- 締切済み
自利利他の精神について
「自分自身のために努力するように、他社のために努力しなさい」という自利利他の精神がありますが、それは、ケアという営みにどのように結びつくのでしょうか?考えを聞きたいです。私のコメントは控えさせてください。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- micom_booze
- ベストアンサー率33% (2/6)
きっと「ケア」について考えられているときに、「自利利他」という言葉に出会ったのだと思います。 「自利利他」というのは、大乗仏教の言葉です。本来の意味は、他者を満足させなくては自らが満足できない、ということから出てきた修行方法です。それから、おシャカさまが利他行を徹底されたことで、仏陀となることができた‥‥と考えられたものです。 さて、ケアという営みの上で、利他行ということがどのような意味になるのかといわれると、おそらく次のようなことを言っているのだと思います。 ケアすることで、相手が何らかの満足を得ると、ケアした者が満足を得ることができる。 おシャカさまの言葉の中でいうと、初期の経典に「あなたがして欲しいことをしてあげないさい」という言葉があります。これがおそらくケアの基本にあるのだろうと思います。今、この人がどうして欲しいかを考えるときに、わたしだったらどうして欲しいか‥‥これが基本なんでしょう。 あなたにも、あなたを援けようと働き続けている方がいてくださいます。これも利他行ですネ。
- tomozoukun
- ベストアンサー率17% (21/121)
他利的な精神が良いと言われるのは、非常に大きな霊的な視点である人知を超えた「神」の視点から見る時において、自分と他人との区別がないからだと思います。それを心理学的に言えば集合的無意識などという言い方も出来ますが、つまり神にとってはすべての人間が自分である為、他人の為に尽くした事は自分の為に尽くしたのとイコールなのです。仏教でも因果相応などとゆうカルマの原理がありますが、他人に行なった行為は、大局的な宇宙のバランスにおいて、非常に長い目で見ると必ずいつかは自分に返ってくる事になり、それをよく知っている神がかり的な聖人が教えを説く時、そんな言い方になるのだと思います。要するに他人を傷つけるよりも助けた方が身の為ですよ~という事だと思います。
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
>他社のために努力しなさい ”他者のために努力しなさい”の誤変換でしょうか? >ケアという営みにどのようにどのように結びつくのか 質問が漠然とし過ぎていて、よくわかりません。 ここでいう”ケア”とは、老人福祉などが対象となるのでしょうか? 質問をもう少し具体的に記述するようお願いします。