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鎌倉幕府の御家人は税は払っていたのでしょうか?

鎌倉幕府と御家人の間には、ご恩と奉公という強い結びつきがあったとされています。その中で、御家人は将軍から土地を安堵された、とありますが、この安堵とは税は払わなくていいから、土地は自由に使っていいよ、ということなのでしょうか?  また、鎌倉幕府の財政は何によって支えられていたのでしょうか?教えてください。

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  • tanuki4u
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回答No.4

ありがとうございます。でも、京都の権門とはどういう意味なのかよく分からないので教えてください。朝廷?ではないですよね? そして、御家人達は京都の権門に税を払っていたのでしょうか? ↓ 権門 天皇家 摂関家 有力寺社 などなどの http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%98%E5%AE%B6 領家にあたるものが権門 将軍家も実はこの権門の一つです。 他の方が指摘している、「関東御分国」という知行国というのは 1 古代的な税制度があったよ 2 荘園が拡大してきたよ ※ 荘園って、力の強い奴が国の税金分を横取りする制度だねぇ ※ おっと、まてよ、摂関家より力の強い奴がいたぞ!国家じゃねーか 3 というので、国衙領というの生まれます。 ※ 受領ってやつだ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%97%E9%A0%98 4 釣り堀の代金を支払えば、釣り放題 釣り堀 = 領国 代金 = 国家に支払うべき税金 釣り放題 = 受領の取り分 で、この受領の任命権(=それに伴う、受領からの感謝の賄賂(?)を貰える権利)を持つことを知行国と言います。 この受領の大成功者が平清盛だったり源頼朝だったりします。 そして清盛が受領からさらに知行国主となり、その知行国主の権利を引き継いだのが頼朝 ==== ざっくり統治の歴史では 古代 統一的に税制度とか考えて、政治をやりましょう 中世 個人間のお付き合い中心で、統一的なことなんてしませんぜ 近代 国民に対して国家は責任があるし、国民も国家に対して責務があるよね 現代は近代に住んでいるので、中世を見る時に「何か統一的な原理があるよね、きっと」と思っちゃいますが、基本的には中世では、個人同士の約束事で世界が成り立っています。 なので「税」などというなにか「公的」な臭いがするような言葉で理解すると、誤解しちゃう。

その他の回答 (3)

  • ithi
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回答No.3

matatomo さん、こんばんわ。 御家人は将軍から土地を安堵されたというのは自分たちの先祖が開発した荘園のことです。この荘園の管理権(つまり事実上の支配権)を安堵されるということは武士たちにとって重要なことでした。これがなければ、自分たちのアイデンティティや生活の基盤がなくなります。 税は払わなくていいから、土地は自由に使っていいよ、ということなのでしょうか? しかし、かわりに有事の時には軍役として兵を引き連れて鎌倉に来なければなりません。他には番役として鎌倉や京に詰める場合もあります。これらは費用は自分持ちです。 確か、将軍自体も莫大な所領を持っています。確か平家の所領のほとんどは頼朝の所領になっているはずです。この年貢が鎌倉幕府の財政の基盤になっているはずです。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

単純な理解のために、三者を想定します A 京都の権門 B 現場の御家人 C 幕府 税というのも、色々な考えがありますが、BからAに払われるものと単純に考えます。 Aは巨大で、Bは現地の弱小勢力、個別に交渉するとBの立場が弱い。 Bの権利と義務を明確にして、Aから守ってやったのが C の幕府となります。 安堵とは、この保証を言います。 税というかBからAへの支払いは行われています。 鎌倉幕府に「財政」などというものはないので、支える必要がありません。 例えば「人件費」なんてのは不要。 御恩を受けているので、奉公するだけです。

matatomo
質問者

補足

ありがとうございます。でも、京都の権門とはどういう意味なのかよく分からないので教えてください。朝廷?ではないですよね? そして、御家人達は京都の権門に税を払っていたのでしょうか?

回答No.1

>この安堵とは税は払わなくていいから、土地は自由に使っていいよ、ということなのでしょうか? だいたい合っています。 安堵とは「土地の支配権を保証するから、その代わり、御家人として主君に奉公しなさい(有事の際には味方になりなさい)」って意味です。 >また、鎌倉幕府の財政は何によって支えられていたのでしょうか?教えてください。 御家人に安堵させた土地から入る税は、基本的に御家人の収入になりますから、将軍には入りません。 なので、将軍は、将軍の知行国(直轄地)である「関東御分国」と、平家から没収した土地などから構成される「関東御領」からの税収を得ていました。 そのほか、全国の御家人の領地には「公田」と言うのがあって、公田の広さに応じて「関東御公事」と言う上納金を幕府に納める事になっていました。

matatomo
質問者

お礼

とても分かりやすかったです。ありがとうございました。

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