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降伏の決断
二つの原爆が落とされた後に日本が降伏したのは、降伏する時期としては非常に良いタイミングだった。 祖国を守るために最後の最後まで戦う意思・姿勢を持つことが何よりも大切なので、原爆が落とされる前には絶対に降伏すべきではなかった。 上記の意見を耳にしたのですが、やはり二つの原爆が投下されるまで諦めずに戦い続けたことは評価されることなんでしょうか。
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まったく評価にならんと思います。 実際には、原爆投下前から終戦工作が進んでいたようです。 指導部がもたもたしてるうちに原爆投下され、あわててポツダム宣言の受諾を通知したのですから…。 ぐずぐずしていた戦争指導部のおかげで、一般市民を中心に多数がなくなったことを、どのような言葉であっても評価の対象とすることは出来ないと思います。
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- torauma
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AとJがケンカ中、RがAに加勢した瞬間をみてJが受諾準備、この瞬間にAがピカドン2発。 さてJはRに負けたのかAに負けたのか - 『 上記の意見 』はここを重視しているのでは? あきらかにAの意思を反映したと思える感想ではないでしょうか。 御質問について私の読み方は 事実として、8月8日「ソ連対日宣戦布告」-8月15日「玉音放送」があります。 要点は8・8の前後の2つの原爆投下についてですよね、下記a,b,cを推察すると a)アメリカがソ連参戦のタイミング前後を計って( 偶然ではない )原爆投下した。 b)最後の最後 = 日本がソ連対日参戦を視て受諾することをアメリカが知っていた( 終戦工作による )。 c)日本側は原爆被害( 内容 )について後日理解したので受諾した。 質問は「 ソ連参戦=日本降伏 」を嫌い「 原爆投下=日本降伏 」を好んで評価せよ、ということに同意するか否かではないかと考えます ピカドン2発がなくても、J側としては「 ポツダム宣言受諾 」の調印に変わりはなかったはずです。( 日程が数日変わったかも )。 ポツダム宣言受諾の内容と終戦処理について、何か関係していて変わるものがあったのでしょうか? これだけでは『 意見 』は、いかにも官僚的であって<失敗する程に出世する>世界に住んでおられる方でなければ思いつかないような感想文です。 これをどなたがどのような理由で評価されるのでしょうか?
私は、日本が戦争を終結させる為に 東條内閣から小磯内閣にしたが、小磯首相には その意図(戦争終結)がうまく伝わらず 戦争を長引かせてしまったと認識しています。 開戦時(前)から陸軍海軍で意見が分かれ、 開戦と決まった時点で連合艦隊司令長官山本五十六は 「1年~1年半なら見事に暴れてみせますが、 それ以降はわかりません」のような発言もしたと 聞きましたし、日本は早い(優位な)時点で米国に対して 妥協点を見出し戦争を終結に向かわせる努力は 出来たと思っています。 (戦争の峠は越えたと誤認して、軍隊を帰還させたり学生召集を停止させるという選挙の為の約束などせずに) 祖国を守る為というより、むしろ「皇軍」として いかなる理由があろうと侵略を許容せず、 どこまでも地上の不合理を是正するという 絶対正義の立場と観念の上での行動が自信となり 日本兵へ奇蹟に等しい勇気を与え続けたのでは ないでしょうか・・・。 また、「皇軍」と称された以上は、従来の征服・侵略をもって 優勝劣敗の原則による欧米の軍隊とは区別されるべきだと思っています。 私は、もっと早い時期に戦争を終結させるべきだと 思っています。
- hidekun302
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当時の最高戦争指導者会議には戦争を止める機能がなかったのです。内閣も海軍大臣、陸軍大臣が今まで死んでいった者たちに申し訳できないという下からの突き上げでうんと言えずそうなると全会一致の閣議決定が出来ない状態でした。いわゆる聖断ということをきっかけに降伏手続きに向いていっただけのことです。よって評価以前のもんだいです。
- ogawaer
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評価どころか原爆投下まで降伏を先延ばしにした連中の責任は甚大だと思います。 国民の命など虫けらのようにしか思っていなかったのだと思います。
それはきわめて少数意見ですよね。 「祖国を守るために最後の最後まで戦う意思・姿勢を持つことが何よりも大切」という所は"一見"正しそうですが、本土空襲の時点で降伏するのが普通ですよね。 だって、空襲されても「祖国を守る」すべがなかったんですから。竹ヤリじゃ守れないもん。
- ranx
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誰が評価するかでしょうね。 ドイツ人が時にドイツ降伏後も戦い続けた日本に敬意を示すことがあります。 この敬意には原爆は無関係ですね。 米国人の評価は真珠湾の時点でほぼ固定されています。直接交戦した軍人が 時に日本人兵士の精神に敬意を示すことがありますが、これにも原爆は関係 ありません。一般的には、原爆が評価されても、原爆の被害者は一顧だに されません。 降伏の時期が遅くなったことは、ソ連の参戦を可能にしました。このことは、 大陸からの引き揚げやシベリア抑留といった様々な悲劇を生み、また今に 続く北方領土の占領を許す結果となりました。 結局、原爆投下後の降伏を評価するのは、一部日本人のマスターベーション でしかないと、私は思います。
- izumokun
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観点の違いで評価は変わりますが、命の尊重という観点からすると、「二つの原爆が投下されるまで諦めずに戦い続けたこと」については評価できません。戦争を続けることで、人命が奪われ、残された者の悲しみの数が増すばかりだからです。