- ベストアンサー
御家人
御家人は皆、家で本人や奥さんが内職をしていたイメージがあるのですが、実際はどうだったのでしょうか?
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
江戸時代の御家人は一部の役得の多い職についているもの(町与力、町同心ほか)をのぞいて家禄や扶持だけでは生活がしていけず、また3日勤めといって2日勤めて1日休むといった勤務で時間的余裕もありましたので内職に励むのが普通でした。 御家人の内職として有名なものとしては、青山百人町の傘と春慶塗、大久保百人町の植木、根来百人町の提灯、下谷御徒士町の朝顔などがあり、浅草の朝顔市のルーツはこの御徒町の朝顔といわれています。 また千駄ヶ谷付近に住む御家人は鈴虫、松虫などや、その虫を入れる虫かごなどを作っていました。
その他の回答 (1)
- char2nd
- ベストアンサー率34% (2685/7757)
回答No.1
池波正太郎さんの「剣客商売」の中に、このような記述があります(以下抜粋)。 「徳川直参の旗本といっても、将軍に目通りが許されるのは二百石以上の幕臣である。それより下は御家人と呼ばれ、その内情はまことに苦しい。 軍役の上からは槍一筋の格式を持たされて、少なくとも四人以上の奉公人を抱えなくてはならず、百俵を金に替えても奉公人の給金などを払うと、一年の暮らしを十両あまりでまかなわねばならぬ。これは腕の良い職人とほとんど変わらない収入である。」 奉公人を置いている以上、さすがに内職は無いでしょうが、それでも相当に苦しかったようです。
質問者
お礼
御回答ありがとうございます。 ある意味、庶民の方が楽だったのでしょうね。
お礼
御回答ありがとうございます。 御家人は内職がメインなほど生活大変だったのですね。