※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:御家人の姿と生活(鎌倉時代))
領地のない御家人の生活と竹崎季長の地頭職
このQ&Aのポイント
御家人の中でも領地を持たない者はどのような生活をしていたのか疑問です。
竹崎季長が4人の配下を引き連れていた御家人だったのか疑問です。
竹崎季長が地頭職になった際、平均的な地頭の身分だったのか疑問です。
歴史・文化ガイド「北条時宗の時代」に、次の一文がありました。
『戦い終わって、時宗政権下の最高実力者・安達泰盛のもとには恩賞を求める御家人がつめかけていた。敵中へ先駆け一番を果たした竹崎季長もその一人。季長は領地のない「無足」の御家人であるだけに、恵まれぬ境遇を脱するため必死であり、主従わずか5騎で出陣……ようやく地頭職と褒美の馬を賜ることができた。』
質問なのですが、
(1) 竹崎季長のように、領地を持たない御家人が、4人の配下を引き連れて、その家族も含めて、それまでの生活の糧は何だったのでしょうか?
(2) 4人の部下も、身分は「御家人」だったのでしょうか?それとも「無足」の御家人の配下として、違う身分があったのでしょうか?
(3) 竹崎季長は、希望が叶って「地頭職」になったのですが、4人の部下を持つ「地頭」というのは、当時、下級の地頭?……表現が適切ではないかも知れませんが……としては、平均的な「地頭」といってよいのでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございました。 御家人の姿の一端がようやく分かりました。 恩賞というのは涙ぐましい努力のたまものだったのですね。同族内の所領争いに敗れて没落したことも考え合わせると、何か「悲しさ」みたいなものを感じさせます。 それにしても、『蒙古襲来絵詞』という貴重な財産を後世に残したわけですから、「昔の人は本当に偉かった」という気がします。