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駿府政治録での大御所家康の話

林羅山著の「駿府政治録」ですが、家康が晩年側近との御伽話の中で、「御雑談の中、昔年 御幼少の時、又右衛門某と云う者あり、銭五貫にて御所を売り奉るの時、9歳から18、19歳に至るまで駿河国に御座の由談られ給う、諸人伺候、皆これを聞く云々」という行があります。神君受難のひとつ戸田康光の裏切りで織田信秀に売られる訳ですが、なぜ尾張国でなく駿河国に御座の由と書かれているのでしょうか?

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  • ithi
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回答No.2

nobunaga1560 さん、おはようございます。 これは「御雑談の中で大御所の御幼少期、六歳の時に又右衛門というものが実行犯で戸田康光にそそのかされ、銭五貫で売り渡され、織田家へいらっしゃった時、その後人質交換で今川家の駿府にいらっしゃった九歳から一九歳までの頃のことをおかたりになった」と書かれているのでしょう。 家康は最初は尾張の織田家に人質になりますが、人質交換で、今川家に移るのです。 詳細は下記のURLを参照ください。 徳川家康 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7 戸田康光 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E7%94%B0%E5%BA%B7%E5%85%89

その他の回答 (1)

noname#211213
noname#211213
回答No.1

『昔年 御幼少の時、………』の箇所と『9歳から18、19歳に至るまで駿河国に………』は時期が違います。 又右衛門某の策略で尾張に売られたのが6歳の時。 その後、今川義元と織田の人質交換で駿河に移ったのが9歳から10年間。 この場合、9歳からと言っているので駿河です。

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