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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「言葉って」 言葉の感じ方、言葉の使い方)

言葉の感じ方、言葉の使い方とは?

このQ&Aのポイント
  • 言葉の感じ方や使い方についての質問です。読書や話を聞く際に、言葉の意味を明確に捉えることが難しいと感じることがあります。特に抽象的な文章や比喩表現が使用される場合、その意味を具体的にイメージすることができません。自分が言葉をどのように感じ、使い分けるのかについて考えています。高度な本を読むほど言葉が難解に感じることもあり、言葉との関係について不思議に思います。他の方の意見を聞きたいです。
  • 言葉の感じ方や使い方についての悩みを抱えています。読書や話を聞く際に、言葉の意味を具体的に捉えることが難しいと感じることがあります。特に抽象的な文章や比喩表現が使用される場合、その意味をイメージすることができません。高度な本を読むほど言葉の理解が難しくなり、言葉との関係性に疑問を抱いています。皆さんは言葉をどのように感じ、使い分けていますか?ご意見をお聞かせください。
  • 言葉の感じ方や使い方についての質問です。読書や話を聞く際に、言葉の意味を具体的に捉えることが難しいと感じることがあります。特に抽象的な文章や比喩表現が使用される場合、その意味をイメージすることができません。高度な本を読むほど言葉の理解が難しくなり、言葉との関係について深く考えるようになりました。皆さんは言葉をどのように感じ、使い分けているのでしょうか?ご意見をお聞かせください。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

言葉というのは純粋に感覚的なものです。 例えば「動く」という言葉は辞書を当たると「ものの位置が変わる」という意味ですが、では「もの」とは?「位置」とは?「変わる」とは? 「もの」という言葉は「空間のある部分を占め、人間の感覚でとらえることのできる形をもつ対象」と辞書にありますが、では「空間」とは?「部分」とは?…… こう考えていくと、辞書を言葉の定義とするならば、全ての言葉は定義づけがきちんとなされていないことが分かると思います。言葉を言葉で説明する限り、この堂々巡りからは逃れられません。 つまり言葉を感覚抜きで論理的に理解している人間はいません。だからコンピュータに言葉は理解できないのではないか?という論理が往々にしてあったりします。 私はそういう風に理解しているので、言葉が上滑りしているように見えてもそういうものだと思うことにしています。もちろん世の中には悪文というのがあって、本当に筆者はこの文章の意味を理解して書いているのか?と思うような文章もありますが、観念的な事柄を語る上では多少の言葉の上滑りはしょうがないのです。特に筆者に共感できないとそうなりがちです。

nohohon-nohohon
質問者

お礼

お礼が遅くなりまして申し訳ありません。 いろいろ考えることができました。ご回答ありがとうございます。 今まで言葉を言葉として理解しようとしていました。 その奥にある感覚をいまいち掴めていなかったですね。 よく考えてみると 人によってそれぞれ違う感覚を言葉で表わすわけですから、 言葉を選択するという行為も人によって異なるし 受け手の方の解釈も人それぞれですよね。

その他の回答 (3)

noname#194996
noname#194996
回答No.4

はじめまして のほほんさんの文章は明晰で分かりやすいと思います。 多分、貴方が分かりにくいと仰る文章は、その文章に問題があるのではないでしょうか。 そんな気がします。 私などが文章を書く目的は、あらかじめ内容をしっかり把握していて、それを出来る限り正確に相手に伝えようとして書く場合と、そうでなく、まとまらないまま文に書いてみることでぼんやり思っていることを自分ではっきりとさせる場合の両方があります。 いずれも、誰がそれを読んでも間違いなくひとつのイメージにたどりつくという文章が理想です。言葉というのは物事や心をひとからひとへ正確に伝達するための道具ですから、世の中の、一流の人たちが書く大抵の文章(書かれてあるもの)はそういう機能を備えているはずです。 気をつけねばならないことは、話し言葉(会話)の方です。こちらのほうはかなりアバウトです。いい加減な言葉が飛び交っています。 >私は言葉に対して明確さ・的確さを求めすぎなのでしょうか。 そんなことはないと思います。こんな書き込みのサイトでも、中には頭が痛くなるような文章があります。そういった文章には近づかないほうがいいと思います。   また、小説の文章とか、詩とか言うものには、わざに正確に書かず、ちょっとぼかして複数のイメージが現れるようなものが時折りあります。また、書いた人もわからないまま自由に書いて、それがまた読む人に不思議なイメージを与えるというようなものもあります。 そんなものは最初は敬遠して、分かりやすい、皆がよいという定評のあるものから読まれるのがいいのではないでしょうか。 やはり、いい本を沢山読書をされることが自信をつける早道だと思います。

nohohon-nohohon
質問者

お礼

ふと思ったのですが、 誤用された言葉が世間一般に広まって使われるように 悪文が悪文ではなくなることもあるかもしれませんね。 言葉は生きているということを頭の片隅に置いておかなければなりませんね。 丁寧なご回答ありがとうございました。

回答No.3

私はそういった抽象的な表現にあまり抵抗がない人間です。 読書が好きで、幼いころからたくさんの本に慣れ親しんできたことが理由に挙げられます。 別にnohohon-nohohon がおかしいとは思いません。 同じ言葉でも著者によって表したい内容はうこともありますし、日本語という言語自体、非常にあいまいなものの上に成り立っていたりします。(その不安定さから志賀直哉が「日本の公用語は日本語からフランス語にかえてはどうか」と提案したほどです。) nohohon-nohohon さんのおっしゃるような事を感じていらっしゃる方々はたくさんおられるでしょう。現に私もたまに首をひねるような表現にあうことがあります。 ですが、時間をおいて考えたり、ほかのものを読んでいるうちに「ああそういう意味だったのか」と唐突に理解したりします。 あまり深く考えず慣れの問題だと思われてはどうでしょうか。 「言葉」というものは誰しもはじめからもっているものではありません。 さまざまなことを経験し、それを見聞きした文字の羅列とすり合わせて「言葉」と認識しているのだと思います。 nohohon-nohohon さんの読書量などは存じ上げませんが、まずは軽い読み物などから初めて自分の中の「言葉」とすりあわせ、納得できたものから自分の中にとりこんでいく。といのも一つの手かもしれません。 長文失礼いたしました。

nohohon-nohohon
質問者

お礼

お礼が遅くなりまして申し訳ありません。   言葉と経験・体験とが結びつくことによって 真の理解に近づくことができるのですね。 ご回答ありがとうございます。

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.1

こんにちは。 一人目の回答がいきなり異端の回答で、すみません。 私は抽象的なな言葉がたくさん入った文章を読むことに、ほとんど抵抗感はありません。 また、抽象的な言葉を入れた会話にもついていけます。 かといって、読書量が多いかといえば、むしろ極端に少ないです。 私はすでに中年ですが、これまでの人生で1冊通して読んだ本は、教科書以外ではたぶん20冊もなく、小説本に至っては1冊を完読した経験はゼロです。 では、どうやって抽象的な言葉を「入手」したかというと、耳で入手したのです。 耳で聞く言葉というのは生きていますから、文脈や話し方や雰囲気で意味がわかってしまいます。 たまに意味がわからないときや、漢字でどう書くかわからないときは、辞書を引きます。 本を書くような人(評論家、学者、解説者)の話をテレビ番組で聞いていると、自然と語彙が増えます。 ある程度の数の抽象名詞を耳で会得すると、文字として新しく出合う抽象名詞にもアレルギーを感じず、どんどん覚えることができます。 私達はもともと言葉というものをどういう順番で覚えたかというと、最初は耳で、その後に文字だったはずです。 それは大人になってからでも、あまり変わらないことなのです。

nohohon-nohohon
質問者

お礼

迅速で丁寧な回答をいただいたにもかかわらず、お礼が遅くなって申し訳ありません。 五感を使って言葉のイメージを体で掴むことが大切なのですね。 参考になりました。ありがとうございます。

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