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人間は人間の事を知らないのか?

自分自身、あるいは他人、様々な事柄で悩みを抱える方は少なくないように思います。 人間は人間の事を知らないのでしょうか? もし、そうだとしたら何故学ばないのでしょうか? 根本原因が解明しただけでも、心の病や悩みは前向きへと方向転換できると思うのですが。 やはり、人間は馬鹿な生き物なのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.12

>人間は人間の事を知らないのでしょうか? 一部の人間は仏教を学ぶので人間を知るようになります。 ・愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること ・怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと のふたつですね。 一部の人間はキリスト教などの影響で仏教を学ぶことなく、神なるものを信仰するようになります。 >もし、そうだとしたら何故学ばないのでしょうか? キリスト教などの一神教(アブラハムの宗教)が仏教を学ぶことを妨げるからです。 >やはり、人間は馬鹿な生き物なのでしょうか? 学ばなければ馬鹿と言われても仕方ないですね。 仏教を学べばバカな生き物では無くなる可能性が大きいと思います。 しかし、くれぐれも仏教をだしにしてカネ儲けを企む連中に引っかからない様にしてください。

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 >しかし、くれぐれも仏教をだしにしてカネ儲けを企む連中に引っかからない様にしてください。 比叡山延暦寺や身延山久遠寺、高野山などを拠点とするインチキ仏教寺院の事ですか?? ※※今までの回答の中で、もくぞうさんは違ったご意見をお持ちのようです。出来ましたら、お考えの仏教の説く『人間とは何ぞや』論をお伺いしたいと思います。

その他の回答 (14)

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10068/12613)
回答No.15

再度「お礼コメント」を拝見しました。 >執筆者自体が、完結していないのに、他人に説いてはダメでしょ。 「完結していないのに、他人に説いてはダメ」 (1)それなら、たいていの回答はダメで、QAサイトなど成立しませんよ。 (2)私は「説いて」などいません。答えただけです。(真剣に答えたつもりです。) >例えば、、、、(以下) (1)私もK大学仏教学部で2年ほど聴講させてもらったことがありますので、幾分なじみを感じる術語や概念、納得する部分はあります。ただ、経典だけでなく、聖書・コーラン・タルムード・アンガ・ヴェーダ・四書五経などにも興味があります。 (2)ところで、あなたは質問して答えを求めたいのですか、それとも「折伏」でもなさりたいのですか。 いや、お返事は結構です。

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 >(1)それなら、たいていの回答はダメで、QAサイトなど成立しませんよ。 こういったQAサイトがダメという事ではなく、書籍(哲学書)自体の内容の問題だということです。 また、この質問は【学問】のうち【哲学】のカテゴリーを選択し投稿しています。したがって、話がややこしくなったり、定まった結論が出ない場合も多々あります。 その中で、質問に対する回答を得たいと思っています。 >(2)私は「説いて」などいません。答えただけです。 いえ。あなたの事ではありませんよ。 “執筆者自体が、、、、他人に説いてはダメでしょ。” 『執筆者』と書いています。 それよりも、こんなところで“心”を乱してどうするのですか?? この質問は、その“心”を問うているのですよ。

回答No.14

人は「知る事で悩みが減る」という主旨でしょうか? 何も知らない動物は、苦痛から逃げはしても悩みはしません。 「知る」=遠くが見える事で、そこに潜むリスクに悩むのです。 目があるからこそ闇を恐れるのであり、元々目のない生物は 闇を恐れはしない。 「知る事」が安心立命につながるのは、そうして知って、知り 尽くした先に、自我成立の必要として派生している環境を把握 した後の話だ。 人の意識は、肉体に付属した感覚器官に依拠して肉体表面から 始まり、宇宙の果てに届いて、それが実は真の自己である事に 気付いて自由自在(「自(みずか)ら」に「由(よ)って」「自(おの) ずと」「在(あ)る」)になる。

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 >人は「知る事で悩みが減る」という主旨でしょうか? いえいえ。いや、そうとも言います。 あまりにも目先の事で悩んだり、苦しんだりしている質問者の方が多いので、何故自分自身の根本原因を解決しないのだろうか、、、と思いまして。 Psyさんは、あまり悩みは無いでしょう。

ks5518
質問者

補足

【補足です】 例えば、、、、 仏教の中には【十界論】というものがあります。 ・いじめなどによる、態度や暴言など人間の生命状態の“何(どこ)”から発せられるものなのか? ・上司からのパワハラなどによる暴言は生命状態の“何(どこ)”から発せられるものなのか? ・自身の身の上に起きる“望まない事”はどこから来るのか? ・人と人との争い(大規模な戦闘行為)は、どこから生じるのか? などなど、、、、。 解決できるものも、少なくはないと思います。 要するに、、、【宗教(仏教)】といって敬遠するのではなく、その奥底にある『人間(衆生)原理』を素直に一人の人間として学ぶことで、多くの解決できる問題があるのではないかという問いです。

回答No.13

おめでとう。 君を家畜人ヤプーに認定しよう。 君は学校で君達は人間だと言う教育を受けた。 これは人間宗教と言うべきもので、自らを知らない君は実際は人間以前なのだ。 人間であると教え込まれ、飼いならす為の教育を受けた。 君の質問は人間を自覚してないからこそで、君は教育現場でヤプーとしての職業訓練だけを受けたのだ。 騙されたんだよ。

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 >君は学校で君達は人間だと言う教育を受けた。 学校では教えられないだろう。 まともな歴史教育(現実に存在した事実の事)すら出来ないのだから、、、。 また、先生などは、家に帰ればただの人ですよ。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10068/12613)
回答No.11

「お礼コメント」を拝見しました。 >質問の趣旨を再度カテゴリーから見直していただき、『哲学的回答』をいただきたいと思います。 >>人間は人間の事を知らないのでしょうか? >>もし、そうだとしたら何故学ばないのでしょうか? ⇒人間は、古今東西、人間のことを一生懸命学んできていると思いますよ。しかし、それでも分からないことが多いんでしょうね。 例えば、ソクラテス、アリストテレス、デカルト、スピノザ、ホッブス、パスカル、ルソー、カント、ヘーゲル、ハイデガー、ニーチェ…など大勢の哲人が人間を研究しているじゃありませんか。もっと身近な現代日本の著書や翻訳で言えば、目の前に『人間とはなにか』(鯵坂真他)、『現代人間論』(小田実他)、『講座 現代の人間学』(ガダマー・全7巻)、ウィルソン『人間の本性について』などが(ツン読状態で)あります。しかし、どれを見ても、「人間とは○○である」などと結論めいたものは1つもありません。逆に、読めば読むほど、さらに謎が深まるばかりです! 少し逸れますが…。 ☆人間が己を知らないことによって現象したと思うこと(1) 現代危機の示す諸兆候、例えば、科学技術の「進歩」と専門化、自己神格化と人間帝国の出現、秩序・規範意識の欠如等は、現象的には個々様々だが、これらのよってきた源泉はほとんど一点へ遡及できる。すなわちそれは、理性至上主義、なかんずく主知主義である。近代以来この傾向が次第に高まってきて、諸科学が発達し、多くの恩恵を人間にもたらした。この限りでは、合理主義はプラス評価に値するものであった。ところが、それに伴い、また神殺しの進行とも相まって、人知を越えるものへの畏敬の念を欠く人間の自己神格化や人間帝国が現出するに至った。さらに、現代に至って諸科学や技術が個々ばらばらに進歩をとげた結果、学問的統合の欠如や専門化現象が問題化し、負の遺産も多く生み出された。技術促進・機能合理化・効率的管理等を追求する制御学を発達させることに汲々として、個性・多様性・遊び・逸脱などをマイナス価値として位置づけてきた。また、過度の頭脳鍛錬へ駆り立てられ、エスカレートする人間を生物形態的に見ると、将来頭でっかちの奇形化が現実化することすらあり得るのではないかと懸念されるほどである。 「何か変だ」と思われることは、よくあるものである。 ☆人間が己を知らないことによって現象したと思うこと(2) (i) かつてフェミニズム運動が世界的に盛り上がった時、ある印欧語の辞書編集者が、名詞・形容詞などの代表形を男性形とするのをやめ、ジェンダーに関係なく、純粋にアルファベット順に語彙を配列した。その結果できあがったものは大変な代物で、統一性や整合性を欠き、全然使い物にならなかった。 (ii) 日本のある公共団体で、都会の子供が身近で自然を体験できるよう、「子供自然公園」を造った。目的に適うよう、山あり、川あり、滝あり…と自然をそのまま再現することを目指した。ところが水周りについては、子供が溺れることのないように、川のどこでも、子供が立った時顔が水面上に出るような深さにした。それで、本来の自然界でなら深いはずの滝壺がフライパンのような形になった。「フライパン」の中で楽しく遊んだ子供が、後年本物の滝壺で溺れる、といったようなことのないように祈りたいものである。 (iii) 米国でaffirmative action(差別撤廃運動)が起こった時、それに呼応して差別用語の撤廃運動も起こった。そして、例えば、Mr.に対して、Mrs.でもMissでもないMs.が登場し、cripple(かたわ)を廃して、physically handicapped(身体障害者)が用いられるようになった、等々。そこまではよかった。ところが、short(ちび)を、vertically handicapped(垂直方向に不自由)などと言うようになると、もはやこれはお笑いの世界である。あるアメリカ人は、これをpolitically correct(政治的に正しい)などと揶揄しているとか。 (iv) ある参考書の中に『シンデレラ』の物語が採用されたが、なぜか一部が抜け落ちていた。ガラスの靴をシンデレラに履かせてみようとする使者に、継母が「時間の無駄ですよ。その娘は卑しい掃除女ですから」と言う場面である。欠落の理由を出版社に尋ねたら、「清掃を職業とする人に対する差別表現なので削除した」というのがその答えだった。 (v) かつて、天皇陛下が「阿波踊り」をご覧になるというので、急遽歌詞の一部を変更したことがあった。「踊る阿呆に見る阿呆」などの「阿呆」を削除したのであった! ☆1つの現代的人間病理  以上の5例は、共通にある種の現代的病理を示しているように思われる。(筆者はこれを「正しすぎ症候群」と名づけた)。それは、表面上は似ているが、本質はまったく異なる事柄を混同しているところから来ると考える。おそらく、自然から由来する、あるいは自然に応じた必然性のある「差異」と、人為的になされる、無用の、ないし悪意のある「差別」との混同であろう。「人間は理性的動物である」などと言われるように、人間は、人間であるより前に動物である。人間界は、それを包括する自然界に対する治外法権なのではない。例えば、いかに加工の技術が進歩しても、日々の糧の原料は自然の恵みから得るしか方法がない。ある子供は、自動販売機から出てくる即席ラーメンが、カップの形をしたまま畑になっていると思っていたそうである。それほどでないにしても、我々も、無意識のうちにある種の「人工児」になってしまってはいないだろうか。そしてそれをいつの間にか信念の中に組み入れて、気づきもせずに判断基準としてしまう。上例の病理はいずれもそのあたりと関わるに違いないと考える。 自己神格化や人間帝国が「神への冒涜」であるとしたら、上例のような行為は、やや大げさだが、「自然への冒涜」と言えるのかも知れない。そして、これが言いたいのだが、この「正しすぎ症候群」もまた理性至上主義に由来する、少なくとも関連するのではないだろうか。「理性偏重」によって、人間の意識が「洗練」され過ぎ、人工性に毒され、あるいは人間本来の感性を侵されて軟弱化し、自然を有り体に見られなくなった結果ではないか、と思うのである。近代の珍重してきたものが、現代ではむしろ「諸悪の根源」とさえ言わなければならないような状況となったのである。 ☆人間的価値の思想  目下のところ、真の人間的価値を認めるにふさわしい思想として取り込むにふさわしいと考えられるものは寡聞にして知らないが、強いてあげれば、「生‐理性主義」ということになるだろう。今日の環境条件に鑑みれば、「肥大・増殖を図ることは、もはや理に適わず、生の安定的維持をもって最善とする」といったような発想転換が必要なのではないか。そのために、生の機能の一部としてよく理性を働かせる。生の根本的現実の遂行のために、つまり、まずは生きるために、個人的にはよき「工作人」であることが求められるのかも知れない。そして社会的には、すなわち互いに「共生」するためには、「役割人」であり、「経済人」であることから免れることはできないだろう。しかしこれらを満たしつつも、他方、生の全的展開を可能にする「遊戯人」たろうとすることもできるし、人間相互間の、さらには自然との「共生」のために、「本当の」知恵を働かせる、真の「英知人」たることも志向できるはずである。 ☆そして、「人間とは」に対する1つの定義 1つの見方として、人間は、知恵を持つhomo sapiens「英知人」であり、家族や集団の中にあって各人が自分の役割を持つhomo sociologicus「役割人」であり、共同作業をしたり分業したり売買したりするhomo economicus「経済人」であり、時折遊ばないではいられないhomo ludens「遊戯人」である、と言えるのではないだろうか。 以上、再伸まで。(また的外れなことを書いてしまったかも知れませんが、その節は悪しからず!)

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 >しかし、どれを見ても、「人間とは○○である」などと結論めいたものは1つもありません。 いや、ですから、質問の中でも『人間(衆生)を定義したものは存在する』というスタンスです。 ということは、回答者様も『縁』が無い方なのか?? >逆に、読めば読むほど、さらに謎が深まるばかりです! それは、『詐欺』じゃないの。 執筆者自体が、完結していないのに、他人に説いてはダメでしょ。 『嘘』を広めることになります。 だから、“読めば読むほど、さらに謎が深まる”のです。 読んで“ストン”と落ちないと、、、、。 要するに、邪宗の宗祖と同類という事です。 例えば、、、、 【十界論】 人間の生命状態というのは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天(以上、六道)・声聞・縁覚・菩薩・仏という10の境涯が存在(具足)し、縁に触れその瞬間瞬間に現れるものである。 【一念三千】・・・天台大師 その十界がそれぞれ十界を具し(10×10=100)、さらに十如是を具し(100×10=1000)、それらが三世間がそなわり(1000×3=3000)三千となる。 この状態が、人の生命の在りかたなのです。これは、段階的な階層ではなく、瞬時瞬時に変化するものですが、全てが無くなるというわけではなく、一瞬(連続した)の生命の中に具足(存在)します。 というものです。 また、その他に『色心不二』、『依正不二』、『九識論』などあります。 面倒くさいのでいちいち説明いたしません。 これらが、厳然と日本の仏教の中にはある(存在する)のですよ。 無い宗派も、あると思いますけれど、、、、。 お時間ございましたら、研鑽してみてください。 地味ですが、西洋哲学には無い事柄もあるとは思いますよ。

noname#260418
noname#260418
回答No.10

>一応、一通り見ていただいた上で、 再度論議しましょう。 議論は運営から禁止されています。 残念。 質問者様から見た「人間について」を 執筆して大ベストセラー。 ここに投稿しても質問者様のような 逸材はいません。ぜひ自費出版を!

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 >議論は運営から禁止されています。 そういう事じゃないよ。 >質問者様から見た「人間について」を 執筆して大ベストセラー。 既に多くの仏教学者が、専門書を出版されています。 また、この質問の回答の中であげている法門は、私が展開強いるものではなく、多くは中国天台以来釈書として日本に伝来されているものです。 ですので、私が出版できるようなしろものではないのです。 私は、それらをほんの少し読ませていただいているにすぎません。

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.9

>自分自身、あるいは他人、様々な事柄で悩みを抱える方は少なくないように思います。 ブッダは人間の悩み苦しみのもとをを生、老、病、死 と大別しました。みーんなまだ完全には解決していません。 > 人間は人間の事を知らないのでしょうか?   もし、そうだとしたら何故学ばないのでしょうか?   根本原因が解明しただけでも、心の病や悩みは前向きへと方向転換できると思うのですが。 ブッダの解決法は 悟りという心の状態へ遷ることですが、生きている状態でそうできるひとは余り居ません。一番簡単な方法は仏になる、つまり死ぬことです。かなりのひとがそうして解決していますよ。 多くの人は(多少学べば)そのくらいのことは分かっているのですが、やはりなかなか難しいのです。

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 >ブッダは人間の悩み苦しみのもとをを生、老、病、死 と大別しました。みーんなまだ完全には解決していません。 “みーんな”・・・とは、、、?? 『四苦』の事でしょうか、、、それとも『多くの衆生』を指していますか?? 釈尊(仏教)の中では、既に解決されていませんか?? >一番簡単な方法は仏になる、つまり死ぬことです。 それは、念仏的成仏を言うのでしょう。人間死んでも、西方極楽浄土には行けません。

noname#260418
noname#260418
回答No.8

#4です。 >とっくの昔に解明されていますよ。 お聞かせください。 >回答者様には縁が無かったのかなぁ~。 分かりません。 とても興味のある話です。

ks5518
質問者

お礼

>お聞かせください。 仏教を学んでください。 全て書かれています。 >分かりません。 これから縁が結ばれるかもぉ~。 真面目な話、人間の心の状態(在りかた)が解説されています。 『十界論』、『一念三千』あたりを参照してください。

ks5518
質問者

補足

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 一応、一通り見ていただいた上で、再度論議しましょう。 ※お例文を忘れちゃったので、こちらに、、、。 ありがとうございます。

noname#211048
noname#211048
回答No.7

問題から目を背けさせる・背けることを許す、先率させる環境があるから、学ばない方向に廻っていってしまいやすいのではないかと思います。 言い訳として、時間がないとか 早く結果をださなきゃとか 失いたくない立場とかがあるとか、問題を解決するよりも過ごしやすくなりさえすればいいやと例えば問題に蓋をするとか。 心が強ければ環境なんか寧ろ駆使して学ぶんでしょうけれど、「問題がでかすぎて負いきれない」と判断して諦めてしまう弱さには 環境のサポート力とは心強いものだとー思いますで括ってしまいますがー思います。

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

  • yuniko99
  • ベストアンサー率15% (31/204)
回答No.6

人間は人間の事を結構知っています。ご自分でも生きてきた中でご自分の事や他人の事を結構知ってるでしょう? しかし何でもすですが 全てを知ることはできません。 自分のことをよく知っている人もいれば、他人のことばかり考えてる人もいます(良し悪しは別として)哲学的に考える人もいれば心理学的に知ろうとする人もいて、科学的に知ろうとする人もいれば宗教的に知ろうとする人もいます。 根本原因は私も高校生の時から考えて大分分かりました。が 説明してもなかなか分かって貰えません。人間は結構複雑で面白いです。

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.5

人間は人間の事を知らないのでしょうか?     ↑ 人間を知るのは、非常に困難です。 肉体もそうですが、脳が複雑過ぎます。 現代の科学でも手に負えない部分が大多数です。 人間は社会をつくります。 その社会がまた複雑で、これまた手に負えません。 経済学が当てにならないのは、複雑な人間が 織りなす複雑な社会が対象だからです。 ”もし、そうだとしたら何故学ばないのでしょうか?”      ↑ 世界中の学者が研究を続けていますよ。 それでも、よく解りません。 専門家でも解らないのですから、素人に解る道理が ありません。 それでも、皆、何らかの形で学ぼうとしています。 本を読むのも、映画を観るのも、恋愛するのも 子供をつくるのも・・・・見方によっては総て人間を 学ぶためです。 最近はより直裁的に人間を研究しようとする傾向が 強くなっています。 愛情学やら、行動認知心理学等々です。 ”根本原因が解明しただけでも、心の病や悩みは前向き  へと方向転換できると思うのですが。”      ↑ その根本が難しいのではないですか。 ”やはり、人間は馬鹿な生き物なのでしょうか?”      ↑ 人間が人間を解明つくせたら、その時、人間は 神になっているでしょう。

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 >その根本が難しいのではないですか。 そうでしょうか?? 何も『人間に関するすべての事を科学的に解明しなさい』とは言っていません。 >人間が人間を解明つくせたら、その時、人間は 神になっているでしょう。 いえいえ。神ではなく、既に仏という存在があるのです。

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