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牢屋の下働きの人たちが着ている法被に・・
時代劇で牢屋の下働きの人たちが着ている法被(はっぴ)に、背なかに「出」と記してありますが あれはどういう意味ですか
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法被は元々、印半纏(しるしばんてん:文字や図柄が入ったもの)と区別されていましたが江戸時代にはもう殆ど区別されなかったとも言われてます。 牢に入っている囚人と区別する為(印半纏を着ていなかったら囚人とは区別付かないでしょうに)牢の中の囚人と違い外と云う意味のある「出」を書いたのではありませんか? 察するに事実では無く映画の中だけでしょうかね。 江戸火消しの場合はすぐに判る様に、例えば「纏」とか「階子」を一文字に組んだものを入れているのもあります。
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牢奉行石出帯刀の出を染め抜いたものです。 牢奉行は石出氏が代々世襲していました。(当主は帯刀を襲名) 役高300俵十人扶持でした。 お目見え格でしたが不浄役人として卑下されていました。 下働きの人を牢屋下男(しもおとこ)と呼びました。 給料は年一両二分一人扶持でした。 薄給でしたが、付け届けや囚人が依頼した買い物のピンハネなどで結構潤っていました。 定員38名で頭1名、門番2名。薬部屋勤務2名、賄い18名、張番15名でした。 蛇足 江戸時代の牢屋は現在の刑務所とは違い、判決が出る前に収監しておく施設でした。 江戸時代は犯罪者の更生などという考え方は皆無で、処罰一方でした。 牢へ送る前に大番屋(調番屋)で徹底的に調べられました。 科学捜査などというものがない時代ですので、唯一最大の証拠が自白でした。 自白した後(させられた後)で刑の確定、執行までの期間待機させる場所が牢屋敷でした。 判決がTVの時代劇のようにスラスラ出てくることはなく、奉行所の役人次第で2年や3年は放っておかれました 酷いのになると忘れられてしまったなどということもあったようです。
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ご回答ありがとうございます。くわしいですね
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ご回答ありがとうございました