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【無】って…?
ある野球選手の今年の目標?みたいなことが書いてあって、座右の銘?好きな言葉?が・・・・・、 【無】らしいんです。 なんで、【無】なんでしょう? 【無】になにか、強い気持ちが込められているのでしょうか? 詳しい方、回答お願いします。
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「無」は仏教特に禅宗でよく使われる概念のひとつです。 仏教では、人間には成長するに従って百八つの「煩悩」(ぼんのう)が宿ってくると言われています。「煩悩」とは「欲」とか「雑念」と言い換えてもいいと思いますが、とにかく子供の時のような純真な心を失い、お金や食べ物や色恋や名誉に翻弄(ほんろう)されるようになってきてしまうのです。このような様々な煩悩を少しずつ吐き出し、心を純粋化させ、「無」(「空」とも言う)の境地に至るために、禅の修業があり、坐禅という修行法があるのです。 「無」とは一般的には、煩悩や雑念から解放されて無心になることと解釈されています。つまり前の回答者の方が言われているように、野球選手としてあまり目標にプレッシャーを感じて肩に力が入り、実力が出し切れないよりも、むしろいつも無心・無欲で一心に頑張りたいということなのだと思います。 まさに 「無」には、一つの物事を成し遂げる、その目標に向かって一所懸命ひたむきに努力する、という意味があり、その野球選手はそういう意味で「無」になりたいといっているのかもしれません。
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- toko0503
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#2さんとかぶりますが、「無欲の勝利」という言葉を ご存じでしょうか? 人間、あれこれ欲が出ると、 返って気負い過ぎたり、気合いが入り過ぎたりして、 失敗したりするものです。欲望が大きいと、 それが叶えられなかった時、失望もまた大きいものですよね。 プレッシャーやストレスを背負わず、無欲無心で取り組んだ時 思わぬ力が発揮できたりするものです。 そんな心境を表現したのではないでしょうか。 私見ですが書いてみました。
無心ということではないでしょうか。ここで一発すごいのを打ってやろうとか、こうしてやろうとか、そういう気持ちってだれにでもありますが、そういうときは気持ちばかりが先走ってからだが開いてしまったり、基本姿勢を忘れてしまったり、と失敗しがちです。 無心になる、ほめてもらおうとかいいところを見せようとせずに、恬淡にコツコツ自分に向き合うことが何よりも大切だと私は文学の師匠に教わりました。たぶん、そのことではないかと思うのですが・・・。
恥ずかしい過去を吐露します。 実は中学生の頃、詩人になりたくて、大手出版社の詩のコーナーに投稿して、一席になったことがあります。 タイトルは「流行」 色んなものが流行り、人はそれについていく。 そして廃れていく。 確かなものは見当たらない。 だからこそ一時的な流行にすがる。 だけど、一つだけ変わらないものがある。 それは「無」と言う事。 何も無いということは、普遍の事実なのです。 投稿時中学生で、副月間雑誌だった為掲載時は高校生で、出したのもすっかり忘れてましたが、国語の先生に見せたら、中学生の書く詩ではないと言われたし、評者の先生も「切り口深く伝わる作者の才気」とか書かれてご機嫌ちゃんでした。 後日談ですが、稿料の5千円は母にお好み焼きをおごらされて消えました。せめてバッグかなんか買えばよかった。