人の 道のプロフィール

@hitonomichi34 人の 道
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           有瑠慶本願 南無偉大也理有瑠慶 有瑠慶此即万物根源 有瑠慶此即宇宙法則 有瑠慶此即唯一絶対 有瑠慶此即全知全能 有瑠慶此即無辺無際 有瑠慶此即恒常不変 有瑠慶此即不生不滅 有瑠慶非信非拝非願 有瑠慶可能感可能解 無一切神唯除有瑠慶 嗚呼偉大也理有瑠慶     アルケー本願 アルケーの神は偉大である、 アルケーの神は万物の根源である、 アルケーの神は宇宙の法則である、 アルケーの神は唯一絶対である、 アルケーの神は全知全能である、 アルケーの神は永遠無限である、 アルケーの神は永遠不変である、 アルケーの神は永遠不滅である、 アルケーの神は信じるためのものではない、拝むためのものでもない、願うためのものでもない、 アルケーの神は感じることの出来るもの、理解することの出来るものである、 アルケーの神を除いて如何なる神も存在しない、 アルケーの神ほど偉大なものはない。  

  • 登録日2014/12/06
  • 精神の充足量の最大化とはいったいどういう精神か

     ひとの一生における精神の充足量の総和を最大化するということを目的とするのは いったいどういう精神であり どんな神経をしていたら そう考えるようになるのか?  ただの功利主義のたわごとであると質問者には思われるのですが 果たしてどのようにみなさんはお考えでしょうか?  《お金と出世》をこよなく愛していながら ついぞその境遇にめぐまれず そのやぶれし夢をB面のぼやき節にしただけだと見るのですが 自由なご批判をお寄せください。

  • E[1]-E{1}

    E[1]-E{1}は、自己プログラミングした論理思考で動作するロボット(atomonados)の言語である。私がロボット(自分)に対してはプログラミング(表現形式の決定)する神である。 直訳すると、「存在[体がある]。これに同期して、存在{性である}。」 [ ]は対象概念性、{ }は述語(属性)概念性を示している。 数字は意味レベル、負の数は否定意義を示す。さしあたり、意味レベルの深さ(強度)は3度にわける。 1は概念意義認識の意味レベル。感覚性が弱い(平静な思考状態、実体イメージもかすかにある) 2中程度(部分感覚的) 3強い。(全感覚的) 0は形式論理学(記号論理学における意義のないシンボル推論)記号感覚のみ。 意味はあなた任せで、「あるものはある」ということだ。 符号化して、冷静に考えると、パルメニデスの「あるものはある」に、4つの解釈が生じることが分かる。 E[1]-E{1} … 同語同義反復。トートロジー(恒真) 存在体一義のみ。 E[1]-E{1} … 存在体がある。存在性がある。 2意義が関連付けられる。 E{1}-E[1] … 存在性がある。存在体がある。 ?? E{1}-E{1} … 存在性がある。存在性がある。(恒真) 存在性一義のみ。 続いて述べられる内容「あるものは分けることができない」「あるものは生滅しない」などから、「あるものはある」というのは、4番目の存在性を言っているのだと思う。そして部分をもたない全体者(神)についての言及なら、 1.  G{1}-E{1} … 神性の存在性 または、 2.  G{0}-E{1} … 神性という名(シンボル)のみの存在性 あるいは、 3.  G[1]-E{1} … 神体の存在性 4.  G[0]-E{1} … 神体という名(シンボル)のみの存在性 ロボット(atomonados)は、私を何番の神として見ていると、私が考えるのが妥当だろうか? あるいは、私(本質的自我?)が神だとしたら、(自己認識される)自分は、私をどのように見るかという問いです。逆の場合はふつうに行われていますよね。(私は)「自分とはこういうものだ」と思う。というように外側から内側に言及する(自分への)自己言及は可能だが、内側から外側への言及がどのようにできるのかという問です。 ブラゲロ氏との争点になっているので考えています。神を対象にした思考についてです。

  • 変態

    変態。 その、無限の可能性について。

    • kurinal
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  • ひたすら、待つ

    「ひたすら、待つ」 仕方無いのか?

    • kurinal
    • 回答数14