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自分と周囲は全く違う生き物だと思う方法

人が生きるうえで辛いのは他人との比較による嫉妬、劣等感だと思います。なぜ比較してしまうのかいろいろ原因はあると思いますが、最も根本的な原因は相手も同じ人間だからではないでしょうか? ゴキブリやウサギとは比較したりしません。つまり自分は周囲とは全く違う生き物だと思えれば非常に楽な生き方が可能になるのである。どうすればできますか?

みんなの回答

  • ye11ow
  • ベストアンサー率40% (230/564)
回答No.12

異質な人間の多い、より多様性の高い集団の中で暮らすことです。 似たような人間ばかりが群がり集まる典型的な日本の会社のような場所では、 皆が同質性に安心を求める風潮があります。 同質であることが集団の主要な構成要因であるため、そのような場所では好むと好まざると、 同質であるかを判定する「比較」というものの見方から逃れられません。 所属する集団の個人個人が、年齢、性別、国籍、知的能力、身体的特徴、趣味嗜好、経歴、担っている役割、 その他あらゆる点で、大きく異なっていれば、もはや比較することの意味がなくなります。 周囲の人間が、生物的に同じ人間であるという事実を偽って解釈することは困難かもしれませんが、 パーソナリティーの異なる全く別種の人間だとして解釈できるような境地を得ることは十分可能でしょう。 それ以外には、離れ小島で動物や植物と一緒に暮らすという方法もあり得ましょう。

  • -micchi-
  • ベストアンサー率9% (2/21)
回答No.11

どこのレベルで考えているかどうかだろうな。 ゴキブリにはそこまで考える思考能力はもともと無いわけだし。 そんなものと比較せずに去るとでも比較してみたら? 人間の社会関係と似通っているものだから、なにかと参考になるかもよ? 種族差まで行く前に、あんたはあんた、他人は他人と考えたらイイだけだろ? まあその前に、あんたが自分が不安だから他人と比較していることには気づく必要はあるだろうな。 根本から解決していけや。

  • orlea
  • ベストアンサー率21% (21/99)
回答No.10

質問に沿って答えてみますね。 >どうすればできますか? つまり周囲の人間(生物)は自分とは全く違うものだと思うにはどうすればいいのか、と。 人と接しないければいい、としか言えないですよ、それは。 他人と接する時、まずその根源の一つにどんなに微かでも「もし相手が自分だったら」っていうのがありませんか、どんな人でも。 例えば、人と挨拶するとき、あなたが挨拶するのはそりゃ常識だからなのかもしれませんが、それでも相手が自分だとしたら挨拶されて当然だから、というのがやっぱりあるじゃないですか。 誰でも自分は周りと同じだから、この時はこうする、あの時はこうする、ってするんじゃないんでしょうか。 自分を回りとは違うものだと完全に捉えることに成功するば、その時本当に文字通り全く違う生物になるだけだと、そう思いますね、私は、ですが。

noname#97062
noname#97062
回答No.9

「比較」という言葉を、日本人は間違って使っていると思います 本来、比較することは良いことだと思います このような話を聞いたことがあります 日本の学校の先生は 「なぜあなたはほかの人と同じにできないの!」と言うそうですが 欧米では、同じことをしていると 「なぜあなたは自分で考え行動できないの?!」と言うそうです 誰ひとり、同じ人間は居ません、才能も特徴も特技も様々でしょう それを型に嵌はめて大切な個性を粗末に、ないがしろにしています 比較することによって、それぞれの人の良い所が解ります "IDENTITY" も比較から芽生え、育まれると思います > 周囲とは全く違う生き物 そのような考えで、助け合いや、愛し合うことが可能でしょうか 私たちは同じ人間ですが、それぞれに特徴も人格も全く違います その違いを互いに尊重し合うところから全てがスタートすると思います 貴方が何歳かわかりませんが、そのような考えで周りや社会の人々と 協調して幸せに生きていけるでしょうか 貴方が違う生き物と思えば、相手も周りも貴方を違う生き物と見ます それでは、お互いに不幸だと思いませんか 全く違う生き物だったら、戦争や殺し合いになりそうで心配です 「比較」することで、お互いの良いところを認識し合って、助け合い 協力し合ってみんなが幸せに生きられる社会にしたいものだと思います どう思われます

noname#132831
noname#132831
回答No.8

 自分らしさを判って、自分らしさを受け入れ、好きになることだと思うのです。ウサギが「もしもし亀よ亀さんよ、…どうしてそんなに遅いのか?」と挑発しても、亀さんは「それならお前と駆け比べ♪」などと、挑発に乗ってはいけなかったのです。物語ではウサギが油断をして亀が勝つのですが、現実の世界ではそのような奇跡はめったに起こりません。駆け比べではなく、「それならお前、水の中を泳いでみろ!」と言い返してやれば良かったのです。100人いれば100通り、1000人いれば1000通りの生き方があると思うのです。  相手と競合関係にあるのなら、比較して勝った負けたを気にするのは、これは仕方のないことだと思います。問題なのは、直接競合関係にないにもかかわらず、ひとの幸せがおもしろくなかったり、ひとの失敗を喜んだりしてしまうことです。ワイドショーで有名人の離婚や破局をこれほど取り上げているのは日本くらいだそうです。神経症的競争と言うそうです。  悩んでいる人は、「自分の悩みが世界で一番大きな悩みだ」と思っていて、笑顔の人を見ると「あの人は悩みなんて無いんだ」と勝手に想像して決め付けます。本当はとても大きな悩みを抱えているかも知れないのにです。悩んでいる人がどれだけ多いかは、このQ&Aサイトを見ても判るでしょう。外見だけではわからないものです。  容姿でも性格でも経済面でも、まあ何でもいいんですが、「よくあんな人と付き合ってるなぁ」と思う人がいます。でも「自分にとってはこの人がいいんだ」と満足しています。そういう人は、自分にとっての満足、自分の気持ちがよく判っている人だと思います。他人の満足より自分の満足を考えている人です。値段の高いステーキより、牛丼の方がいいと言える人も、自分にとっての“満足”が解かっている人でしょう。  今すぐ変わらなくても、質問者様がそう望むのなら、いつかはきっとそうなるでしょう。アドラー心理学あたりを調べると良いかもしれません。

  • suunan
  • ベストアンサー率14% (224/1569)
回答No.7

その説が成り立つためには 「ゴキブリやウサギが人間より優れている」ことが 条件なので成り立ちません。 あなたが人間扱いしたくない人たちは あなたより優れているからです。

  • mick32
  • ベストアンサー率55% (107/193)
回答No.6

嫉妬心は自尊心と深い関連性があると言われています。 見た目とはあまり関係がありません。 例えばウサギがあなたの上司だと仮定して 働かず草食べているだけであなたの給料の倍貰っていて 職場の女の子と不倫関係にあった場合あなたは嫉妬心を抱きませんか? 結局は自尊心を満たすような人間になれるよう努力するしかないのではないでしょうか? 万が一見た目で嫉妬心が発生しないのであればアジア圏以外の 外国で暮らすことをお勧めします。

noname#67813
noname#67813
回答No.5

>つまり自分は周囲とは全く違う生き物だと思えれば非常に楽な生き方が可能になるのである。 私の場合は少し違って、自分と周囲を「比較する」というよりも「個性は人それぞれ」という風に捉えるようになってから、楽になりました。 他人の良い面を見てうらやましがったり妬む事があったとしても、人はみんな+の面と-の面を平等に持っているので、みんな自分なりの苦労があると思うんです。 人当たりが良くて社交的な人は、逆をつけば嫌な人にまで好かれてしまう(友人で、ストーカーに遭った人がいました)お金持ちの人は、素朴な楽しみを忘れがちになる、夢に生きる人の生活はギリギリだったり、等。 自分は周囲と比べて劣ってもいないし逆に特別でもなく、それぞれの中の一人、という考え方の方が人間らしくいれると私は思います。

  • link-life
  • ベストアンサー率23% (3/13)
回答No.4

「長所や短所は人によって違う。それに長所の部分が秀でて過ぎて、短所になってしまう。」と劣等感を感じた時にこう考えるようにしています。

  • nori21st
  • ベストアンサー率15% (134/862)
回答No.3

考え方が逆です。 相手をゴキブリやウサギと考えるのではなく、 貴方がゴキブリやウサギになるのです。 人間がゴキブリやウサギを比較しないのと同様 ゴキブリやウサギも人間に対して比較しません。