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明治維新の時代~アメリカの目的は捕鯨の寄港基地というだけ?他には?~
- 明治維新の時代、アメリカの目的は捕鯨の寄港基地というだけではありませんでした。他にも何があったのでしょうか?
- フランスは幕府に援助したが、その思惑やゴールは何だったのでしょうか?
- イギリスはアヘン戦争に勝利し、薩英戦争や長州との戦いもありましたが、彼らは日本を乗っ取ろうとしていたのでしょうか?
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1アメリカの目的は捕鯨の寄港基地というだけ?他には? ⇒捕鯨は民間で行っていることでしたが、1830年代からアメリカは国として国交を樹立することを念頭に動き出しています。特にアヘン戦争時は、アメリカ人の保護の名目で艦隊を派遣。東インド艦隊と言われています。そしてアヘン戦争後結ばれたイギリスと清の不平等条約を見て、同様の望厦(ぼうか)条約を1844年に結んでいます。1840年代以降は当然これを狙っています。 2フランスは幕府に援助した。フランスの思惑、ゴールとは何か? ⇒外交スタンスとして、幕府の中央集権の力を強めようとしていました。目的はイギリス同様交易相手として都合の良いポジションの確立です。当初はイギリスも同様に幕府を支援していましたが、薩英戦争後に将軍職が皇帝ではないと判断し列強を支援しました。結果イギリスの読みが当たり、明治はイギリスが日本の交易の80%を握ったようです。 3イギリスはアヘン戦争に勝った強敵。薩英戦争、長州とも戦ったようだが、日本を乗っ取ろうとしていたのか? ⇒2で回答したので割愛。 4清も明治政府を狙っていたと昔習いましたが、当事の清の介入は? ⇒竜馬の時代の清は、アヘン戦争で不利な条約をかわして以降植民地化をどんどん進められています。 5薩長は藩政改革に成功したとかで力をつけていたという話は聞きました。他の藩もわれ先に倒幕に動いていたのですか?薩長だけ?なぜ薩長はやたら反抗的だったのか。 ⇒関ヶ原にまでさかのぼりますが、当時の毛利と島津はともに西軍。当然徳川の時代になってからは冷遇され続けていました。その意趣返しです。特に長州は、江戸時代を通じて「倒幕」が極秘の「国是」で、新年拝賀の儀で家老が「今年は倒幕の機はいかに」と藩主に伺いを立てると、藩主は毎年「時期尚早」と答えるのが習わしだったといいます。 6武士は戦士として優秀だったはず。危険な日本で廃刀令がでて武士もいなくなったのは危険だったのではないか?無防備状態ができず、間髪いれず、徴兵制に移行できたのか? ⇒たしかし江戸時代初期は、まだ戦国の風情が残っていて「切り捨て御免」をかの水戸光圀も若いころに実際にやっています。ただ生類憐みの令以降、犬や虫すら殺せない世の中になり、ガラッと風情も変わり、武士は官僚になっていきました。そのため旗本4万旗も使い物にならなかったので、新選組が組織されたり、奇兵隊が組織されることとなったのです。組織としての戦争は、誰も経験していない状況なので、戦闘能力はかなり低かったと言わざるを得ません。 7長州征伐とか、江戸幕府撃滅作戦とか、西南戦争とか日本人同士が平気で争っていた。内乱に乗じて列強は進出しようと思わなかったのか?あと、何か画策してましたかね? ⇒内乱に乗じるのは確かに手としてはあるんですが、当時の列強は、識字率の高さなどから日本をそこまで低く見ていませんでした。また極東という位置づけなどからも交易相手として、有利な立場に立つことが優先事項だったようです。 8坂本龍馬の理想どおりの日本が実現してたらどうなってた? ⇒船中八策をみると、歴史の流れはその通りになっているので、ほぼ変わらなかったんじゃないでしょうか。 9今の日本人が学ぶべきことは何か? ⇒国を想って、行動する人が多いと国は混乱する。ただそれがないと大きな変化は起こらない。血の流れない改革はない。
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- sadaffa
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1.アメリカは本当にそれくらいの感覚だったみたいですよ というのも今では想像できませんが 当時のアメリカは建国100年くらいの中堅~中堅未満の国だったので 他国に介入するほど力はなかったからです。 2.単純に倒幕勢力のスポンサーがライバルのイギリスだったからです。 敵の敵は味方の論理です。 ただフランスの協力に関しては幕府側から持ちかけられた物だったことからも フランス自体はあくまで受け身の立場でしたが。 あと現場レベル(公使のロッシュ)なんかは個人的に慶喜や幕府の役人の優秀さに魅入られ 最終的には本国の意向を無視した形で 幕府に大して極度な肩入れをしたあたり(最終的にそれが原因で罷免された) フランスに関しては下心だけではなかったみたいです 3. イギリスに関しては全体の乗っ取りはともかく 領土の部分的割譲→部分的植民地は狙っていたみたいです。 真偽は不明ですが伊藤博文の回想だと 下関戦争後山口県の彦島の割譲を迫ったなんて話もあります。 4. ありえません。 当時の清の国力は相当低下していた上に洋式の軍艦すらろくに持っていないレベルです そんな国が日本を狙える訳ありません。 5. 薩長だけというより長州が特に反幕府だったのです。 理由は攘夷運動が盛んな上に藩の実権をそれら若手の攘夷志士が握っていたからです。 他の藩例えば土佐藩なんかだと攘夷運動が行なわれていても 藩の実権は保守派の容堂公なんかが握っていて藩をあげての討幕運動はできませんでした。 長州以外の他の藩も大概似たような感じで討幕運動には出れませんでした。 因みに薩摩が討幕運動を始めたのは長州が思いのほか強く 倒幕勢力に乗っかったほうが自藩が得をすると感じたからです。 6. 警察がいるので最低限の治安は維持されてますし 廃刀令と言ってもそこまで厳密なものでもないので家に武器があるのはザラでした なので無防備ではなかったです。 あと徴兵令は対象が長男以外だったので 親としては口減らしの意味もあって 今の感覚とは違ってそこまで反対する内容では無かったみたいです 7. 進出は狙っていたみたいですが 日本も日本で列強同士を上手く牽制しあわせて進出を回避させたり 不用意に列強の甘い口車に乗らないように自制していたので助かったみたいです。 因みに画策で言うと新橋横浜間の鉄道敷設をアメリカが全て持つからやらないか? と持ちかけられたそうですが政府はこれはアメリカの進出の口実だと見破って断った なんてケースがあったみたいです。 8. 龍馬伝を見た方には申し訳ないですが正直うと大して変わってない気がします。 という言うのも坂本龍馬自体・・・やめておきます。 9. 基本外国の持ちかけてくることは全て裏があると思え 外国人は信用するな基本外交はパワーゲームこれを認識すべきってかんじですかね 因みに話がズレますけど龍馬伝を見て面白いと思ったならその続きで同じNHKドラマの坂の上の雲をごらんになるのをおすすめします。 作品の世界観が龍馬伝の続きのような内容(まあ原作者が同じなので)なのでより世界観が深まると思います。
お礼
ありがとうございます。歴史って面白いですね
お礼
すばらしい!坂本龍馬みたいな若者増えて欲しいものです