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国民という言葉について

 「中世の大和国では、興福寺が領内の在地名主層を御家人(衆徒)、準御家人(国民)に起用して武士団に編成し、平時には荘官を勤めさせた。衆徒は興福寺僧徒で末寺坊主、国民は春日大社の神人で末社神主として俗体であった。」    この文章の意味自体が知りたいです。  特に知りたいのは、国民という言葉の意味についてです。  

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  • SPS700
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回答No.1

 中世の興福寺管内では、名主の層を二分して、衆徒からなるなる御家人と、国民から成る準御家人と名付けて武士団を作った。平次には荘官の所ごとをさせた。「衆徒」は末寺坊主(=宗教組織に属するもの)であり、「国民」は春日神社の神人で、末社神主として俗体(=仏教徒は無関係で世俗のもの)であった。  もともと国民とは、国司の掌握下にあった者という意味ですから、宗教組織の一部(=坊主)でないという意味でしょう。

disaster
質問者

お礼

ありがとうございます (*´ー`*)

その他の回答 (1)

  • ithi
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回答No.2

disaster さん、こんにちは。 中世の大和の国では興福寺が寺の所領内の在地名主層を興福寺の直属の家来あるいはそれに次ぐ地位として、起用し、興福寺の直属武士団を編成し、平時は興福寺や春日大社の荘園の管理者を務めさせた。衆徒は興福寺の末寺の僧侶の姿と身分で、国民は興福寺に密接する春日大社の神官で世俗の姿であった。 国民は春日大社の神人の身分を持つ大和国の土豪武士というのが本来の意味だそうです。 詳細は下記のURLを参照ください。 衆徒 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%86%E5%BE%92 国民 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91_(%E6%9B%96%E6%98%A7%E3%81%95%E5%9B%9E%E9%81%BF)

disaster
質問者

お礼

興福寺は藤原氏のお寺で、確か法相宗でしたね。 ご回答ありがとうございます。 (*´ー`*)

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