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死への恐怖
「死」が怖くて考えて眠れないことはありましたか?どの様に気持ちを切り替えたり、「死」への恐怖をなくせましたか? 最近出産したのですが、中々眠れず「死ぬときはどんな感じか」「死後はどうなるのか」「死が近づいたときは…」「亡くなったら私の子は…」「私も早死か」「生まれる前は…」など考えてしまいます。 子どものころ親が亡くなったときも、眠れず考えたことがありました。 宜しくお願いします。
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- ways
- ベストアンサー率31% (79/253)
死ぬことに恐怖を感じる必要はないですよ? ただ、死ぬだけなので。死ぬ時は死ぬ、それまでは生きる、と割り切った方がいいです。死ぬということは、人生を卒業すること。もう、頑張らなくてもいいよ、休んでね、ということ。だから、子供に教え、しつけていくんです。親が死んでも、自分の力で生きていけるように。そして、思い出を胸に、時期がきたら、旅立つ。 生まれる前は、仏様の世界にいます。神様と言ってもいい。そして、目標が生まれ、また地球に生まれたいという意思が固まったら、仏様と親を決めます。みんな、自分で親を選んで生まれてきます。そして、自分のこれからの人生に何が起こるか、あらかじめ予習をしたあと、改めて、この親と人生でいいか、話し合います。僕は、前世の記憶があるし、生まれる前にいた世界の記憶もあるので、確かです。そして、人生が終わったら、仏様の世界に帰ります。そして、先に亡くなった親しかった人たちに会って、話をします。人は大抵、病気で亡くなるか、老衰で亡くなるかのどちらかです。いきなり死ぬわけではなくて、ゆっくり、何かきっかけがあるのが普通です。そこで、心の準備ができます。
- macmac55
- ベストアンサー率0% (0/2)
無理です。親をひたすら恨んでいます。
お礼
大変遅くなり申し訳ありません。 親を恨むこともありますよね。
「生」と「死」に直面した からでしょうか。
お礼
大変遅くなりすみません。 そうかもしれません。そうかなぁとも思いました。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
死への恐怖は退屈への恐怖と同じでは。またしたいことができなくなるというのも退屈の裏返しでは。
お礼
大変遅くなりすみません。 退屈への恐怖ですか…なるほど似ているかもしれません。…難しいです。 ご意見ありがとうございます。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
"「死」が怖くて考えて眠れないことはありましたか?" ↑ ありません。 ”どの様に気持ちを切り替えたり、「死」への恐怖をなくせましたか?” ↑ 死は怖いけど、眠れない、なんてことは ありませんでした。 死への恐怖を無くすには長生きすることです。 90歳を過ぎてから死ぬと、苦痛も恐怖も無く 死ねるそうです。 百歳を超えると、こんなに長生きさせてもらって・・ と感謝のうちに死ぬそうです。 最近、実証研究でこういうことが判ってきました。 だから、せめて90以上まで生きることです。 そのためには、健康管理をきちっとやるしか ありません。
お礼
大変遅くなりすみません。 90まで生きられたらそう思うかもしれませんね。 せめて子どもが成人するまで生きられるよう、健康管理しようと思います。
- qwe2010
- ベストアンサー率19% (2193/11072)
私も、何度か考えたことがあります。 又、私自身が若いとき、病気で死の直前まで、3度行きました。 親と兄弟の介護をして、その死もみてきましたし。 親戚の方の、面倒をみて葬式を出したこともあります。 私の死は、目を閉じて、覚めることが無いのが死です。 そこに、苦しみとか痛みが生じないかと思う心に恐怖がわくと思うのですが、 いろんな経験をして、勉強をして、今では恐怖を感じません。 それよりも、なぜ自分が生まれて、自分としての意識があるのだろうかと考えたことがあります。 死よりも、生きていることのほうが、辛く苦しいことが多いのではないかと思います。 多くの人の死を見つめてきて思ったことは、人が一人死んでも、半年後にはその人が最初からいなかったかのように時は過ぎ去っていきます。
お礼
遅くなりすみません。ご自身の体験をありがとうございます。 「人一人死んでも最初から~」というお言葉が興味深いです。私の死は全体から見れば無いにも等しい…難しい話です。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
若くてもいつまで生きるかなどわからない。平均寿命というのはその歳までに半分が死んでいるということ。ほとんどの生物は成体まで生きられるのはごく一部の幸運者だけ。そう考えれば納得できるのではないですか。
お礼
遅くなりすみません。 そうですね、そのような考え方も必要ですね。 ただ 欲があるので、その幸運者になりたいと思ってしまいます; ;
- ayzm
- ベストアンサー率17% (187/1096)
私には「死が怖い」という意味が解らない。 私の父は義兄が80歳前に死にました、だから父はいつも「義兄よりも長生きをして80歳まで生きる」と言って、本当に80歳で亡くなりました。 こういう人は結構います、「自分は何歳まで生きる」と宣言する人は本当に希望の歳まで生きています。 私は60代です、だから死はそれ程遠くないでしょうが、死んでしまえば何も無いでしょう感情も恐怖も何も感じないでしょう。 それよりも死ぬまでに自分が何をするかでしょう、あれも遣りたいこれは出来なかった、こちらのほうが私には大事です。 出産したばかりと書いてあります、「私が死んだら、この子はどうなる」の心配ではないでしょう、「私は死んでいられない」でしょう、小さいころに親を亡くされたように書いていますが、それならなおさら「この子のために死んでいられない、私と同じ思いをさせては成らない」と考えなければならないでしょう。 私はこの子の子ども(孫)を見るまで死なないと、宣言してください。 自分の言った言葉は、言霊になって実現しますし、させるつもりで言ってください。
お礼
そうなのですね。あと20年と思っていましたが、孫を見るまでと改めます。 死ぬまでになにをするか、というお考えにハッとしました。そうでした。 ご回答ありがとうございました。
- amenhotep2000
- ベストアンサー率31% (72/227)
youmimumayaさん おはようございます。 「死」というのは人生で一度きりで、経験することができません。 また、ゲーテの「ファウスト」という作品に出て来た言葉と思いますが、人は死ぬときは、この世でいろいろな人から愛されようが、「孤独」であの世に行かなければなりません。 このような、こととと、宗教的に、人々の悪い行いを戒めるため、「地獄」という概念が恐怖を増徴していると思われます。 ずいぶん前、れっきとした有名な脳外科医の科学者の臨死体験のテレビを見ました。 その人の臨死体験は、まず、人のような形の物体がうめく、胎内のようなトンネルを通ったそうです。まさに地獄のような風景だったそうです。 すると先に光が見え、そこに向かって歩くと、光の中の世界は、まるで美しい自然を空を飛んで眺めているような世界であり、その時、自分はこの世界から離れたくないと思ったそうです。 しかし、その時、「あなたは多くの人から愛されている人です。だからこの世に戻って、もっとやるべきことをしなさい。」という天使がささやき、病院のベットで目が覚めたとのこと。 脳科学者なので、科学的に自分の臨死体験を解明すべく、自分が臨死体験をしていた時間の脳波のデーターを病院からもらい調べたら、その時、脳波は出ておらず、脳はまったく死んだ状態だったとのことで、科学的に説明がつかないと話していました。 亡くなりましたが、大霊界を考えたタレントの丹波哲郎によると、地獄に落ちる人は、年に数人だそうです。 私は、神様、仏様は慈悲深く、多くのひとは天国や極楽浄土に行くものと楽観してます。あの世のことは私はわかりません。 しかし、だったら、この世で悪行の数々をして、放縦な生活をするのではなく、また、あの世などわからない世界のことをくよくよ考える時間があったら、いかに、多くの人と交わり、助け合い、愛し愛される人間として、この世でもハッピーに生きるべきと思います。
お礼
大変遅くなりすみません。 臨死体験のお話ありがとうございます。今日、これから、を考えようと思います。 ご回答ありがとうございました。
- t-aka
- ベストアンサー率36% (114/314)
とあるアニメでもありましたが、 『人はいずれ死ぬ。遅いか早いかだけだ。』 どれだけ悩んだって、はたまた望む望まないは別として 基本的に死ぬという事実から逃れることはできないでしょう。 だったら、 『踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損』 人間の生きている時間なんて短いものです。 楽しく生きるように努めたほうが良いと思いませんか。 もちろん、行く末を考えて備えることは大切です。 ですが、思い悩む必要はどこにもないと考えます。 来たる時に備えて、思い残しがないように、文字通り一所懸命に生きる。 それがコツではないでしょか。
お礼
遅くなりすみません。 おっしゃる通り、踊らにゃ損ですね。方向を間違えていました。 ご回答ありがとうございました。
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お礼
大変遅くなり申し訳ありません。 ご回答ありがとうございます。 ほとけ様のお話、とても興味深いですね。 赤ちゃんが選んでくれたのですか…責任を感じます。