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他人に厳しい人間は本当に相手の事を考えてますか?
ちょっと希望を言ったり弱さを見せただけで『甘えるな』『社会はそんな甘くない』と返すような人。 人がたくさんいるところで怒鳴り、馬鹿にし、死にたくなるくらい屈辱的な言葉を吐いたり。 特に上司や先輩といった年上が年下に言う事が多い。 彼らは本当に相手のことを思って言っていますか? 自分がかつて年上に同じような事をされたから 自分より他人が良い思いをするのが気にいらないから とにかく他人をいじめたいから という感情が見え隠れしているように思えます。 欠点が何一つ見当たらないような超人が言うのならまだしも、大半は何らかの弱さを持っている筈なのにそんな事はたなにあげていておかしいと思います! おまけに欝などの病気を抱えてる人に対して『甘えるな』などと言う無知な人間もいます。 私はこういう一方的に厳しい事ばかり言う人間が許せないし、自分自身そういう事を決してしません。 勿論褒めちぎればいいって訳ではありませんが、「貴方の○○な部分は認める。でも○○な部分は直した方がいいんじゃないかな?」 という感じの指導が一番妥当だと思います。本当に相手のことを思うなら。 他人に厳しい人間は何を考えているのか、教えてください。
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- a123a123
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安直に「他人に厳しい人間は本当に相手の事を考えていない」と考えるのは明らかに間違っています。 というより、あなたの場合、職場という仕事をするための場で「もっと楽して給料が良い仕事がしたいな。もっと私に優しくしてよ。おれ病気なのに頑張っててすごいってほめてよ。」とか考えてるんじゃないですか? なぜ職場で部下や上司の顔色を伺いながら、「あいつは確かに失敗をしたけれども頑張ったから叱らないでやるか」などという意味不明な結論に至るのでしょうか? 上司としての立場からものを言いますと、失敗や間違いを起こした部下をその場ですぐに怒鳴り、厳しく叱らないような人間に会社で指導者たる資格はありません。 「バカか、おまえは!」という一喝は必要不可欠です。 >「貴方の○○な部分は認める。でも○○な部分は直した方がいいんじゃないかな?」 などという甘っちょろい物言いをされて自分の行為を深く反省し、二度と同じ失敗は許されないと思える人間など世の中に数えるほどしか居ません。 例えば、焼け石を触ったらすぐに痛さと熱さからすぐに手を離し、二度と触れようとは思いません。しかし、触ってしばらくしてから「ああ痛かった」というのでは行動は直りません。 問題を起こした時、翌日になってから別室に呼んで、「おまえは昨日こうだった」という程度では、「わかりました」とはいいますけれど骨身にしみてわかってはいません。 自分がいい加減な仕事をし、失敗したとき、間髪いれずに、強烈に叱られたことで、自分の非がすぐにわかるから直るのです。 学校教育と会社での仕事は勝手が違うのだということを常々考えなおして欲しいものです。 ただ単に叱っているのではなく、叱られた人が「そうです。おっしゃる通りです。そこまで考えていませんでした。改めて考え直します。」と本心から思えるようにならなくてはなりません。 「これではおかしいだろう」という程度ではそうはならず、そういう気持ちにさせるためには本当に厳しく叱らなくてはならないのです。 しかし、中には厳しく部下を厳しく叱れない上司がいます。 そのような上司は、やはり上司として失格だろうと思います。職場の指導者は務まりません。 厳しく叱るのはかわいそうだという気持ちがどうしても先行するのです。 優しい心根を持っているのだろうと思いますが、それは、別の見方をすれば、「お互いに欠陥があり、お互いが不十分だから」と、上司と部下が互いに欠点を認め合い、傷をなめ合って事をすすめていくやり方なのです。 ただし、厳しく叱り、厳しく接していくことができるようになるには、自分自身にも厳しくなければなりません。 自分がいい加減なのに部下を叱ってみたところで、通用しません。 厳しく叱るには、やはり自分に対して厳しくなければならないのです。 部下を叱れば、それは翻って自分自身に返ってきます。自分が厳しい生き方をできないものだから、なあなあで部下を許しているのです。 また、「おれは課長だ」「おれは部長だ」と威張っている上司がいますが、威張って叱るのはとんでもない話です。 地位で威張るのではなく、課長にしろ、部長にしろ、役員にしろ、部下の過ちを注意しなければならない立場だから部下に厳しく、さらには自分にも厳しくなければならないのです。 厳しい上司でなければなりません。 厳しくなれない人は、自分自身に対しても厳しくなれない人でしょうから、指導者、上司としては失格だろうと思います。
トピ主様に同感致します。 私自身も、年上から嫌味を言われたりお説教(に近いものも含む)を言われたり、聞いたりをしてきました。 ただ、仕事上やその中での付き合い方について本当に間違っている場合ならば素直に認め、ご指導を受けます。 しかし、そうではない場合も多々あります。 その昔、件の年上が私の年齢だった時に経験した環境と同じ場合は、その時に件の人が他人から受けた言葉と考えられるような言葉を投げ付けてきたり、メールをよこしてきたり…をされます。 不思議なのは、当の本人も同じような経験をしてきたのに、それについて理解をした文章が全くと言って良い程ないのですね。 「打開策は無いのだからこんな事に労力を使うな。」とか、「自分も同じような経験をしたが、その事については無理解だ。」、「昔はそういう事があったが、今は全然関係ない。」等と、人としての感情と心の片鱗がひとつもない事例です。 経験があるのならば、年下や聞く側の立場に立ち、物事を客観的に捉えて心ある会話をしたら済むのに…と思います。 これが出来ない理由は「年上ヅラをしていたい」、「いじめ」、「相手の心を考えようとしていない」、「主観的見方しか出来ない」「元々性格が偏狭」…が考えられると思います。 年上が、自分が弱かった時の事を棚に上げて、心ない事を年下に言うのは、単に虚勢を張りたいだけなのでしょう。 私も、こんな年上に出くわした時には、反面教師としています。あんな人には絶対になりたくないです。 そして、「教える」ことには誠意を持ち、心ある態度で接したら、伝えたいことも自ずと伝わると信じています。 言葉や文章には人格がそのまま出ます。メール1本、書簡1枚、言葉は大切なツールであり、心を伝えるものなので常に気を配っているつもりです。 示す言葉が
- ojasve
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他人に厳しい人間は、別に相手のことを考えているのではないのです。自分に自信をつけたいために、自己を正当化するために、他人を批判し、自己を正当化するのです。 いかにも自分に自信をもっているふりをしていますが、そういう人は人から認められていません。認められているような人は、わざわざ、他の人に自己顕示しません。それこそ、相手のことを思ってアドバイスしてくれることでしょう。 ただそれだけ、相手を傷つけるとか、いじめるとかいうつもりがある場合もない場合もありますが、それが相手がどんな気持ちになるかなんてことには気持ちが及ばないのです。単に自分のことを考えているだけ。 そういう心貧しい人なのです。 ですから、わざわざ傷つく必要も従う必要もなし、相手の自己顕示欲を満足させてあげるボランティアをやったんだと、満足しましょう。
- Lucky_Bell
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No.11の方の回答にあるように人それぞれだと思います。 本田宗一郎氏はスパナでなぐる程厳しかったらしいですが、弟子の会社を潰した時、その理由が憎しみからだとありました。 もっとも下手に相手の事を思っているようにみせかけるよりはよっぽど正直かも知れません。 >自分がかつて年上に同じような事をされたから その時に植え込まれた怒りなどの感情の発散の仕方を知らないと結局、いい事を考えていてもそのマイナス感情通り他人が嫌がる行動をとり、言っている事とやっている事がバラバラの人間ができあがります。 実体験から。 >私はこういう一方的に厳しい事ばかり言う人間が許せないし、自分自身そういう事を決してしません。 許せない事から自覚できないマイナス感情が潜在意識に眠ってしまいます。 不発弾ような状態ですね。 その状態で決してしないかどうかは非常に疑問です。
- dai-ym
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人それぞれ。 自分のうさ晴らしに怒る人もいれば、他人のことを考えて真剣に熱く怒る人もいます。 同じ行動をとる人がみんな同じことを考えているわけではありません。 >欠点が何一つ見当たらないような超人が言うのならまだしも、大半は何らかの弱さを持っている筈なのにそんな事はたなにあげていておかしいと思います! この考え方は間違いです。 人に注意するときに自分が完璧に出来てないとしたら誰も注意できなくなります。 人に注意し叱るときには自分を棚上げすることも必要です。 誉めるときは誉める、叱るときは叱るメリハリは大事です。 叱るときにも誉めてから叱ると、叱られているのか誉められているのかわかりにくくなります。 普段ちゃんと誉めていれば、この人はちゃんと見ている、その人が叱っているのだからここは自分が何か悪い部分がある。と叱られる方もわかります。 TVTV-さんがそのように叱っているのは、その方が効果的だと思っているからですか? 違っていたら申し訳ありませんが、もしかしたら、自分が怒鳴られ罵声を浴びるのが嫌で、そのように叱ってないでしょうか? もしそのような考えなら、それはTVTV-さんも相手のことを思ってしかってないことになります。 質問文から、そのように感じたものなので。
- toshipee
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>人がたくさんいるところで怒鳴り、馬鹿にし、死にたくなるくらい屈辱的な言葉を吐いたり。 言葉にもよりますが、上のパワハラに該当するようなことを除いて。 大人になって、自分がされたことを後輩にするほど、小さいことを覚えていてそれを実行する暇など社会にはありません。個人的環境で対応を変えるのも仕事には不必要。つまりは、私にとって効率的に仕事を進めるということは、自分の仕事に理不尽にジャマな人・モノを整理し、不必要は排除したいだけです。 自分が中堅になってすごく思うんですが、自分を怒ってくれる人が定年退職したりして少なくなって、自分が指導しなければいけない立場に立ったとき、後輩を「怒るってエネルギーいる」と痛感しました。「怒ってくれる人って、自分が嫌われるかも知れないのに、よくそこまで見切れる」と感じました。しかし、その人の言葉も所詮はその人の経験からの言葉。我々はその「人」にとらわれることなく、その言葉のいい部分だけを盗んでいけばいいのです。「間違ってるかも」ってところは、自己の経験によってそれを証明すれば、怒られたことは、逆に「あんたが間違ってたやないか」と自信に変わる。 そこまで嫌われることに徹しようとしない私は「怒る価値のあるとした人」と、「その価値なし、そのままノウハウが伝わらずに自滅してしまえばよし」という人に分けています。怒る価値の人には「いずれ自分の位置まで来たときにわかるだろう」と認めたつもりでいます。ただし、怒った後で、改善されつつあるときは、絶対にそれを褒めようと思いますが。その価値なしの人には、ひたすら冷静にミスだけ現実問題としてつつくだけです。一人の戦士として社会人にそこまで守る義務はありませんから。 会社は学校ではありません。こう考えると、ここまで来た私には「怒ってくれる人って結構大切やで」と痛切に思います。
- sunsowl
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会社で上司やっています。他人には厳しいほうだと思います。 質問を拝読し、感じたことですが、 >人がたくさんいるところで怒鳴り、馬鹿にし、死にたくなるくらい屈辱的な言葉を吐いたり。 ということと、質問タイトルの >他人に厳しい人間は本当に相手の事を考えてますか? とは、論点若干ずれている気がいたします。 前者は完全にパワハラでしかないので、指導方法を改善すべきでしか解決が得られないかと思うのですが、 他人に議しい人間は相手のことを考えているか?という問いについては、ケースバイケースだと思います。 私が部下に対し注意指導を行なうのは、ひとつには部下の育成のため、もうひとつは「会社のため」です。 部下に対する指導のすべてが、別に部下のためという訳ではありません。 >欠点が何一つ見当たらないような超人が言うのならまだしも、 大半は何らかの弱さを持っている筈なのにそんな事はたなにあげていておかしいと思います! 「思います!」って、元気があっていいですね(笑) そう仰るなら、他人に指導できるのは「神」だけということになりますけど…。 私自身も、完璧な人間ではありません。 しかし、会社という組織で部下を統率し、事業の成功に向かって進んでいくためには、 怒りたくなくても怒らなければならないシーンも多々あります。 仕事や職場環境にもよりますが、物腰の柔らかい言い方だけではチームの動きがたるんできたり、 部下が上司を舐めてかかったりするため、 その危険が感じられる現場では、自分の立場を示すためにも、 嫌でもバシっと言わなければならないこともありました。(当然、常識の範囲内ですよ) そういう態度を取ったことで「嫌なヤツ」呼ばわりされるのは仕方がありません。 最早、上司の宿命だと思っています。 しかし、普段から上に立つ立場の人間として、ちょっと怒ったくらいで部下に不満を持たれたりしないよう、 上司として恥ずかしくない振る舞いや行動を心がけているつもりです。 上のほうに、自分は他人に厳しいほうだと書きましたが、 私の場合は「他人に厳しいだけではなく、自分には他人の何倍も厳しくする」 ことを信念として掲げています。
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
そういう厳しい教育を受けたからこそ、それまで甘かった自分がきちんとした人間になることができた、と感じている人は、そういう接し方をしますよ。私に言わせれば、「自分が受けた教育が万人に当てはまるとは限らないのになあ」と思います。 >勿論褒めちぎればいいって訳ではありませんが、「貴方の○○な部分は認める。でも○○な部分は直した方がいいんじゃないかな?」 という感じの指導が一番妥当だと思います。本当に相手のことを思うなら。 私に言わせれば、「自分が妥当だと思う教育が万人に当てはまるとは限らないのになあ」と思います。ちなみに、私が子供の頃は、厳しい教育が当たり前でした。
- -lui-
- ベストアンサー率17% (27/152)
自分に自信がないから、人を叱る事で自分を誇示したいんでしょう。 人前で言うタイプには二種類いて、今のタイプと、叱りにくい人を 叱りやすい人を叱る事で婉曲的に叱っているというタイプです。 まぁ、どっちにしても貴方にとってはたまらないですね。 気にしないようにするしかありません。 会社を出たら忘れましょう。 ただ、一言言わせてもらうと、‘上司というもの’は、自分の事を棚に あげないと部下を叱れません。 「棚にあげてオカシイ」と貴方が啖呵を切るのには賛同出来ません。 なぜなら、会社にとって有益な事は完璧である事。 完璧じゃない人間が完璧じゃない事を促すのであれば会社は発展しま せん。 上司ではなく、会社に叱られてると思いましょう。 まぁでも、文章読んでる限りでは、貴方は甘い人間なのかもしれません ね。皆が皆、自分の事を思ってくれると思うのは大間違いですよ。 指導が妥当か否かは貴方が指導するときに考えればいいこと。 人の指導に於いてまで指図するのは高慢です。
- real_anpanman
- ベストアンサー率47% (9/19)
パワハラに近いものがありますね。大体、怒鳴るような人は自分に自信がない方が多いいです。自分の弱い部分を相手に見せたくない為に怒るのでしょう。ただ、上司や先輩の方も下っ端の時期に色々とTVTV-さんのように怒鳴られたり甘えるななど言われて来たため自分の部下や後輩に向って同じように接すれば良いと思っているのかもしれません。人間は確かに厳しく接することで成長することもあります。しかし、いま「怒る」と「叱る」を区別できていない人が増えています。TVTV-さんのような方は相手への思いやりと理解を持っているだけでも、その上司・先輩よりも何倍も”強い”と私は思います。怒鳴る方への対処としては怒鳴っても「絶対に相手の目を逸らさない」ことで少しは相手が委縮します。また、フォローとしては「貴方の○○な部分は直した方が良い。でも、○○の部分では感心してるし認めてるよ。」と後にフォローをつけたほうが相手も素直に聞いてくれます。 長文でアドバイスになったかは分りませんが・・^^;参考にして頂ければ幸いです。”自身を律し、他に優しく”は人間にとってかなり難しいことです。。
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