• 締切済み

降伏

第2次世界大戦について疑問に思ったのですがもし日本が原爆をおとされるよりももっとはやく降伏していたら日本はどうなっていたと思いますか?あと日本は事前に何度か降伏するように要求されていたのですか?よくおもわない質問かもしれませんが回答していただけると嬉しいです。

みんなの回答

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.5

どの段階で降伏を決意するかですね。 純軍事的に「もうこれ以上は勝てない」とはっきりしたのは、1944年のマリアナ沖海戦です。日本はサイパン島を「絶対国防圏」と設定しました。サイパン島がとられてしまうとそこから日本本土が爆撃できるからです。 その決戦に、日本軍は敗北してしまいます。アメリカ軍に全く打撃を与えられずにこっちはほぼ全滅するという完全敗北でした。これで日本軍は空母というか、その空母に搭載する航空機とパイロットをすべて失ってしまいました。そしてサイパン島そのものの地上戦もあっさり敗北してしまいます。 この敗北を受けて、日米開戦を主導した東条英機内閣は総辞職します。 後任を受けたのは、朝鮮総督をしていた小磯国昭です。しかし中央の第一線から離れていた小磯首相の政治的基盤は極めて脆弱でした。今後の方針を決めることができず、あまりにも行動が後手後手で遅いのでその遅さから木炭自動車といわれてしまいました。戦況は急速に悪化しているのにね。え?私は新型コロナウイルス対策の安倍政権の話をしているのではないですよ。状況は日々悪化しているのに、何をしたいのか分からず迷走する。なんだか他人ごとに思えないですね。 連合国(英米)の動きですが、1943年にカイロ宣言というのがありまして、そのときに日本の降伏を勧告しています。しかし1943年はまだマリアナ沖海戦の前ですから、日本もまだそこまでの機運に至っていません。 1944年にフィリピンも失落するといよいよ戦況は絶望的になります。が、特に連合国側からも降伏を求める動きはなく、日本人の特性として相手が何もいってこないのに自分から「降伏します」とはいえません。 日本へのはっきりした降伏勧告は、1945年7月26日に行われたポツダム宣言でした。ただこれは大日本帝国としては受け入れがたい内容でした。なぜなら「無条件降伏」だったからです。無条件降伏というのは、相手から何をいわれてもされても逆らいませんというものです。天文学的な金額の賠償金を支払えといわれたら応じないといけませんし、日本の若い女性は全員アメリカに連れて行って娼婦にするといわれても断ることはできません。無条件で降伏ですから。 特に問題となったのが「国体の護持」ってやつです。この国体の護持ってのがなかなか理解しづらい概念でしてねー。要するに天皇制なんですよ。ポツダム宣言は無条件降伏ですから、天皇を排除するといわれても文句はいえません。ましてや大日本帝国では一番偉い人は天皇となっていましたからね。 曲がりなりにも千年以上続いてきた天皇という存在が、アメリカによって断絶させられる危険があったのです。「天皇一族は全て処刑だ!」といわれても文句はいえませんからね。とにかく日本が一番こだわったのがこの国体の護持つまり天皇制の存続だったのです。

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (678/1421)
回答No.4

>もっとはやく降伏していたら日本はどうなっていたと思いますか?  ヤルタ会談でソ連の対日参戦がドイツ降伏後の3カ月(つまり1945/08/09)に決定していたのですから、それより前に日本の降伏を連合国が認める訳はありません。  (原爆投下もこのスケジュールに則って決められている訳ですし…。) >あと日本は事前に何度か降伏するように要求されていたのですか?  日本側からの終戦交渉は、中立国経由(ソ連もその一つ)で行ってはいました。  ただ、1942/01/01の連合国共同宣言で日独伊との講和・休戦は禁止されてましたから、日本が可能となる講和(降伏)の最初のチャンスは、ポツダム宣言(1945/07/26)になります。  仮に即時ポツダム宣言受け入れをしても、休戦の発効は8月後半になり、原爆の投下もソ連参戦にも間に合いません。  (史実でもソ連は、停戦調印後も戦闘を続け、09/05にやっと戦闘停止した訳ですし…。米国も8/14にポツダム受入れ宣言を受領しているのに8/15明朝に熊谷を大規模空爆したり、8/21に中国近海で海戦(ジャンク船同士の小規模戦闘ですが)もやってますし…。)  戦争は、相手が有って行われるのですから、日本側の都合(犠牲者を減らしたい)で降伏なんかできません。  連合国はすでに戦争後の覇権争いを視野に動いているのですから…。  (米軍の原爆もソ連の対日参戦もこの後の冷戦構造のはしり…。←もう日本がどうこうというレベルの話ではない。)

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.3

事前に7月26日の「ポツダム宣言」によって降伏が勧告されていました。 ポツダム宣言→天皇の法的存続を残すべく降伏交渉→原爆投下→バーンズ回答→天皇が残る形での降伏受諾 こういった時系列ですので、これを表面的に見たら原爆投下前に降伏したら天皇は残らなかったという答えになるでしょう。 邪推を載せると天皇だけではなく日本そのものが解体されてグアムのようにアメリカの植民地になっていたのかもしれません。 逆にバーンズ回答を引き延ばしたのは原爆を実地で使うのが目的であっただけであって占領後は似たような歴史になったという憶測も可能です。 外交交渉がない、ソ連参戦が無い形での日本の降伏はよりアメリカにフリーハンドを与える形になりますが、それが歴史にどういった影響を与えるかは非常に読みにくい問題です。 バーンズ回答についてはそれひとつで立派な研究課題ですので、ぜひ御自分で検索なさることをお勧めします。 日本側は 4)日本国政府の最終形態は、「ポツダム宣言」に従い、日本国民の自由に表明する意思によって決定されるべきである。 この条項により天皇制の護持が可能と判断したのでしょう。

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.2

>もし日本が原爆をおとされるよりももっとはやく降伏していたら日本はどうなっていた イタリア・ドイツと同様に、(一部の反日国家が主張する)戦犯国家扱いにはならなかったでしようね。 イタリアでは、ムソリーニが国民裁判で処刑されましたよね。 その後、イタリアは連合国側に付きます。 ドイツでは、ヒトラー自決でヒトラー個人+ドイツナチス党が戦犯となりました。 ※ドイツは、対戦国に対して一度も謝罪・賠償はしていません。 ※ドイツが謝罪しているのは「ヒトラー政権を誕生させた事」に対してのみです。 >日本は事前に何度か降伏するように要求されていたのですか? 無い内的には、中立国を通して降伏要求が届いていた様です。 沖縄戦が始まる前には、ある皇族が「戦争を終わらせる」事を伝えています。 当時の陸海軍統帥権を持っていた方の意向が、戦争終結を遅くしたとの説もあります。 戦死者よりも餓死・病死が多かった「ニューギニア戦線」も、この方の一声で決まりました。 戦艦大和の沖縄特攻も、この方の「もう、戦える艦は無いのか?」の一声で決まりました。 大本営司令部・海軍は「大和は、海の砲台」として、東京湾で参戦する方針だったのです。 話が逸れました。^^; 広島に原爆が投下される前にも、連合国から降伏勧告が届いています。 長崎に原爆が投下される前にも、連合国から降伏勧告が届いています。 流石に「次の標的は、京都」との情報が届いた時点で、天皇は降伏を決意した様です。 ※京都を爆撃しなかったのは、アメリカ軍の長期作戦の結果です。 ※決して、京都の文化を守る為ではありません。 ※一度も爆撃を受けていない都市に原爆を投下すれば、莫大なデータを得る事が出来ますよね。 ※戦後、アメリカを敵視しない様に世論操作が行われたので「米軍は、京都を守った」事になりました。 ※アメリカ公文書館の公開資料では、長崎の次は京都の名前があります。 >よくおもわない質問かもしれませんが回答していただけると嬉しいです。 昭和時代では、多くの反感を得る質問ですね。ネット炎上します。^^; 平成時代では、天皇の意向で「隠し事をしない」事になりました。 天皇についても、色々な説・記録が公表出来る様になりました。 令和時代では、「すでに戦後ではない」時代に生まれた戦後の天皇です。 よくおもわない方は、少数でしよう。 某反日国家の様に「時の為政者が都合よく正しい歴史を作る」事は、ありません。 ※添付画像は、この国の正しい歴史を学んだ幼児の絵です。 歴史を自由に推論する・証拠を探す事が出来るのが、自由主義国家です。

  • notnot
  • ベストアンサー率47% (4900/10358)
回答No.1

7月26日に、「ポツダム宣言」という最終的に降伏勧告がされています。それ以前にも対米終結交渉はされていたようです。 これをすぐに受諾していれば、 ・8月6日の広島原爆投下 ・8月9日の長崎原爆投下 ・8月9日のソ連の対日参戦(それまでは中立条約) が無かったはずです。 降伏以降の占領軍との関係やその後の日本の変化は、沖縄の状況なども含めて、今と同じだと思います。 北方四島は日本領のままですね。

関連するQ&A