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物心ついてから、死の恐怖にさいなまれつづけまていま
物心ついてから、死の恐怖にさいなまれつづけまています。 あの世などの幻想はあれど、基本的には、灰になるだけ。 激しい恐怖か、圧倒的な虚無か。 産む側になったとて、産んだこどもが、必ず死ぬ、つまり、産むことに長期的な意味がないばかりか、我が子を殺しているのと大差ない。 それなのに、なぜ、出産してしまう人がいるのか。当人に、許可なく、死を与える。 有名人でも、死にさいなまれた人は、こどもをつくっていませんし、身近にも、死の問題を解決できないのに産まないとする人が、驚くほどいる。 正気の沙汰ではない、と言い切る人も複数いる。 どんな気持ちになれば、産めるものですか?
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- rosebergamot
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死への恐怖よりも、生の喜びの方が勝るからです。
死ぬのが本当に恐い人が 「死ぬのは恐い」とは 言わないです。 文章からまったく辛さや 死への恐怖が感じられません。 単なる甘ったれ。 人間が恐いのは死ぬことではなく、 死を知ったときです。 苦しむこと。 生きることのほうが大変だと 思います。 あなたに正論は通じないでしょ? 毎回、死にたいといえる 図太さがあれば大丈夫です。 慰めようとか、思いませんね。
- zebura23
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まず一つ、知っておくべきことは、 私たちは長い時間をかけて「嘘を教えられてきた」という事実です。 それが、 私たちの人生は1回限りのもので、肉体が死んだらそれで終わりというものです。 そうした嘘に拍車をかけているのが、宗教的葬儀であり、宗教的教えです。 その点においてはすべての宗教が、同じことを主張しています。 なぜなら宗教というものこそが、 人類を洗脳するために、その目的のためにつくられたものだからです。 その恐怖と絶望感から人々は宗教にすがり、 何とか救われようとする人々の心をコントロールしてきました。 私たちは生まれてくるとき、親として、子どもとして、 受け入れることを承諾してくれた人たちから肉体を提供されます。 そこには互いの間に交わされた約束があります。 私たちの本質は魂という生命の光です。 それは人間だけではなく、 この地上、宇宙に生きているすべての生き物が持っている本質です。 その魂という生命の光が、この地球の物質的レベルを体験するためには 同じ波動で振動する物質的肉体をまとう必要があります。 つまり誰かを親として生まれることで、肉体を得なければなりません。 ですから、あなたも私もその肉体をまとって、今ここに生きています。 そして、あなたが産もうとしている子どももそれを求めています。 私たちは宇宙の塵から生まれたわけでもなければ、 勝手に頼みもしないのに生まれて来たわけでもありません。 そこには緻密に計画された、生命の進化という偉大な計画があります。 私たちは生命の進化の最も基本的土台ともいうべき認識である、 「原因と結果」、「因果と応報」を学ぶためにこの地球の次元に来ています。 それはこの地球の三次元的物質世界が、そのために創造されたものだからです。 あなたが一番知りたいことは、「いずれ死ぬのになぜ子どもを産めるのか?」 ということでしょう。 私たちの本質は、魂ともいうべき生命の光であると言いましたが、 私たちは、古くなったり、 使いものにならないほど傷んだ肉体を、不本意ながら脱ぎ捨てることはありますが 肉体が死んで焼かれて灰になっても、 それは私ではないので灰になることはありません。 誕生するときに得た肉体は、古くなるとただ手放すだけなのです。 その肉体の死を、ほとんどの人々の共通の常識は「死」と呼んでいるのです。 1回きりの人生で、はかなく消えてしまうような無駄で計画性のない創造を、 いったい誰がわざわざすると思うでしょうか? 偉大な大いなる知性がそんなことをすると思えるでしょうか? 私たちは限りなく成長し、 進歩、進化をするために、それが目的で生きているものです。 あなたも私も、そしてすべての人間、動植物たちがその目的の中にあります。 人間とは出来上がった万物の霊長なのではなく、他の生命とともに、 その一つのプロセスにある存在に過ぎません。 そして、あなたを通ってこの次元に生まれて来ようとしている子どもも、 この物質的地上世界を生きることで、学ぼうと決めたのです。 私たちはずっと生き続けて来ており、 数え切れないほどの過去世という人生の記憶を、自分の中に持っています。 その記憶は特に、感情という理解で記憶されています。 ですから自分の感情に気づくならば、多くのことを思い出すことができます。 あなたは子どもを産むことで、その人に貴重な学びの場を提供します。 私たちは知らないだけで、これまで死んでいなくなった人など誰もいないのです。 「偉大なる叡智」から生まれた生命は決して消滅することなく、永遠に生きます。 つまり、地球のこの物質世界という、第1レベルの学びの場がすべてなのではなく、 この宇宙には、100億個の太陽を有する銀河が存在するのです。 http://8729-13.cocolog-nifty.com/
仮に人間が誰も出産しなくなり、 種が滅びたとしても 他の生物にとってかわられるだけです。 死の恐怖を無くす為に 全ての生命を質問者様の勝手な意思で 根絶やしにするのが正しいのですか? 死の苦しみの責任を親に転嫁して恨むのは 罪人が自分の自由を縛る牢獄と警官を 恨むのと同じくらい安直な考えです。 多くの親が死に対して思慮が浅いということは 確かにあるかもしれませんが、 出産は母親が自分の命をリスクにさらして 人生という学びの場を新たにセッティングする 行為であり、批難されるような類のものでは ないと思います。 ちなみに仏教において 親殺しは恩を仇で返す行為であり、 最も重い罪のひとつとされています。
- kaitara1
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どこかの神話にありますね。人を死なせる神様があらゆる人をいつかは死なせると言ったたら別の神様がそれならそれ以上産ませるといった話。しかし、あなたは何を言っても考えが変えられないのではと思います。案外生物学の勉強するのも効果があるかも。人間以外の生物を見るだけの虚身も余裕もないのではとは思いますが…
人生は、旅です。 生死も旅の1つなのです。 死んで終わりじゃないですから。 死んだらまた、(否応なしに)次の「生・出生」という旅が始まるのです。 これは仏教的死生観ですが、輪廻転生について 図書館などでいくつか本を読むと 少しは気持ちが落ち着けるのではないでしょうか。 質問者さんは、強いですね。 私には… 死ぬ事より、生きる事の方が大変に思えます。 ま、死んだ後なんて、死んでからじゃなきゃわからないし、それで十分です。 私にとっては生きる事が大変で、それだけで四苦八苦してるんですから、 それ以上のことなんて考えてる余裕はないのです。 生きる事について、長期的な意味を求めていらっしゃるようですね。 それについては 学校で習った、歴史の授業を振り返っては如何でしょうか。 一番すぐにわかるのは、時の為政者・権力者・大きな商家などの役目ですね。 「継ぐべき家があり、子孫を絶やす訳にはいかない」という立場にある人々。 ここからもう一歩、踏み込んでみましょう。 人間は社会にある以上「お互い様」です。お互いに、影響し合って生きているのです。 自分が何も考えていなくても、生きるには衣食住が必要です。 たとえニートでも、消費者として大事な役目があります。 ホームレスも、社会システムの不完全さの現れという一面がありますから、 彼らはより良い社会の構築に向けての、生命をかけた問題提起という存在にも見えます。 表面化しなければ、なかなか問題は見えてきませんから。 そして、能力と余裕と立場のある人が、魂の修行がてらにそういった社会問題に取り組むのです。 転生には、個人としての成長と、社会としての成長という 2つの目的があるように私は感じます。 より良い社会を作れるならば、或いは、良い社会や治安の維持に「良いルールを守って生活する」という方向で1役買うならば、転生後の未来は自分にとっても、他人にとっても明るい社会となるでしょう。 もちろん、転生先が「未来である」と100%言えるかどうかは、私にはわかりませんが。 過去・現在・未来は、実は同じ位置に存在するとかいう… 不思議な話も聞きますので。 上手く言えませんが、人は生かされているんです。 本人の意思に関係なく、生かされているんです。 私はここ数年、ようやくそれを感じるようになりました。 自分がどんなに苦境に立たされても、絶望しても、心臓の鼓動は休むことなく、 腕に荷重がかかりすぎれば、血が止まり、不随意運動が生じて腕がパタパタと動く。 体内や脳内にも微生物が存在しており、ウィルスや外敵を退治したり、 血管から細胞への栄養供給を手伝うなど、大事な役目を担っています。 大丈夫です。 日本の社会は今のところ、簡単には死ねないようにできています。 医療の発達により、病人だって良くも悪くも簡単には死ねません。 だからこそ、生きる事は死ぬ事よりも大変なのです。 どんな事でも【どう見ても悪い状態から、少しずつ良くなる】ということは、 【宙ぶらりんの生殺し】という期間が存在するのです。 【宙ぶらりんの生殺し】を経て【かなり良くなった、凄く良くなった】という状態になるのです。 いつの時代も、そういう生きる事の大変さは、避けては通れないんですね。^^; だから、楽しむことが大事なんです。 自分から楽しく生きる事が大事で、場合によっては難しかったりするんです。 その意味では、誰もが同じです。 時に弱音を吐きつつも、寿命まで根性で生き延びましょう(笑) ハングリーにね!
- shougaikouhuku
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macmac55 さん 毎日毎日、しつこくしつこく、死ぬのが怖い、死ぬのが怖い、死ぬのが怖いと自己暗示をかけておられるのですね。 生物は、生まれながらにして増えたい!遺伝子を残したい!と望んでいます。これに理屈はありません。 自然の摂理です。愛も恋も結婚も出産もこの摂理を実現するために存在します。 政治も経済も戦争も社会保険も年金もこの摂理、本能を実現するために存在します。 あなたの、「死ぬのが怖い、死ぬのが怖い」は「生きたい生きたい」の裏返しです。きわめて正常なのですが、それが他人の妊娠にケチをつけたくなるほどに強烈な思いであるところが少し異常ですし迷惑です。 誰でも死に対する恐怖心はありますが、増えたい!遺伝子を残したい!という本能がその恐怖心より勝っているので、妊娠を強く希望し育児に頑張ります。そして、これらのことに喜びを感じるのは摂理を実現できるからです。 私は臨死体験がないので、あくまで人から聞いた話ですが、死の寸前に人間の脳はドーパミンを大量に分泌するそうです。ドーパミンは、ご存じのように多幸感を与える神経伝達物質です。となれば、死の寸前には幸福感を味わうことになります。 冷静に考えればわかることですが、死んで焼かれるときには痛みも何もありません。遺体は蛋白質と水とカルシウムの塊です。魂が存在するとすれば、すでに遺体から抜け出ているので、むしろその様子を不思議そうに眺めているかもしれませんよ。 毎日毎日、死ぬのが怖い、死ぬのが怖いと唱えていれば強固な自己暗示が出来上がります。 同じ意味ですが、長生きしよう、長生きしようと唱えられてはいかがでしょうか? 幼少期に大切な人を亡くされたのでしょうか?葬儀や斎場での儀式を目の当たりにされたのでしょうか?もし、それ以降このような気持ちになられたのでしたら、一度精神科で治療を受けられてはいかがでしょうか?心に大きな傷が残ったままになっているのではないでしょうか? なんにしろ、育児不安やマタニティーブルーで苦しむ人が多いカテゴリーに、しつこくしつこく、死ぬ話題、妊娠を否定する話題は遠慮すべきだと思うのですよ。
質問文にあることはその通りですね。 あなたが生きていて楽しかったことがあったならそれは生まれてきたから。 それだけでも価値はあるかと。