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家康はどっちが怖かったのでしょう?
三方ヶ原で武田信玄に一蹴され命からがら逃げ帰ったあの時… 大阪夏の陣で真田幸村に本陣を突き崩され自害寸前まで追い詰められたあの時… どちらが家康にとって恐怖だったのでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
前者でしょう。 そもそも、「真田幸村に本陣を突き崩され自害寸前まで」というのは かなり後世の脚色があるように思います。 本陣がかなり切り崩されたというのは事実でしょうが、主将の命が危ない というところまではいっていないと思います。 それに対して、武田信玄は圧倒的な戦力があり、徳川家康は完全に 叩きのめされました。徳川家康がもっと好戦的な人物であれば、 命を取られていたはずです。でも、武田信玄はそのような判断はせず、 戦力をそいでおけばよく、城攻めは時間の無駄だと判断して命が助かった のです。 また、通常の大名は先鋒に最強部隊をおいて勝率を高めますが、 勝つことがわかっている武田信玄は4番、5番隊に最強部隊を置いていました。 そのため追撃力がたかく、家康は生きた心地がしなかったのだと思います。
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- tak7171
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回答No.3
それはやはり信玄の軍勢に追われたときでしょうね。 三方が原では徳川勢は圧倒的に劣勢でしたが、 大阪夏の陣では、一時的に劣勢に陥っても、 全体的に見ればほんの一局面にすぎませんし。
質問者
お礼
ありがとうございます やはりそうみたいですね
noname#177763
回答No.2
こんにちは。 前者でしょう。 逃げ帰る時に脱糞しましたからね。 その直後戒めとして絵師に情けない家康を描かせています。
質問者
お礼
よっぽど怖かったんだなぁ…と
お礼
家康は結構悪運が強いですよね… やっぱり三方ヶ原ですか あのとき平八郎は家康が止めるのも聞かず単身武田軍に… まぁ助かったからよかったものの 家康も生きた心地はしなかったのかもしれませんね