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牢屋と娑婆

こんばんわ。 カテ違いかもですが質問させてください。 牢屋に30年居た人間と、娑婆で30年それなりの一般的な生活を暮らした人間、どっちが・・・。 [・・・]の部分をなんと表現したらいいのかわかりません。なにかを書きたいんですが自分では上手く表現できません。 [牢屋に30年居た人間には牢屋の30年がどんなものか知っている]だろうし、[娑婆で30年暮らした人間は娑婆の30年がどんなものか知っている]。 つまり、[牢屋に30年収監されていることも「牢屋の経験」という意味では有意義なのでは?]ということをたぶん私は言いたいと思うのです。つまり裏を返せば[牢屋に30年入ってる人って哀れだな]とも。 どちらが幸せかということではなく、どちらが・・・。 自分で書いてて自分でもさっぱり意味が分かりませんが、皆さんのいろんな意見を聞きたいです。私は哲学なんて全くの素人なんで優しい人に優しく回答頂ければ嬉しいです。 よろしくお願いします。

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  • Osachi-H
  • ベストアンサー率22% (48/209)
回答No.4

有意義な人生なのか。 というようなことだと思います。  それは、当事者によると思います。 簡単には、まず、収監された理由も大きいと思います。 ネルソン・マンデラ氏(28年ほど)や、アウンサンスーチー氏(自宅軟禁)や、V.E.フランクル氏(※ドイツ強制収容所)、吉田松陰(野山獄1年余)などといった人を想起します。  期間は30年まで長くありませんが、将来の見えない状況での投獄などは、近い状況だと考えます。  こうした人を見るに付け、志のある人にとっては、どのような環境にあっても輝けるものだな。と思います。  しかし、一方で、普通の人間にとっては、行動の自由を奪われた30年はあまりにも大きな制約だと思います。  人間は、表に出る性格、性質、才能などは、運、きっかけが大きく作用します。普通の状態ではいい人でも、危機、切羽詰まると利己的になったりすることは往々にしてあることです。  そういう意味で、もともとスケールの大きな人間には、暮らす場所はそれ程制約にならないかもしれないけれども、普通の、多くの人間にとって、一般的な意味での制約条件は、非常に不利であると考えます。  ただ、人間は人の気持ちにはなれないから、大金持ちの苦労は大金持ちしか知らないように、なってみないと分からないものは多いことと、神様は人間に忍耐と対応力を持たせられているので、なってしまえばだんだんと対応していくのだろうとは思います。    思うところを少し書かせて貰いました。 ※ http://www.aritearu.com/Influence/Frankl/NachtundNebel.htm

noname#44432
質問者

お礼

なるほど。勉強になります。 ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • yoh001
  • ベストアンサー率34% (24/70)
回答No.3

piyobuuさん、こんにちは。 piyobuuさんの疑問に役立つかどうか・・? おそらく、空想物語のように思われるかも知れませんが、 デッカイ!?、こんな話しも聞いて下さい。 信じる必要は全くありませんので、ただ、感じてみて下されば幸いです。 地球文明圏に生きている僕達(魂たち)は、 今回地球に生まれてきたのが初めての「人間体験」ではありません。 元々は、他の星(優良星)でその星の人達と暮らしていました。 優良星での生活はたいへん快適で、 全ての人々は動植物と共に皆んな仲良く暮らしていたのです。 ところが稀に、あまりにも快適であるために、 我がままの心や怠惰の心を起こす者達が現れます。 そこで、その者達の「心の再教育」のために、 各優良星からその者達を集め、 今から三千年~五千年前に 一括して、肉体を持ったまま降ろされた星が この地球であり、その者達が僕達の「肉体の先祖」なのです。 僕達のDNAは彼等から受け継いでいます。 僕達はその後に順次、彼らの子孫として、 同様の理由(我欲が強い)で地球に降ろされた者達です。 地球は、我欲を心から無くすための「宇宙間の牢屋」ですから、 他の星と交流することが許されないわけです。 地球科学の電波では、波動レベルが低く 電波望遠鏡で得た星々の情報はそれなりのものです。 宇宙の「娑婆」の情報は隠されていました。 というより、地球人の意識レベルが低いため同調できない、といった方が正確です。 宇宙計画は「牢破り」で、許されておらず、 失敗が多くなりつつあるのはそのためです。 僕達は地球に降ろされてから、 我と欲の心を無くしてゆくために 何回も何回も人生を体験しています。 地球社会の中での牢屋は、牢屋の中の牢屋ですね。 その体験も、魂の修行のために必要な人には貴重な体験です。 色々な体験は、その人の心(魂)の向上に必要があってしていることで、 無駄な体験というものは一切ないわけです。 僕達は「肉体を着て」修行している「魂」なのです。 「魂」はあらゆる体験をしなければ進化しないのです。 こんなことを言っている僕も、 以前の人生では人を殺し、また殺されたこともきっとあったと思います。 その経験が深く魂に刻まれていますから、 今は「人を殺す、生命を殺す」ということは絶対にイヤだ、という思いがあるのでしょう。 ところで、もう地球も牢獄でなくなる時が近づいてきました。 地球も、激動を経て、優良星に生まれかわるようです・・・。 哲学ではありませんが、長々と失礼しました。

noname#44432
質問者

お礼

SFちっくでおもしろいですね。 ありがとうございました。

  • Elim03
  • ベストアンサー率23% (146/632)
回答No.2

 どちらが、より人生の価値を知っているだろうか?

  • bandgap
  • ベストアンサー率17% (49/278)
回答No.1

どちらが,より深く死を意識しているだろうか? と私なら書きます.ただ個人的には,牢屋に 30 年いた人が具体的であるのに対し,娑婆に 30 年いた人が曖昧すぎて,両者を比較することに意味があるのかどうか疑問に思います.