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全ての存在は無なのか
「全ての存在は、量子的な不確定性(確率波動)に基づき、 無限に詰め込むと存在確率の山が平らになり、無と等しくなる。 全ての存在は無である。」 以上はブータン帰りのあの人(P氏)がある時満身を込めて語った言葉である。 それ以来彼は懲りることなくこの言葉を繰り返すよーになった。 たとえ相手から気持ち悪いから止めてくれと言われよーと上のフレーズを繰り返すのであった。 宇宙は存在しないともゆーておった。 ブータン帰りのあの人は正しいか。
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P氏の「全ての存在は、量子的な不確定性(確率波動)に基づき、無限に詰め込むと存在確率の山が平らになり、無と等しくなる。全ての存在は無である。」は実証論理上は間違いでしょう。 たぶんシュレーディンガー方程式の解、存在確率に対応するψの絶対値の二乗の積分領域を全空間に広げた値が1になる、という答えからヒントを得て上述の主張になったものでしょう。積分領域を限りなく大きくとればψの絶対値の二乗の値は限りなくゼロに近づくことは正しいでしょうが それ以上のことは語っていないのです。実証論理としてはここまでであろうと思います。 さらに P氏の主張(ここでは触れられていませんが)に、ハイゼンベルグの不確定性原理で言われてきた(位置の揺らぎ)×(運動量の揺らぎ)≧h あるいは (時間の揺らぎ)×(エネルギーの揺らぎ)≧hから 連想されたと思われる時間と存在の実証理論とはかけ離れた主張がされていますが これも実証理論としては間違いです。念のためその不確定性理論は小沢正直氏によって基本的に見直されており、P氏はその小沢理論は理解されていないのか 参照されていません。 いずれにしてもP氏の主張は実証論理ではなく 単なる主張と思います。その意味では実証理論を除いたと思われるアルケーの宇宙論と似たところがあります。実証理論を除く主張が全て無意味ということではないのですが P氏の主張する量子自我論とかアルケー宇宙論は 理解しがたいということです。
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お早うございます。 アルケー!初めての名称でした、そのようなモノさえ知らないのです。 でも、宇宙に興味を持ち続けたい! 無と有を思考いたしますと寝る時間が無くなりまして、夢遊病になります。 二次元的に思考した、点と線ですが三次元的に見ますと点は円か楕円か? の断面になります。 線はその連続したモノとなります。 ビッグバンは3次元的な広がり?それとも多次元的なモノ?に関しても 存在の有無で、やはりソンなものアルノケーって感じなのです。 是非ご高説を排したいと思います。 ブータンには一度行って震災見舞いのお礼をしてきます。
>無限に詰め込むと存在確率の山が平らになり、無と等しくなる。 当たり前のことを言っているように思います。 無というのは 0、あるいは0 の連続です。のっぺらぼうの0、無意味な無 その中に 1 を詰め込んでいくと 1111111111111111111111111111111111111111111111111111111… 最終的にはのっぺらぼうの1、何も示さない無意味な存在そのもの。ネガチブな無ともいえます。 あるいは究極の存在ブラックホールのことではないでしょうか。 つまり 0の反転、0と等価ということでしょう。 世の中は変化というか密と疎の集合で成り立っています。それ以上のものではありません。 >宇宙は存在しないともゆーておった。 これは上記と矛盾しますので間違い。
ANo1 ソ~か!以前言われた哲学と科学と物理学の集合で宇宙を論じると この脳が機能しなくなる。 此処までは無理解したのです(無理に理解をハショリ)。 人の道さんですが、道教にある言葉?ですか、道の人、の道人、人の道、イズレデモ 通じるために〇の中に書き込まれているのですね。ステキなマークです。 宇宙シーズ論は誰が水をやるかで止まってますが、ご考察を排しました。 ・は天に通じ、てんで理解できない宇宙を目の前に展開していただきました。 聴いた事もない言葉をこれから紐解きページがばらけないようにしたいと思います。 楽しいですね、宇宙!、それにつけても小さい自分。
お礼
>宇宙シーズ論は誰が水をやるかで止まってますが、ご考察を排しました。 もし宇宙の種に水をかけるものがいたとするとそれはアルケーしかいない。 しかしアルケーの神は宇宙の種に水をかけるほどバカではないので、宇宙の種が成長して今の宇宙になることは有り得ないゆーことである。 つまりビッグバン宇宙論はどのよーに考えても全て間違いであるゆーことが分かるんである。
- ukiyotonbo
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わかってないな あなたは・・・・頭がかたすぎ 厳然と存在するだろう人の道の宇宙を否定しているわけじゃない。 人の道の宇宙は人の道の影のように人の道に寄り添う形で人の道にとって存在しているってことさ。 でも全ての存在の本質はほかのどこにも存在していない一切が無だってこと。 量子的な不確定性ってのは、人の道の特質そのものであって、そうであるからこそ、存在することになるわけ。 宇宙が存在するとか無であるとか、どちらが正しいなんて言い合っても不毛なのさ。 ここで言っている人の道ってのは人の道のことだよ。
- Mokuzo100nenn
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無じゃないんだ。自由なんだ。 Hitonomichiなおもて哲学をする、言わんや正常人をや。
どうなんでしょうね。 無がある と表現すると、やはり「ある」 つまり存在について考える必要が出てくる。 だからハイデガーを読む必要があると思いつつほったらかし。 私は自分の思想が実存主義っぽいと指摘されてから なんとなく実存主義を考えているけどこれもほったらかし。 実存主義を提唱した サルトルは存在と無という本を書いている。 ただ、サルトルのマルクス主義はどうかと思うし、 構造主義で批判された点も考えないといけない。 日本では京都学派というのが西洋のニヒリズムについて 東洋的な無で対抗したらしい。 でも西洋と東洋と分けるのどうなんだという感じがする。 中東とか、南米とかどうなるんだと。 でも、中東とか南米の無はいまいちわからない。
お礼
実は簡単なのである。 世の中が嫌になったとき、人が考えることは何か。 いっそ消えてなくなりたいなどと思うであろー。 それが無である。
おはようございます。 ワーイ! マタマタ、楽しい有効的なお話が聞けます、期待に胸が躍ります。 点が集まったとしたら線になるそうですね、でも理論的な存在で有るそうです。 宇宙は有る、これを思考しています個人は宇宙を構成する点です。 その点が集まると宇宙になります。 で、この点は思考しなくなっても、点で残ります。宇宙が存続するはずです。 思考する事が出来なくなった時に無なのでしょう。 でブータンの人は正しい!と思考している。 有限な宇宙なのでしょう、材料はネズミ算的に無限なのでしょう、については 書かれていませんので判りません。
お礼
>でブータンの人は正しい!と思考している。 本人はそー思っているよーです。
お礼
宇宙の全体に1を詰め込むことは出来ないでしょう。 仮に無限に1を詰め込んだ米粒のよーな空間があったとしても、その空間が宇宙の全体では有り得ないでしょう。 するとその空間とその空間以外の空間の違いが生まれる。 空間は同じではなくなってしまう。 全ての存在は無に等しいと考えるのは明らかな論理矛盾となります。 やはりブータン帰りのあの人は正しくなかったゆーことになるんでは。