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原爆落とされる前に降伏
原爆を落とされるころは日本はかなり弱っていたと思われますが、何故落とされる前に降伏しなかったのでしょうか。落としてから降伏すると、密約があったのでしょうか。原爆の実験とソ連への威嚇のために。
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原爆を落とされた事が、日本の最高指導会議においての降伏の要因のひとつと、なっているからです。 密約なんか存在しません。 でも、鈴木貫太郎は、陸軍、特に阿南を納得させる為に、アメリカが開発されたとする情報で、地方都市への原爆の投下を望んでいたかもしれません。 トルーマンは、膨大な予算を使用した、原爆開発の事実を、議会対策として、投下しなければならなかった。 それは、投下の事実を使う為、もう日本しか残っていなかった。 これが、大きな理由です。 戦後世界をソ連に意識させるには、別に原爆である必要は、ありません。 確かに、ソ連に脅威をあたえられるとも、二重に利用価値があるとも考えていました。 つまり、トルーマン個人が、次期大統領選の為に、戦費全体の1/4とも言われる膨大な予算を議会に、成果報告するために無警告投下を行なったのです。 東京に投下、天皇を傷つけたり、日本政府を傷付けると、交渉相手を失う事になるので、地方都市を狙う様にしたのです。 トルーマンは、原爆投下の被害の大きさを理解していなかったのかもしれません。 そして、本土上陸作戦で発生する100万人の若者を救ったと、情報操作したのです。 だから、今でも、原爆投下は正当な行為であるとするアメリカ人が多いのです。
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>落としてから降伏すると、密約があったのでしょうか。 これはないでしょう。 政府の中でも、何とか戦争を終わりにしたい考えの人たちと、本土決戦までやろうという人たちと最後の最後まで揉めていて、見解の統一ができていませんでした。 終戦に持って行きたい人たちは水面下で色々考えていたようですが、間に合わなかったんだと思います。 解説できるほど詳しく知りませんけど、ポツダム宣言を受諾するかどうかという議論で。 「日本のいちばん長い日」を読んだ程度なので、他の様々な見解までは知りませんが、陸軍の阿南大将は、陸軍内部のことを考えて降伏に反対していたとか。 ウィキペディアに書いてある「降伏に反発する軍の暴発を阻止するため」という説、がそれかと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%8D%97%E6%83%9F%E5%B9%BE#.E7.B5.82.E6.88.A6.E6.99.82.E3.81.AE.E9.98.BF.E5.8D.97.E3.81.AE.E7.AB.8B.E5.A0.B4.E3.82.92.E3.82.81.E3.81.90.E3.82.8B.E8.AD.B0.E8.AB.96 はっきりしてないんでしょうかね。 とにかく、議論しているうちに原発を二度落とされてしまった。 今となっては「もう少し早くやめれば良かったのに」と思いますが、宮城事件の話など読むと、戦争を終わらせるのも簡単ではなかったんだな、と思います。玉音放送をするにも苦労。 http://matome.naver.jp/odai/2137612768139220501
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ありがとうございます。 >見解の統一ができていませんでした。 これは難しいですね。
- rabirabi88
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逆です。 日本が降伏しようとしたため原爆を落としたとお思われます。 日本の降伏が早ければ、それに合わせて原爆の投下も早まったと思われます。
お礼
ありがとうございます。 米国の思惑通りですね。
- kuni-chan
- ベストアンサー率22% (678/3074)
連合国側が無条件降伏しか認めなかったからです。 話し合いの余地があればもう少し前に停戦した可能性は十分にあります。 アメリカにしてみれば膨大な国家予算をつぎ込んで開発した原爆ですから使わない選択肢は最初からありません。 戦争に勝てば、人体実験をしても無差別大量虐殺をしても責任を問われる事はありません。 人体実験の前に降伏されたら困りますから終結させる交渉をする気はありませんでした。 したがって密約はあり得ません。 あと、国民が原爆実験でモルモットにされ無差別大量虐殺される事を容認する密約をする政府があると思いますか。
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ありがとうございます。 無条件降伏に関しては、ANo.6.9 さんも述べられてます。 >戦争に勝てば、人体実験をしても無差別大量虐殺をしても責任を問われる事はありません。 コレが問題ですね。 国際連合はこの点ちゃんとするのでしょうか。
- Beholders
- ベストアンサー率21% (77/364)
和平に反対していたのは陸軍です。 原爆前に政府が強引に終戦しようとすれば恐らく高い確率で陸軍主導の軍事クーデターが起き、最悪の場合は内戦状態に陥っていたと思われます。天皇を幽閉して憲法を停止し軍事独裁政権を樹立する、あるいは秩父宮を擁立して新政府をつくるなどで。 実際、終戦直前に近衛師団が天皇を幽閉しようと画策した事件がありましたよね。このときは近衛師団しか動きませんでしたが、原爆投下前であったなら恐らくもっと大規模な反乱が起きて軍中央はなすすべがなかったと思われます。 そういう状況での原爆投下だったので、当時の和平派重臣たちは原爆に対し下記のような感想を述べています。 木戸幸一内相 「陛下や私があの原子爆弾に依つて得た感じは、待ちに待つた終戦断行の好機を此処に与へられたと言ふのであつた。それらの心理的衝撃を利用して此の際断行すれば、終戦はどうやら出来るのではないかと考へたのだ。……私ども和平派はあれに拠つて終戦運動を援助して貰つた格好である」 米内光政海相 「原子爆弾の投下とソ連の参戦は、ある意味では天佑であると思う。……国内情勢によって戦争を止めると言うことを出さないで済むからである。」 鈴木貫太郎首相 「非常に好都合なもの」 終戦したくても出来ないジレンマに陥っていた重臣たちにとっては、原爆投下は天佑であり好都合なものだったのです。
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ありがとうございます。 >和平に反対していたのは陸軍です。 愚かですね。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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終戦や降伏の道やタイミングを絶たれていたと存じます。 本土空襲と原爆投下は既定の路線だったと存じます。 砂漠に空襲のための施設を造り、風の方向を検討して空襲訓練を重ね、焼く尽す。 何の抵抗もない、下町を低空で空襲し、空いた金属の思い鉄板や容器を逃げ惑う市民に落とす。 それで肩を割かれたり、頭からぶちのめされたりした人も多かった。 有色で違う言語と民族文化の人を人間と見ることができなかったのだろう。 浅草と蒲田で空襲に被災しました。 プロフィールに書いておいたと思うが、ご参照ください。
お礼
ありがとうございます。 プロフィールも拝見させていただきます。
- HL230P45
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「終戦末期」という日本語はありません。 それから、「仁科研究所」の資料を見る限り、当時の日本が原爆を作れたとは思えません。 仮に、ドイツからプルトニウムを貰ったからといって、それを反応させられるとは思えません。 ドイツからは戦闘機のエンジンも提供されていますが、日本では精度が出せずに失敗しています。 【日本は原子爆弾は完成できたか? 仁科芳雄と「二号研究」】 http://www.asyura2.com/0406/senkyo5/msg/583.html 【戦前日本の原爆開発史】 http://www.marino.ne.jp/~rendaico/jissen/hansenheiwaco/gensuikinundoco/genshiryokukenkyushico/nihonnokaihatushi.html それに、水上機で上がれる高度から投下したら、その機体も爆発に巻き込まれます。 1:>何故落とされる前に降伏しなかったのでしょうか。 回答1:降伏条件が認められるものではなかった。 当時の日本は、原爆以前から条件さえ合えば降伏(というか講和)をするつもりでした。 しかし、アメリカは曖昧な降伏条件(国体の護持、天皇の地位への保証がない)を出すことで、日本が降伏できないようにして、原爆を使用する準備をしました。 (降伏条件の起草段階では天皇制の維持が含まれていましたが、トルーマンはこの部分を変更しています。) ただ、これについてはいつまでも戦争を続けていると、ソ連が参戦してしまい、戦後処理についてソ連に発言力を与えることとなり、タイミングが難しい作戦でした。(実際そうなりました) 日本は↑のような条件が不明な状態で降伏した場合、国が消滅する事もありえるので、安易に降伏はできませんでした。 更に、降伏後に天皇が処刑された場合、国民や軍部が激昂し、政府の意向に関係なく戦闘を行う場合もありえます。 そのような内戦になった場合、中ソが介入して朝鮮やドイツのような分断国家になり、新たな戦争の原因になったり、朝鮮半島ではなく日本が冷戦の最前線になるかもしれませんでした。 そのような事態は日本もアメリカも望んではいなかったと思います。 以上から、敗戦後の外交や政治まで考えれば、安易に降伏できる状態ではありませんでした。 原爆投下後の降伏ですが、これ以上降伏しないままだと、第3第4の原爆が落とされる可能性があり、もう条件がどうこう言っていられなくなった為です。 アメリカが原爆を使いたがっていたのは、↓の目的の為です。 A:原爆(2種類)の効果を、実際の都市や人間で確かめ、データをとる事。 B:他国に使用可能な核保有国であることを示し、戦後の国際関係で優位に立つ為。 Aについてですが、上記の目的を満たす為に、投下する都市は↓のような経緯で選ばれています。 A1:周囲を山に囲まれた直径3マイル以上の市街地を持つ都市。 アメリカは、↑の条件をより満たす為に、広島への空襲を停止して建築物を保存し、人口を集中させました。 A2:警告無しの使用の決定 トルーマン大統領は、自分が設置した暫定委員会で、原爆の使用は「労働者の住宅に囲まれた軍需工場に、事前の警告無し」で行われるべきだと語り、そのように決定しています。 (開発に携わった科学者は、無警告の原爆投下に反対しています。) この質問は過去にも何度か出ており、警告については、連合軍は爆撃前にビラをまいて避難を呼びかけていたという意見がありますが、それには 何 故 か 【広島】と【小倉】は入っていません。(画像参照) (小倉は広島と同じ理由で選ばれていましたが、爆撃機が航路を誤って、長崎に落してしまいました。) 福山空襲は年8月8日 久留米空襲は8月11日 長野空襲は8月13日 (広島の原爆投下は8月6日、長崎は8月9日です) 長崎の投下地点の真上には、日本に始めて建設された「教会」がありました。 (アメリカはこの事を隠していますが) 2:>落としてから降伏すると、密約があったのでしょうか。原爆の実験とソ連への威嚇のために。 回答2:それはありえないと思います。 質問者様は、旧日本軍をどのように思っているのかはわかりませんが、自国民を他国の兵器の実験台にする事はありえないと思います。 それに、直ぐ降伏すれば、ソ連が侵攻してくる理由を否定できます。 過去にもこのような質問があり、そこでは日本は愚かさ故に、アメリカの原爆使用の可能性を否定していたり、威力を過小評価していたという意見がありました。 しかし、原爆は日本もドイツも研究していました。 なので、破壊力については、ある程度の予想はできていたと思います。 (放射線については不明ですが) 使用についても、日本本土で使用すれば民間人を巻き込むことは確実であり、国際法違反の「虐殺」である事から、本当に使用するとは思っていなかったのかもしれません。 「虐殺」については、東京裁判でアメリカ人も追及しています。 仮に、日本が原爆を開発した場合でも、使用する場所は占領下にある太平洋の島の奪還の為になるので、民間人はいない筈です。 そして、日本はアメリカ本土の占領は考えていませんでした。 【A級戦犯は冤罪】 https://www.youtube.com/watch?v=sDTJVZheUwo アメリカ人は、自分たちがしていたので、日本もすると思い込んでいたのかもしれませんが。 【鬼畜米軍実録1 バンザイクリフの悲劇 サイパン 日本人が投降できなかった理由】 https://www.youtube.com/watch?v=IwAZsIbbq2I 【アメリカ軍の戦争犯罪】 https://www.youtube.com/watch?v=4nxOqeW4nCo 多くの人が、日本は「無条件」降伏をしたと思い込んでいるようですが、それは間違いです。 日本は無条件降伏をしたつもりはありませんでした。 そもそも、ポツダム宣言の受諾=無条件降伏 ではありません。 ポツダム宣言の降伏に関する文章には、「Following are our terms」(我々の条件は次の通り)と記されており、 それには「日本国政府は直ちに全日本軍の無条降伏を宣言」となっています。 これは、軍隊の無条件降伏=単なる武装解除であって、軍組織の解体や消滅ではありません。 そして、軍=国家・政府 ではない以上、ポツダム宣言によって、日本という国家が無条件降伏したという事にはなりません。 ところが、この宣言の調印時に、連合国は国際法上「休戦協定(条件付降伏)」である文書を「降伏文書」と名付け、「休戦」を「降伏」に摩り替えました。 更にその後、米国政府は「日本との関係は、契約基礎の上に立っているので無く、無条件降伏を基礎とするものである」という通達を発表しました。 これは、米国は正式に締結した国際条約を反故にしたことになります。 日本はこれに抗議しましたが、軍が降伏し武装解除されていた為に、抵抗できず、 結果として、国家そのものが無条件降伏したことにされてしまいました。 【日本は「無条件降伏」をしたのか?!高森明勅】 https://www.youtube.com/watch?v=DN5NDgNA4UY
お礼
ありがとうございます。 >日本が降伏できないようにして、原爆を使用する準備を さすがですね。
- oska
- ベストアンサー率48% (4105/8467)
>何故落とされる前に降伏しなかったのでしょうか。 連合国の「無条件降伏」と、日本の「条件付降伏」の折り合いがつかなかったからです。 無条件降伏通告が届いた頃、軍部・政府では「日本の国体維持」という譲れない条件がありました。 「国体=日本=天皇」だったのです。 が、連合国は「天皇=陸海軍の統帥」と看做していました。 沖縄へ向かった「特攻大和」も、「もう戦える船は、ないのか?」との天皇の一声で作戦が決まったとの記録もあります。 まぁ、裏では連合国と降伏条件について交渉を行っていた様ですね。 アメリカとしては、せっかく完成した原爆の実証実験を行いたい。 日本としては、国体維持は外せない。 ウラン型・プルトニューム型の原爆実験が終わった後で、連合国は回答します。 「戦後の日本は、日本人自らが決める事だ」 軍部は、「日本人自らが決めると、天皇制が廃止か?」と危惧したようです。 最後は「次の投下目標は、政治的に重要な場所だ」との最後通告で、天皇自らが無条件降伏受諾を決めた様です。 結局、天皇を利用する事でGHQ統治を行う方針となりました。 以上、NHKでの特番でも放送された内容です。 余談ですが・・・。 終戦末期には、日本でもプルトニューム型原爆が完成間じかだったようです。 ドイツから日本に向かったUボートが、連合国に拿捕。 Uボート船内に「日本向けプルトニューム」があったので、連合国が愕然としたようですね。 「ゼロ戦を造った日本人が、小型の原爆を完成させたのか?」 航空潜水艦(潜水母艦)「伊400」搭載の水上機に原爆を搭載し、アメリカに向かえば・・・。 アメリカは、恐怖を感じたでしようね。 当時の、仁科研究所の資料を読むと分かります。^^;
お礼
ありがとうございます。 ANo.12 さんも同様の解説してくれてます。仁科研究所に関して調べます。
- k16399638
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まず、ソ連と日本は当時外交上は同盟国なので(日ソ中立条約を尊守し同盟国ナチス・ドイツとソ連を挟撃しなかった時点で、実はソ連と日本は表向き仲良しです)、ソ連を仲介とした西側連合国、つまりアメリカとの戦争状態集結交渉開始に期待を持っていたことがあります。 次に、日本は「なにかニューメキシコ州で新しい軍事技術の実験があった」ことは把握していましたが、それがトリニティ作戦、原爆のテストであることまでは気づいていませんでした。アメリカも広島に投下するまでは厳重に情報を管理しています。 日本も戦前に「ウラニウム235乃至234のセパレーション」という表現で、核反応を爆発に応用した兵器の概念は持っていました。意外なことですが日本はこの概念を正確に理解しており、それが膨大な乗り越えるべき技術的ハードルがあることも知っていたので、 1 実用化は数年では無理 2 ドイツがノルウェーの当時世界唯一であった重水生産施設をおさえているので、実用化は枢軸陣営が先になるであろう と都合のよい判断をし、原子爆弾を敵が先に実用化する可能性をあなどってしまった点もあります。 さらに、なんであれ使用するしないの判断はアメリカ側がするのですが、日本の手元にある情報が少なかったので、いつ、どこに、なにが、どう使用される、のどれも判断できるに至らなかったといえるでしょう。 また、ポツダム宣言について日本の通信社が「日本はこれを黙殺する」とあるのを、「無視する」と外国に報道してしまいました(英語)。これでアメリカが投下する決意を固めてしまったともいえるでしょう。 日本側はテニヤンに、普通とは違うコードネーム(長い)をもつB29が少数配備され、なにか訓練しているとまでは把握し、追跡して気にはしていました。毎日の無線を傍受していたくらいです。また、日本各地にこの長いコードをつけたB29がヘンな爆弾を投下していたのですが、この原爆のデータ取りに使われた模擬爆弾パンプキン爆弾についても、通常爆弾の大型化亜種ととらえていました。 そのコードをもったB29が実戦任務にはいる旨の通信をしたあと無線封止したのですが、広島に原爆が落ちたのがその数時間後でした。 原爆を使われる前に降伏するための方向性が、ソ連頼みという間違えの上にあったのと、原爆の存在を現実的脅威として判断できるレベル以上に把握していなかったのが、降伏前に投下された最大要因だと思います。 ---- 2発目は日をおいていないので、この2発は一回の「原子爆弾投下計画」と考えるのがいいと思います。 戦争があのタイミングでおわったのも、ソ連が参戦したため日本がスウェーデン・スイス経由でポツダム宣言受諾を通告し、アメリカがソ連を必要以上に南下させないために手早く交渉に入ったからではないかとおもいます。 ----- アメリカから見ればポツダム宣言を「無視」した日本は、2月のヤルタ会談で日本を裏切ることを決定しているソ連を頼みに終戦工作をしていました。アメリカ側とて、機能しなくなることがわかっている外交ルートを使いはしません。 当時関東軍とモスクワの大使館は極東にソ連軍が動いていることを把握して本国に通報していましたが、この組織全体の動きが変わりません。 陸海軍と外務省は新しい兵器をアメリカが持ったらしいとは認識していました。 が、いつどのように使用されるかが読めないでいました。ヘンなB29がテニアンに配備されたことまでは気づきました。これが日本で模擬原爆投下実験をしていることまでは把握し損ねました。 また、これらが8月6日早朝に、なにか作戦に入ったこともわかっていたのですが、 列記した情報を総合判断し、陸海で防備する体制が整っていなかったのです。 密約はなかったと思います。そんなことするくらいならいきなり落とすか、本気でソ連が行動する前に終戦交渉をするでしょう。 つまり、密約をするということは、日本に原爆完成を教えることとなります。 原爆の奇襲効果がゼロになるでしょう。また、日本が例えばソ連に終戦工作仲介交渉のカードとして、このことを密告したら、ソ連に対する威嚇効果も薄れてしまいます。 おもしろいですが、陰謀論は基本的に不毛なので、やめたほうがいいとおもいます。
お礼
ありがとうございます。 >ポツダム宣言について日本の通信社が「日本はこれを黙殺する」とあるのを、「無視する」と外国に報道してしまいました(英語)。 また不手際ですね。
- 0fool0
- ベストアンサー率18% (134/738)
日本は停戦(降伏)の打診をしていましたが、アメリカが其の交渉のテーブルで無条件降伏を突き付けて来たので、降伏出来なかったのです。 良くメディアでは日本が「無条件降伏」をしたと出ますが、大嘘で、日本は「有条件降伏」をしたのです。 アメリカが日本の軍部を解体した後、条約を守らなかっただけです。 ソ連の不可侵条約の破棄と同様です。 また「溺れるものはわらをもつかむ」で、日本はそのソ連に停戦交渉の仲介をして貰うという交渉もしています。 アメリカの思惑としてはマンハッタン計画に掛けた予算分の成果を出さなければならず、議会での責任問題に発展しては堪らないので、原爆使用は結果的には規定路線と言えるものでした。 そして使うに相応しい条件の戦場が日本人の暮らす、日本だったのです。 正直ドイツやイタリアはアメリカ国内からの反発が当然に予測出来るので、選択肢に成り得ません。 >落としてから降伏すると、密約があったのでしょうか この発想だと日本政府は始めからアメリカの利益の為だけに戦争を始めた事に成りかねないので、前後の歴史の繋がりが破綻します。 第一、密約までしていたとしたら、その相手を死刑にするというのも変な話ですし、その後の統治にも齟齬を来たしますので、有り得ません。
お礼
ありがとうございます。 >アメリカが日本の軍部を解体した後、条約を守らなかっただけです。 そういう国なんですね。
- jkpawapuro
- ベストアンサー率26% (816/3045)
戦争の終結は一方の意思じゃできません。 日本がいくら戦争をやめたいと言ってもアメリカがそれを認めてくれないと終わらないんです。 そして主導権を持ってるのは強い側、アメリカ側なんです。 二国間関係でも多国間関係でも、歴史を学ぶときはどこが中心でどこが歴史を動かしてるのか見定めないとトンチンカンなことになってしまいます。 アメリカは巨額予算を投じて原爆を作ったんです、これを使ってから戦争を終えるのが絶対条件です。 日本は国体を護持しての降伏をずっと求めていました。 そこでアメリカは”原爆を落としてから”バーンズ回答をよこしたのです。 密約ではありません、日本は和平を模索していましたが、アメリカの意思で原爆使用後の終戦と決められていたんです。
お礼
ありがとうございます。 予算のことまでは考え付きませんでした。
- 1
- 2
お礼
ありがとうございます。 >そして、本土上陸作戦で発生する100万人の若者を救ったと、情報操作 なるほど。 謎が解けました。
補足
ありがとうございます。 皆様のご意見、重なる部分も多くあり、ANo.11様をベストアンサーとさせていただきます。 ANo.12様も、日本内部の葛藤を詳しく書いていただき、ANo.11様のご意見と合わせるとより理解できました。ANo.5様もコンパクトにまとめていただき、他の皆様のご意見も非常に参考になりました。