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利他的って?
相手の利益になるように行動しても、結果、相手が喜ばないことが多いようです。相手がわがままだな女優のようだと、結果としてその人の利益になることはめったに無いように思います。そういう人に対して利他的な行為とはどういうことを言うのでしょうか?結果がどうであれ、相手のことを思ってやったらそれでいいのでしょうか?また、相手が喜ばない結果を残念がっている自分は利己的だからでしょうか?
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- ENERGAIA
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究極まで行けば、利他も利己も、振る舞い行動に違いは生じてきません。
- VenusAurea
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私でよければ、愚痴を聞くのは構いませんけれど、ずいぶん、お悩みのようで、 お二人は、価値観や感覚が全くと言っていいほど違うのでしょうか? それでは、ご結婚に踏み切られたのが、ふしぎとまで言いたくもなりますが、 よくよく、奥さまの本音のところを聞いてあげていらっしゃいますか? それで原因や理由が分かればいいのですが。。。 好き放題ばかりなさる奥さまで、ご家庭の運営を全く省みられないというのが事実なら、 質問者さまが「認めたくない」と思ってしまわれるのは、無理もないと思いますけれども。。。 「利他」と言い、つまり、それは即ち、「利自」になるということが本当のはずですよね。 利他が即利自、利自即利他、そうなってはいないのであれば、空回りばかりで、質問者さまが深い疲弊をお感じになるのは当然です。 あまり、宗教とか思想ですとかよりも、この場合は、もっと現実的な対処をお考えになられたほうがよいように思いました。 今回のような御質問では、お悩みが漠然とした感じですし、 恐らく、目指すべき現実的な解決には繋がりにくいと思います。 こうしたカテゴリーよりは、ライフ・カテの「結婚・夫婦」だったでしょうか、そちらのコーナーで、できるだけ、より詳しい事例を挙げられるようなさって、再度、質問されてはいかがですか? きっと、実際的なアドバイスを示せる人がおられると思います。
補足
色々アドバイス有難うございます。 私は宗教に入ってませんが、宗教的が教ええている考え方や哲学が好きで、それが実際の生活に活かされてこそよい考え方だと思っています。 利他という考え方に魅力を感じ、あかの他人よりまず身近なうちの奥さんや家族、友達との関係に実践するべきと考えています。 このカテで質問したのはそういう訳だったんです。利他の観点をもっと知りたかったので。辞書的な意味じゃなく。実際それを実践していれば色々葛藤もあるはずで、そういう時皆さんはどうしているのかと思いまして。。。 ここの質問で、利自という言葉を初めて聞きました。辞書的なことは調べれば載ってるけど、実際にどのような心境で生活を送っていけばいいかわからないので、困ってます。 ここで、皆さんに質問に答えてもらい、嬉しかったです。有難うございました。
- VenusAurea
- ベストアンサー率33% (5/15)
相手のためになるはずとの、ご自身の判断と、 喜ばないという事実から、その相手側の判断とが、くい違っているらしいことが、 あなたのとっての「残念」なのではありませんか? 利益になったり、ならなかったりは、わがままであろうとなかろうと関係のないことで、 目先の浅い利益ということではなしに、正しく相手の利益になることは、利益になることです。 結果として、ならなかったのであれば、ご自身の判断が至らなかったということ、 そこをこそ、相手を本当に思うのなら、残念がるはずではないですか。 どうやら、奥さまが、その対象とのことですが、 長年の付き合いある対象なのに見合わず、大概、判断違いに終わるのでしたら、結局、 お相手のことが、よく理解できていないということだと思われます。
補足
おっしゃるとおりだと思います。私が残念がっているのはくい違いで、そういう意味でちっとも利他的ではないですね。 奥さんは私の形だけの利他精神を見抜いているのでしょう。真に自分のことを顧みず、相手を大切に思って行動できたら。。。しかし、それは一人の人間である以上無理なのかなぁ。。とも思います。 私の偽善者づらにムカつき、余計に好き放題してるようです。 奥さんのことは理解できないというのではなく、認めたくないのです。仕事もせず育児も家事もしないのですから。でも、私は毎日遅くまで話を愚痴や不満を聞き、いろんなことに付き合っています。それでも、いつも怒られます。キリストや仏の精神を見習って頑張っていますが、よくわからなくなるときがあるのです。 私の愚痴につき合わせてしまい、すいません。色々有難うございました。
- Mokuzo100nenn
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ポセイドン・アドベンチャーの例を出した#2です。 夫婦間の行為と理解できずに一般化し、大げさな、また極限の例を出してしまったようです 夫婦とか親子(特に親から子)関係においては、”利他的”という概念はそぐわない気がします。 夫婦では、相手が幸せになれば、自分にも良いフィーどバックがある、という密結合です。 親から子は、”自分のDNAを守る”という本能があるようですから、根源的に”利他”ではない。 利他的の議論は、一般用語でいう”他人”、特に赤の他人などへ向けた行為を理解するときに必要な概念じゃないかと思いますが、、、、。 そうではないんでしょうか?
お礼
そうかもしれません。 ただ自分としては奥さんにでも、親にでも、子供にでも利他の精神を以って接していきたいと思い、なるべく実行しようと試みているのですが、奥さんとはいい関係を結ぶのが難しいなぁと思い、悩むことがあるので、ここに質問しました。 自分と奥さんはすごく価値観や感覚が違い、相手が寒いときこっちは暑く感じるし、私が好きなものや興味あることに相手はむしろ嫌いだったり、ムカツクと言います。 私から見て奥さんはすごくわがままな人だし、自己中です。でも、奥さんからしたら、ここにこうして質問していること自体自己中で利己的なムカツクやつだと思うでしょう。 そういう意味で私は相手の気持ちより自分の気持ちを優先しているし、全然利他ではありません。 利他に徹するなら、自分の気持ちを言えないのかな。何故なら私の気持ちを言えば、彼女を不快な気持ちにさせるから。 そういうことを考えていたら、利他が何かわからなくなってしまったのです。 色々有難うございました。
- ENERGAIA
- ベストアンサー率9% (5/53)
>独善的でないつもりでも、「つもり」だったのでしょうか? 結果がどうであれ、相手のことを思ってやったのであれば、それでいいと思います。 ↑これが、独善的という意味です。 >「独覚、生悟りは迷惑です」の意味がわからないです。 時として 自己満足のひとりよがり、ひとり悟り が 独覚、なま悟り という意味です。 http://www.e-net.or.jp/user/mblu/ndb/ichinensanzen/jukkai.htm http://www.weblio.jp/content/%E7%B8%81%E8%A6%9A http://homepage2.nifty.com/watasikara_anatahe/zyukkai.html http://www.namaki.com/hedit9.htm http://www.e-net.or.jp/user/mblu/ndb/ichinensanzen/jukkai.htm 声聞界・縁覚界 にいる人は 生悟りと考えていいでしょうね。
お礼
参考サイトも読ませていただきました。私には理解するのが難しいです。 考え方なんて「誰でも究極的には独りよがり」と思っています。 色々有難うございました。
利他的というのは、単に相手に利益を与えるということではないでしょう。 自分と他人という2者がいて、自分の利得分(の全部、あるいは一部分でも)を犠牲にしてその余り分を相手に与えるということです。この場合、当然ながらそれによって将来自分に戻ってくる利得を考えてはいけません。損得を考えればそれは利他行為ではなく、単に商行為、あるいはかけひきになります。 本来人間は自分の利のためにのみ生きるものですから、この行為はその非日常性、稀有性ゆえに相手を感動させ、得た利益以上の効果があると考えられています。 >相手の利益になるように行動しても、結果、相手が喜ばないことが多いようです。 これは実際に何が起こったのかわかりませんが、正確な”利他行為”がなされていなかったのではないかとも考えられます。利他行為は他人のだれかれを問いません。 >結果がどうであれ、相手のことを思ってやったらそれでいいのでしょうか? その通りです。 >相手が喜ばない結果を残念がっている自分は利己的だからでしょうか? そうとも言えないと思います。残念ならもう一度、結果が出るまでそれを繰り返せばいいのです。
お礼
丁寧なご回答有難うございます。 わたしの利他行為は些細なものです。夫婦のことなので言いにくいので、例えになりますが、電車で席を譲った結果、相手から怒られるようなのもです。生活の殆どがこんな感じです。 怒られ傷つくのは正確な利他行為ではないからでしょうか? 心の状態が大事なら傷ついても、相手のことを考え直して、再び利他精神で頑張るしかないかな。
- kurinal
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(参考意見) そもそも、「何が利なのか」ということについて、双方の考えが、かけ離れてしまっていると、「利他」というのは難しくなるようにも思われます。 「「これは、本当はあなたのためにはならないんだけど」と思いながら、相手はそれこそ「利」だと思っていることについて、行動してあげる」、というのは、「利他的」と言えるのでしょうか。 「これは、本当にあなたのためだ」と思うのに、相手が喜ばない、それはまあ残念に感じられても仕方ないと思います。そこで最初から、そうしたことを期待しない(「見返り」を求めない)というのは、一法かと思いますが、それが最善とは言えないような気もします。
お礼
私もそう思います。 自分が良かれとも思っていても、相手はそれに喜ぶどころか、不快を示す。常識から見て、あるいは友達に聞いて「相手の感覚が間違っている」としても、「人の親切を仇で返すやつ」とは思えない。なぜなら自分の価値観が絶対正しいとは思ってないから、相手には相手のイイブンがあると思うから。 参考意見有難うございます。
- ENERGAIA
- ベストアンサー率9% (5/53)
利他的というのは、相手に利を施すという意味ですから、そういうつもりで行う好意はすべて利他的です。 「よかれ」と想ってやることは えてして悪い結果を起こす(と想われる)ことも多いとは思いますが。独善的・欺瞞であれば確かにそうなるでしょうね。 結果まで考えると 人は善意の行動を取ろうとすると動けなくなります。 しかし、そのような段階の人間もいるでしょう。否定はしませんが 独覚、生悟りは迷惑です。
お礼
独善的でないつもりでも、「つもり」だったのでしょうか?すいません、「独覚、生悟りは迷惑です」の意味がわからないです。
- Y Y(@yy8yy8az)
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回答No.1さんの意見は理想。(こうであるべきという) 回答No.2さんの意見は現実。(これがふつう) と、思いました。 yosioチャンのこの、フラストレーション、よくわかります。 結果がどうであれ、相手のことを思ってやったのであれば、それでいいと思います。 でも、できればその結果を通しての見返り(心理的な)を求めないように“軌道修正”してみてください。 また、好意を持っている異性に対して、ということなら、回答も少しばかり違った意味合いのものになるのではないでしょうか。
お礼
見返りは求めていないつもりでしたが、思えばいつも私の行為がどこか暗かったかなと思います。私の性格に起因してるのでしょうが、そういう私の性格や雰囲気が気に食わない人はいると思います。暖かいアドバイスありがとうございます。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
ポセイドン・アドベンチャーって題の映画、見たことありますか? 転覆した客船の乗客が何とか脱出しようと奮闘するアクション映画なんですけど、最後に印象的なシーンがあります。 ジーン・ハックマンっていう、イケメンじゃないおっさん俳優が主役なんですけど、その人がリーダーシップを発揮して、周囲の人たちと力を合わせて脱出しよう努力する。 ところが、1時間50分ぐらい経った最後の場面で、みんなを助けるために、自分が死ぬ方法を選ぶんですよね。 自己犠牲を伴って他人に貢献する、、、これが究極の利他的行為じゃないかな。 特別な自己犠牲を伴わない場合は、本当に「相手の利益になっている」かどうかが重要ですね。 ひとつ気になるのが、質問者さんが「相手の利益になるように」ってのは、質問者さんが「相手の利益になると思う」内容だけども、本当は「相手の利益になっていない」って可能性はないですかね。 この場合は、「小さな親切大きなお世話」みたいになっちゃうかも。 そう思う理由はね、私自身は「自分の利益なる」ことは間違えなく歓びますから。 とくに、私の利益になることを「誰がやったかわからないように」してくれた場合、最高にうれしいです。 日本の文化では、これを「陰徳」といって、特に推奨していますが、それは、きっと相手が喜ぶということが経験則で判っているからじゃないでしょうか。
お礼
「ポセイドン・アドベンチャー」聞いたことはあります。 ポセイドン・アドベンチャーのような極限状態ではない、日常では「自己犠牲」をうざがられる傾向があります。他人のためとか他人とかかわることをわざとらしいとか、善人面してるとか、目障りとされ、疎まれる傾向があります。 日常では命の自己犠牲ではなく、些細な親切だったり、思いやりだったり、そういう形で利他精神を実現しています。 「陰徳」精神で利他を実現させていこうと思います。
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お礼
3回も回答してください、有難うございました。そういう風になれるにはたくさん経験が要りそうですね。