- ベストアンサー
無であると分からないことが有である
ブータン帰りのある人が言ってました。 無であると分からないことが有なんだよねって。 さてどこが間違いなのでしょう。
- みんなの回答 (17)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
NO.16 です。 或る文中から恣意的な部分を抽出して、これを解釈せよといっても無理でしょう。 いずれにせよ、全文を拝見できる機会が得られたことは前進ですが。 >>「宇宙は存在しない。 無の潜在としての認識可能性において、その不完全性による階層現象 表面的定性化(いい加減さ)によって、存在的有限性が生じる時、 「無いとは分からないことが有」であって、本質的には存在しない。」 カントのような悪文ですが、それなりに意味は見えてきました。 要は「宇宙は存在しない」ということがいいたいのであって、この文章をこなして訳すと 本来無いものを無いという証明はできないから、それに我慢できない輩による無を覆い隠すためのごまかしが世に氾濫して、それで有るあると騒いでいるが、ばかげたことだ、われわれは本質を見なければならない。 違ってますか。 ちなみにここにある「宇宙」は、それこそ何でもいいのです。
その他の回答 (16)
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
#3の者です。 >「宇宙は存在する」、これが有です。 それは、『有』を『存在』に言い換えただけの、言語上の置換に 過ぎません。 その「有」や「存在」の内容について明確にして下さい。 私は、「無とは分からない事が有である」を証明しようとした 訳ではなく、自分の生きているこの世界(有)について、詳しく 分析した結果に過ぎません。 私以上に「有」の現象的多様性や原理的階層性について 分かった上での間違いのご指摘であれば、同じ深淵を覗いた 者として真摯にそれを伺いたいと思うのみです。
お礼
「宇宙は存在する」の対局にあるのが「宇宙は存在しない」という信仰です。 結局、無を願う人達は「宇宙は存在しない」、「宇宙は存在して欲しくない」と願っているのです。 これは無の思想であり、信仰です。 しかしながらこれは哲学ではない。 無の思想、「宇宙は存在しない」からは如何なる有意義な哲学は生まれないと断言できます。 哲学はまず「宇宙は存在する」という事実から出発します。 宇宙が存在しなければ如何なる物理学も成り立ちません。 >私は、「無とは分からない事が有である」を証明しようとした 訳ではなく、自分の生きているこの世界(有)について、詳しく 分析した結果に過ぎません。 自分の生きているこの世界は存在すると感じているのであれば、既に答えは出ているのです。 宇宙は無ではありません。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
”有”、かりそめの現象界。 その中でそのまま現象でしかなければば、”無”という現象の実在を分かることはできまい。 ではないですか。目がみていることだけの世界に意識と存在があれば、目の後ろの観ている存在を知ることもできませんね。
- titelist1
- ベストアンサー率25% (712/2750)
般若心経の「色即是空、空即是色」と同じ心境なのでしょう。私はこの内容を本当だと思える嘘だと思っています。これを仏教の真髄と思っている馬鹿者がたくさん居ます。しかし、この内容は死を意識する時には有り難いのです。騙された状態て人生を過ごして、死んでゆくのも良いかもしれません。
お礼
>これを仏教の真髄と思っている馬鹿者がたくさん居ます。 仏教=般若心経=「色即是空、空即是色」でしょ。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
まず、「有」とは何であるか言ってみて下さい。 それから説明しましょう。
お礼
>まず、「有」とは何であるか言ってみて下さい。 それは簡単なことです。 「宇宙は存在する」、これが有です。
- kamobedanjoh
- ベストアンサー率27% (1021/3686)
言い換えてみましょう。 「有であると分からないことが無なんだよねって」 これ、般若心経の「色即是空、空即是色」と同じ意味、仏教の神髄です。 凡人に理解できないのはやむを得ません。 斯くの如く云う小生も、クズのような凡人の一人です。
お礼
>言い換えてみましょう。 >「有であると分からないことが無なんだよねって」 これは様々に言い換えることが出来ます。 「既に満たされていることが分からないことが満たされていないってことなんだよねって」 「既に幸福であることに気付かないことが不幸ってことなんだよねって」 「色即是空、空即是色」、仏教の神髄ってこれのことだったんだよね。
- 52heaven
- ベストアンサー率45% (65/143)
確実に真であると定義できないような抽象的・概念的な事象に対し、「間違い」と断定する考え方こそ間違いだと思います。 ブータン帰りの人がそう思ってるのなら、その人と、その考えに共感できる人のなかでは真。 それ以外の考えを持つ人にとっては偽。 考えを持たぬ人であるなら、少なくとも真偽を問うことすら許されない。 哲学であるなら、踏み込めるのはそこまでだと思います。
お礼
分からないと感じるのは心のなせる業である。 分からないと感じるのであれば、その分からないと感じる主体が存在しなければならないはず。 分からないと感じる心の持ち主である。 そもそも無が何かを感じることは出来ません。
- 1
- 2
お礼
>要は「宇宙は存在しない」ということがいいたいのであって、・・・ そのようなことを考える人間とて飯を食うであろうが、では今食っている飯は無であるなどと考えつつ飯を食うことになるのかな・・・、なんか変でないの。