解釈を変更して最近まで一応常識の範囲にまで深化してきたということです。はっきりいって今度の集団自衛権がどんな効用を発揮するのか、言いだしっぺの安倍さんもよく説明出来ないのです。よろこんでいるのはアメリカやインドネシアやフィリッピンなど中国にいたぶられている周辺国ばかりです。どこに日本の国益があるのでしょうか。私も一生懸命考えましたが、あべさんが言い難くて、言葉をにごしている中に答があるのではないでしょうか。つまり 国連で晴れて6番目の常任理事国になれる。軍事大国に道が出来た。 アメリカとの密約(絶対通せ!、でなければ…) 国内外軍需産業トップとの密約 (どんどん買え、どんどん売ってよし、儲けてよし) これ以外にどんな回答があるのでしょう。
お礼
日本も落ちたものですねえ アメリカも落ちました 劣化しています。 経済が大変って戦争になればもっと大変です 一部の軍需産業が設けて 破壊された街や人間は大損害です 断固戦争反対を唱え様じゃありませんか 戦争はもう国の存在性ではありえない 危険極まりない軍拡になります。 どうも大変ありがとうございます。
- urigadai2013
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作家の三島由紀夫が1970年に自衛隊市ヶ谷総監部のベランダで演説して、自決した時、自衛隊員たちに向かって、お前たちはそれでも国軍か、今の憲法はお前たちを否定しているんだぞ、国軍としての誇りはどこへ行った? 生命の価値よりも高い価値のあることを知れ! と言いましたが、それを聞いて私は目が覚めるような衝撃を受けました。 戦後の日本社会は生命を一番の価値として、生命を超える価値の存在することを黙殺してきました。 生命は地球よりも重い、と言って。 生命至上主義。 戦前の神風特攻隊は、自分の生命よりも、もっと高い価値のあることを信じて、それを守るために生命を捧げることを惜しみませんでした。 故郷の父母や子を守るため、ひいては日本国家の国体を守るため、国家の尊厳のために、命を捨てました。 大義の前には一個の生命など、羽根よりも軽いものとしたのです。 彼らは自分の生命を賭して、後世のため、後人のため、みずからの生命を捧げたのです。 その結果が、今の日本の有様としたら、なんと言って彼らが嘆くでしょうか? 何のために生命を捧げたのか? 安保法改正に反対している人たちはかれら特攻隊の願いを踏みにじるものです。 こんな日本のために、かれらは生命を捧げたのではありません。 私の叔父さんは妻子を故国に残してサイパン島に出征し、玉砕して果てました。 それも、残された妻子が立派に成長して将来の日本を再建して欲しいと願ったからです。 戦後70年、果たして私たちはかれらの貴重な生命を犠牲にしたのにふさわしい日本の再建を成し遂げたといえるでしょうか? 戦争は悪だ、戦死した人たちは犬死だ、戦争反対! 日本は戦争をすべきではない、平和賛成、・・・・・・・ ああ、今の日本人は戦争をできない、戦争をやろうとしない、自国が戦争をやったら逃げ出すような国民なってしまったのか? 日本国民としての誇りはどこに行ったのか? 国家・国民を守ることが国軍のアイデンティーなのに、その自衛隊は誇りを失ってしまったのか? すべての元凶は憲法9条にある。 憲法9条は日本国民の自律心と、国家としての誇りと自尊心を奪ってしまった。 今回の安保法改正案によって、初めて自衛隊は名実ともに国軍としての誇りを取り戻すことができる、そのチャンスだ。 それでこそ、三島由紀夫が自らの生命をかけて、訴えたことが初めて実現ができる。 それによってこそ、戦前に多くの国民が死んだことに報いることができる。 安保法改正を戦争法案などと言っている人がいるが、とんでもない、普通の国になるだけのことです。 主権国家として、その相応しい姿を取り戻すだけです。 戦後70年の異常な状態を、普通の状態に戻すだけです。 どこが反対する余地があるでしょうか? 自国は自国で守るのです、たとえ戦争を辞せずとも。
お礼
先生は戦国時代の話でもしているのですか? そりゃ戦国時代や明治維新の時代なら 戦うことに意義はあったでしょう 勝たない事には天下統一はできなかったのですから しかし今福岡と山口が戦争するでしょうか? 戦争どころか流通の要所となって産業や修学旅行でにぎわっていますよ。 世界も一つになるのです。そうして人間の目的を実現するのです 世界がバラバラで戦っていたら 出来る事も出来ない 犠牲者は出る その悲惨が先生には分かっているのでしょうか? どこの国もそうです 元はバラバラだったのです それが統一されてきたのです 世界も統一されるのです。 その為には平和憲法は宝です。その他からを捨てたらまた大きなリスク いや甚大な犠牲が出ます。日本人はそんなに考えのない民族だったのか? 日本人はテストの点数だけがいいだけか? その代表が先生なのか? 生命より大切なのは人間存在です。 だから人間は肉を食うのです。 どうもです。
- urigadai2013
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戦後70年かかってようやく日本も普通の国になった、という印象です。 これまで憲法9条の規定に縛られて、戦争ができなかったけど、ようやく戦争ができるようになりました。 喜こばしいことです。 戦後70年が異常だった、どんな国でも戦争をする権利はあります。 国家主権というのは、戦力があって、その戦力を行使できるということがあって初めて国家主権ということができる。 今までの日本は戦力は持っていても、その戦力を行使できなかった。 それでは国家とは言えません。 今回の安保法改正案を、戦争法案だなんていう人がいますが、とんでもない。 戦争をすることができるようになって初めて、日本は各国と同じ出発点に肩を並べられるようになったのです。 戦後、私たち日本はアメリカにおんぶにだっこで、平和を享受してきました。 そしてこの平和が常態であって、それを当たり前であり、戦争は異常であり、例外だと思っていますが、世界史を見れば分かる通り、戦争をしているのが通常であって、平和は戦争と戦争の間の束の間の休息にすぎません。 自国の平和は自国で守る、というのが基本であって、そのためには戦争を辞さない気概が必要です。 平和・平和と叫んで、戦争反対を叫んでいる人たちは、たとえば敵国によって日本が侵略され、家族が敵兵によって殺されようとしている場合でも、戦争に反対し、家族が殺されるままに放置しろというのでしょうか? 私は日本が外国に侵略されるようになったら、むしろ戦争に賛成し、みずから老体を引きずってでも、銃を手に取り、戦うつもりです。 戦争法案だと言って、反対している人たちは日本が中国や韓国に侵略されそうになった時でも、戦争反対と言っていられるでしょうか? 政治家の役目は、将来起こるかもしれないことを見越して、戦争ができる体制を整えておくことにあります。 日本人は、たまたまアメリカの庇護の下、長い平和を享受して来て、そのために「平和ボケ」に陥っているのだと思います。 今や、アメリカは世界の警察官ではなく、その国力も衰退しつつあり、逆に中国が抬頭して、日本近海に出没し、日本を侵略する機会を虎視眈々とうかがっています。 そんな中で、アメリカに頼ることなく、自国を自国で防衛する気概がなくて、何の国家かと思います。 安保法改正案に反対している人たちはバカ者です。
お礼
自国が攻められたら戦うのは当たり前です その為に自衛隊が戦闘機や戦車を持っているのです 平和、平和と言っているのは 集団的自衛権などといって 戦争をやってる所に近づいて、戦争に関わろうという あえて戦争に近づこうとしないで 国連の判断に従うべしと 言っているのです。世界が国連に従って統一した行動をとれば 今の現状のようなおかしな争いや輝が起きることもなかったのです。 安保法改正案に賛成している人たちはバカ者です。 どうもありがとうございます。
長いものに巻かれろは、ポリシーです。 NATOとアメリカとソ連が軍拡競争をやっていた頃、平和憲法と非核三原則の名目のもとアメリカの核の傘に隠れ、経済的発展のみを一人日本だけが追求できている、という見方があった。その時代、エコノミック・アニマルとも呼ばれた。たぶんこの見方は、妥当だった。そして経済発展のみを最優先するという方針だけは、見事に成功した。 平和憲法の理念を現実として体現した平和憲法は、一回も出たためしはありません。
お礼
平和憲法を体現する可能性を持っていたのではなかったのでしょうか? 日本は。 今の人はもう欲が出て軍事力で守った方がいいと思うでしょうけど 戦争の体験に立ち返って 平和憲法の始めの気持ちに立ち返って 世界に平和を解くような そんな人物はいないのか? 世界に平和を問おうではありませんか どうもありがとうございます。
- Mokuzo100nenn
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現在日本は他国に領土を侵略され中(島根県の竹島)なのに、70年もの間、日本が平和であったなどと戯言言って憚らない連中が居る。 日本の領土である竹島の周辺海域で、日本漁船328隻が拿捕され、日本人44人を殺傷され、3,929人が不当に抑留され、海上保安庁巡視船への銃撃等は15件におよび、16隻が攻撃された。 これだけ戦火の犠牲に成っておる日本人の漁民や海上保安庁の職員がおるのに、日本国の法的制約で、日本人を守る為の反撃ができず、領土の奪還もままならなかったという。 今後は、日本の防衛に関する法整備をすることで、二度と竹島周辺での悲劇を起こさないようにせにゃいかん。 その為にも、日本の独自防衛力だけでなく、同盟国と集団的自衛権を通じて、日本の領土や漁民の生命財産を守ることが必要なんじゃ。
お礼
なるほど もう一度日本も軍事的にも強い国になって 日本を守る必要があるということですね どうもありがとうございます。
- 00000000aa
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他国の戦争、戦闘行為にも自衛隊が関与するということですよね。又今までは日本は永久に戦争を放棄した国と諸外国に思われてきましたが、これからは通用しなくなります。 アメリカは常に戦争を起こしていますから、日本も同盟国として攻撃対象になるでしょう。
お礼
集団的自衛権は返って危険というご意見ですね そうですね 私もそう思います。 永久に戦争を放棄した国 は珍しいのではないでしょうか 言ってみれば最先端を行ってた訳です それが集団的自衛家となると その理想が儚く破れる訳です それは避けたかったですねえ どうも大変ありがとうございます。
- sutorama
- ベストアンサー率35% (1689/4748)
現在、北朝鮮と中国との関係悪化のニュースがネットでは報じられています 飛び火はなく、日本が安全で居続けると思いこんでいる人たちはいないと信じたいです しかし、韓国や中国には邦人がいます 個別的自衛権で、邦人を守る、救出なんてすぐできるなどと思っている人がいないと信じたいです 戦争反対、おおいに結構です でも、自国民の命を守りたい気持ちは、忘れてほしくありません
お礼
そんな 中国や韓国は敵国じゃないと思いますよ 北朝鮮は特別です 少し行かれてます 極東は南北朝鮮が和解すればなんとかなります 中国も手を焼いているのでしょう。 どうもありがとうございます。
お礼
確かに要不要となると、いい事をしてる人でも要らなくなったらクビ という感じがしますねえ。 後者というのは「正不正の基準」で判断するという事でしょうから これなら良いことをしてる人なら全体に貢献してるわけですから 誰でも価値を持ち、必要な人とも言えます。 不正な人は矯正が必要になります。国の政策が正しいか否かも問われます。 >「勇断をもって集団的自衛権にケリをつけ、再度戦争の永久放棄を世界に宣言するのはどうだろうか」 これは正しいと思います。戦争をすれば被害は甚大ですが 何の落ち度もない国に一方的に宣戦布告してくる事はないでしょう いや集団的自衛権を持って何処かの国に被害を与えれば 其処が怒ってテロや戦争を仕掛けてくる可能性があります。 我々は矢張り 勇断をもって集団的自衛権にケリをつけ、再度戦争の永久放棄を世界に宣言すべきだと思います。 アメリカについて行くのではなく 日本が先頭切って平和の旗を世界中に立ててるべきではないでしょうか。 これはどうも大変ありがとうございます。ベストアンサーにしたいと思います。