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利他?
こんばんは。 利他と人権、 経験と合理性? 「人権不可侵」の境地であれば、単に「利他」と言っていて済むことでは、ないのでは?
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ひとくちに「利他」と言っても、レベルがあります。 自己チューな意識のままであれば、利他は自己犠牲だし、 自己の社会生命性を自覚すれば、利他は利己の一環となり、 自己と環境の量子論的相補性を自覚すれば、他我となる。
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- kohichiro
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NO・3 です。 >「「人権不可侵」は、主義(体制?)によらない」と言ったら、過激でしょうか? 常識だと思います。 >「「利他」の境地であれば、単に「人権不可侵」と言っていて済むことも、ないのでは?」 「人権」というのは個人の人格、拡張された人格も含めて(つまりそのひとの行為も含みます)保全する権利ですから、 「人権不可侵」という言葉は、人間のプライドを守るということでしょう。他人も、もちろん自分自身も、。 >もし、「利他」が、経済的に「19世紀以前の「恩寵」「施し」の類い」であると、「人権不可侵」は遠い話となってしまうと思います。 人権尊重などといって誇りを守るうちに餓死してしまうひとびとが世界には多数あるという現実があります。 あるいは 自分のプライドを守るために貧者に施しをするという世界のスーパーリっちのことを言っておられるのでしょうか。もしそうだとしても、受けて側の貧者にはそういう「施しのたぐい」を拒否する権利もあります。 少なくとも、何らかの形で偏在する世界の富を還流させるしくみは必要です。 「人権」は世界一リッチな国アメリカの大きな戦略の一つですが、私見では中国をはじめとして、そんな米国に反撃する論理的、倫理的な理由はなにもないはずです。 >「人権不可侵」の境地であれば、単に「利他」と言っていて済むことでは、ないのでは? ?? ここが日本語として理解できないのは私だけでしょうか。もう一度私なりにここを解釈してみます。 人権重視というのであれば、「貴方のために援助するのですよ」という理由だけで施しをするのではだめなのではないか? もちろんその通りです。開発途上国の民衆にもプライドはあります。資金面での援助だけではなかなか経済的に離陸しないのはアフリカ諸国の現状を見れば理解できます。肝心なのは彼らの自助努力だと思います。
お礼
kohichiro様、ありがとうございます。 >「「人権」というのは個人の人格、拡張された人格も含めて(つまりそのひとの行為も含みます)保全する権利ですから、 「人権不可侵」という言葉は、人間のプライドを守るということでしょう。他人も、もちろん自分自身も、。」 んー、しかし、大前提として「他者の人権を侵害不可能」というのがありまして。 経済的な自由は、「より規制し安い自由」となっております。 >「人権尊重などといって誇りを守るうちに餓死してしまうひとびとが世界には多数あるという現実があります。 あるいは 自分のプライドを守るために貧者に施しをするという世界のスーパーリっちのことを言っておられるのでしょうか。もしそうだとしても、受けて側の貧者にはそういう「施しのたぐい」を拒否する権利もあります。 少なくとも、何らかの形で偏在する世界の富を還流させるしくみは必要です。 「人権」は世界一リッチな国アメリカの大きな戦略の一つですが、私見では中国をはじめとして、そんな米国に反撃する論理的、倫理的な理由はなにもないはずです。」 いやいや。「人権尊重」はともかく。「施し」というのは、前近代的なシロモノなのです。 >「>「人権不可侵」の境地であれば、単に「利他」と言っていて済むことでは、ないのでは? ?? ここが日本語として理解できないのは私だけでしょうか。もう一度私なりにここを解釈してみます。 人権重視というのであれば、「貴方のために援助するのですよ」という理由だけで施しをするのではだめなのではないか? もちろんその通りです。開発途上国の民衆にもプライドはあります。資金面での援助だけではなかなか経済的に離陸しないのはアフリカ諸国の現状を見れば理解できます。肝心なのは彼らの自助努力だと思います。」 えー、「生活保護」とは、貧困の【理由】に寄らず、現に存在する貧困を、救おうとするものであります。
- kohichiro
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ご質問が良く分からないのですが、あまり回答がついて居ないようなので、ひとこと。 宗教はつねに「利他」を説きます。マッサンの聖女の本名がリタという名前だったことはよしなしとしません。 人間関係における「利他」が理想的なかたちであることはまちがいありませんが、これと「人権」がからむことはあまりないでしょう。「人権不可侵」はおそらく個人主義の大前提ですから、当然合理性はあります。釈迦やキリストが「利他」を人間社会における理想、関係性の極致に推したのは、おそらく彼らの辛い経験がもたらした人間として空前絶後、最高のインスピレーションだったのではないでしょうか。 ですから >「人権不可侵」の境地であれば、単に「利他」と言っていて済むことでは、ないのでは? は 「利他」の境地であれば、単に「人権不可侵」と言っていて済むことも、ないのでは?
お礼
kohichiro様、ご回答ありがとうございます。 >「宗教はつねに「利他」を説きます。マッサンの聖女の本名がリタという名前だったことはよしなしとしません。」 私の理解していると思っている「小乗仏教」では、「利他」よりも「諦観」ということを説いていると思います。 >「人間関係における「利他」が理想的なかたちであることはまちがいありませんが、これと「人権」がからむことはあまりないでしょう。「人権不可侵」はおそらく個人主義の大前提ですから、当然合理性はあります。」 「「人権不可侵」は、主義(体制?)によらない」と言ったら、過激でしょうか? >「釈迦やキリストが「利他」を人間社会における理想、関係性の極致に推したのは、おそらく彼らの辛い経験がもたらした人間として空前絶後、最高のインスピレーションだったのではないでしょうか。」 釈迦が推したかどうかは知りませんが、 キリストは、最初から、「神」によって(そのために)遣わされた、ということだったのでしょう。 >「「利他」の境地であれば、単に「人権不可侵」と言っていて済むことも、ないのでは?」 もし、「利他」が、経済的に「19世紀以前の「恩寵」「施し」の類い」であると、「人権不可侵」は遠い話となってしまうと思います。 (Ano.1さんの「レベル1」と「レベル2」との間には、「他者を「尊重」出来るかどうか」ということが、あるのではないでしょうか。)
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 自己犠牲をも ようしないのに よくも利他について語るものぢゃわい。 と言ってやるのが 利他の一環です。 そのときには 人権侵害のおそれが出て来ます。 そのぎりぎりのところで心が広く思いの深い人間は たたかうでしょうね。 それは 《引き受ける》というあゆみの問題であると考えられます。
お礼
B様、ご回答ありがとうございます。 >「自己犠牲をも ようしないのに よくも利他について語るものぢゃわい。 と言ってやるのが 利他の一環です。 そのときには 人権侵害のおそれが出て来ます。」 19世紀以前の「福祉」って、「施し」であり、いわゆる篤志家が気の向いた時に菓子をばら蒔いてやるもの、といった風情でした。極めて不合理(福祉として不適切?)だったわけです。それらは利他かもしれませんが、自己犠牲でもなんでもありません(「余ったから、くれてやる」とでもいうものです)。 >「そのぎりぎりのところで心が広く思いの深い人間は たたかうでしょうね。」 >「それは 《引き受ける》というあゆみの問題であると考えられます。」 ・・・今回は、妙に、リアルタイムな政治的なお話となりましたね。 「神」は、お喜びでしょうか。
お礼
psytex様、ご回答ありがとうございます。 (レベル1) >「自己チューな意識のままであれば、利他は自己犠牲だし、」 例えば、「施してやった」とかですか。 (レベル2) >「自己の社会生命性を自覚すれば、利他は利己の一環となり、」 例えば、納税でしょうか。 (レベル3) >「自己と環境の量子論的相補性を自覚すれば、他我となる。」 ・・・物理現象として捉えれば、なのでしょうか? 私の理解は、「レベル2」に留まっているようです。