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太平洋戦争末期
もし日本で本土決戦がおこなわれていたら、やはりドイツみたいになったんでしょうか?神風というか。。。やはり勝ち目はなかったんですかね?
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No.6です。丁寧なお返事をありがとうございました。 >ドイツみたいに分断されたか? ⇒ご存知の通り、終戦直前・直後にソ連軍が樺太や千島に侵攻しています。この時点でアメリカ軍は戦闘行動を停止していましたから、日本軍の抵抗如何によっては北海道あたりを占領されていたかもしれませんね。 ただし、樺太・千島の侵攻に動員できた部隊はあわせて二個師団強くらいのようですので、そんなに大きな戦力ではありません。当時のソ連軍は船舶やその燃料の多くをアメリカからの供与に頼っていましたので、あんまり輸送船を用意できなかったのでしょうね。 これに加えて、アメリカだってあとからやってきたやつに戦利品(といえるかどうかは微妙ですが)を横取りされたくはないでしょうから、「いい加減にしとけよ」くらいのことは言ったはず。 というわけで、どーんと侵攻してくるにはソ連は力(特に渡洋能力)が不足している。アメリカの意向もある、ということで、おそらくはそのあたりのバランスによって分割統治されるかどうかは決まったんでしょうね。 占守島の戦いというのをご存知でしょうが、日本軍将兵がここで頑張ってくれたおかげで分割占領されずにすんだのかもしれません。 >何をどうやっても勝ち目はなかったか? ⇒終戦時に日本の空軍戦力は作戦機10000機を擁していたといわれますけれど、燃料はほぼ枯渇状態ですし、海軍艦船で作戦可能なものは駆逐艦が少数。陸軍は兵隊はいるものの装備は潤沢ではなく、弾もない。そもそも国民一人当たりの熱供給量(要は食べ物があるかどうか)が終戦前では戦前の7割以下、現代の半分程度になっていたといわれますので、肝心の兵隊さんが腹ペコ状態です。動かせる武器はない、あっても燃料も弾もない、腹が減って動けない…。まあ、勝ち目はないと見るのが妥当かと。 余談ですが、研究者の間では連合軍側に65万人を超える戦死者が出た場合は講和に応じたのではないか、という見方があるようです。この65万人というのは南北戦争の戦死・戦病死者数だということですが、戦傷者は戦死者の4倍程度でるのが普通ですので、これは200万人の死傷者数、という意味になります。先にお返事したようにダウンフォール作戦の参加人数が同じくらいなので、これはもう連合軍側全滅という数字になります。さすがにそれだけの損害を与えることは無理だったでしょうね。それこそ神風がふいて侵攻船団が全滅、なんてことにならない限りは。 また神風ついでといってはなんですが、日本軍の航空特攻で戦死された搭乗員は陸海あわせて4000名弱とされています。大変悲惨な数ではありますが、実はアメリカはドイツ爆撃でなんと80000人を超える搭乗員の戦死者を出しています。特に前半の爆撃行は護衛戦闘機なしですから、ある意味特攻に近いかもしれません。アメリカってこういうときにはとことん人命無視で突き進める国ということもできると思います。 そうなると、精神的な部分でも勝ち目は無かったように思います。 乱文失礼いたしました。
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- nacci2014
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日本分割統治案というのがあって 北海道、九州が ソ連 関東、東海、北信越(福井県を除く)がアメリカ 九州、中国地方がイギリス 四国が中華民国 近畿、福井県が アメリカと中華民国の共同管理 東京都が アメリカ、ソ連、イギリス、中華民国の共同管理 つうのがあるから日本は五~六か国に なっていた可能性があります。 アメリカは九州や関東上陸作戦を 立案していて ここを占領する プランがありました ソ連は終戦間際に北方領土の占冠島に上陸しましたが日本軍に抵抗され崩壊寸前のところ終戦で救われました ソ連のウラジオストクには上陸艦艇もなく、ソ連軍は北海道や東北に上陸できるほどの軍隊がなかったのでソ連による本土攻撃は成功しなかったでしょう その後、アメリカとソ連が対立をはじめますから ソ連は北海道と東北を統治できたか疑問です。 ですが日本分割統治案が成立したとすれば架空な妄想ですが 社会主義国の ◎北日本社会主義共和国連邦 俗称/北日本連邦 (東北、北海道) 首都=仙台または札幌 ◎東日本合衆国 (関東、東海、北信越) 首都=名古屋 ◎東京国 首都=千代田 (東京都) ◎南日本帝国 (九州、中国地方)首都=福岡 標準語=博多弁 ◎四国民国 首都=松山 標準語=愛媛弁 ◎関西人民共和国首都=京都 標準語=関西弁 に分割されていたかもですわ
お礼
僕は北海道ですが、下手したら北朝鮮みたいな国になっていたんですかね?ありがとうございます
- phj
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「ドイツみたいに」というのが東西に分断されたことをいうなら、答えはイエスでしょう。 それも日本人が抵抗し、本土決戦が長引けば長引くほど分割統治の可能性が高くなっていったといえます。 当時はソ連が日ソ中立宣言を破棄して進攻を開始していましたし、それに乗じて中国も出てきていたでしょう。ですから、中ソが日本参戦をした後に終戦した場合は、中ソに果実を与えないわけには行かないので、日本が分割されたのはまちがいないことでしょう。 で、だからこそ神風は吹いたと言えるのではないでしょうか。 今から1000年ぐらい後の日本の歴史教科書を想像してみてください。まだ日本がそのままずっと同じ国体であるとしてです。 今からちょうど800年ぐらい前に元寇があったのと同じぐらいの距離感で、太平洋戦争を見ることができるでしょう。そうなると明治維新からバブル崩壊ぐらいまではたぶん3行ぐらいで書かれてしまいます。 そのときに「日本はどのようにやっても勝ち目のない戦争であったが、天皇のご聖断により戦争を終わりにすることができ、日本が分断統治されることはなかった、その後100年に渡って急速に回復した日本は、短期間に国際社会に復帰しリーダー的な地位を復活させることになる。まさに神風が吹いたような瞬間だった」 などのように書かれてしまうような気がします。 ようするに太平洋戦争における神風とは、ぼろぼろになりながらもぎりぎりのタイミングで戦争終結できたこと、運よく占領軍はアメリカ中心で共産勢力を排除できたこと、その後冷戦でアメリカの核の傘に守られて経済運営だけで考えられ、奇跡的な経済復興を遂げたこと、は一連の流れとして「神風が吹いた」としかいいようがありません。 今、旧日本の行いが「結果として植民地が独立して、日本との戦争は勝ったが結果として西洋は負けた」というような評価がされています。何百年もたったときに「あの戦争はやはり日本の歴史のターニングポイントだった」という評価がされるようになれば、神風だったとされてもおかしくないように思います。
お礼
ありがとうございます。
- makocyan
- ベストアンサー率39% (1039/2623)
申しわけございません。ご質問の意味がやや掴みにくいので、よろしかったら補足してくださいませ。特に「ドイツみたいに」と「神風というか」の関連性がよくわかりません。 勝ち目がなかったかどうかについては…。 終戦間際、連合軍の日本本土侵攻作戦「ダウンフォール」は実施段階に近づいていました。参加兵力は200万人程度とされています。対する日本陸海軍はそれに倍する戦闘員を擁してはおりましたが、装備や弾薬、燃料は枯渇状態ですので、どこまで戦えたかはわかりません。ただし、連合軍側では数十万人規模の死傷者が出る可能性は想定していたようです。 この損害をもってどう評価するのかが問題ですが、よくわかりません。「勝ち」の定義がいろいろありますからね。数十万人の死傷者をもって連合軍側が「負けた」と判断して撤退する可能性だってあるわけで。
お礼
ありがとうございます。
補足
ドイツみたいにと言う意味はやはり分断されたんでしょうか?と言う意味です。また神風は何をどうやっても勝ち目はなかったんですかね?と言う意味です。ご回答は的を得ています。ありがとうございます
- kuni-chan
- ベストアンサー率22% (678/3074)
沖縄の状況を見て勝てると思う方がおかしいのですが、現実を見たくない人たちに正常な判断はできません。 竹槍を持った老人&女性と自動小銃を持った正規軍が戦ってどちらが勝つかは明白です。 おそらくドイツのように激しい地上戦で多くの市民が犠牲になり、東西に分割されていたのは間違いないでしょう。 神風はありません。政府にとって都合の良い物語です。実際に起きるという裏付けは存在しません。 あの状況で勝てるはずがありません。
お礼
軍部は意地で日本を滅ぼしてもいいと考えていたのですかね?ありがとうございます
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
それこそ1億玉砕で日本国民は全滅 天皇陛下は逮捕され処刑され 日本は米英中ソ 四国に分割統治されていたでしょう
お礼
ありがとうございます。
- nacci2014
- ベストアンサー率35% (200/569)
1945年11月予定で九州上陸作戦、通称オリンピック作戦が予定されていて、連合軍は25万2千人を日向灘、薩摩半島、大隅半島からの上陸を作戦立案していました。これに対しての日本軍は8万7千人でした。 それでも日本軍が降参しないなら 1946年3月に連合軍は102万人を動員して関東上陸作戦をする予定でした。コロネット作戦といいます。湘南、九十九里浜、鹿島灘から上陸予定でした。 また、空襲、原爆投下の他に有毒ガス攻撃も考慮されてました。 これでは勝てないでしょう。日本軍には、もはや武器もろくにありませんし 原爆も小倉や新潟、函館、仙台などに落とされていたと思います。
お礼
ありがとうございます。
- yuhua_1138
- ベストアンサー率35% (19/53)
すみません、ドイツみたいという意味が分かりません。 国が違えば体制が違うし、ドイツはヒトラーという独裁者がいましたが日本はそうではありません。 なので単純には当てはめられないと思います。 ところで神風って何ですか? 戦争は物量ですよ。 日本は資源がなかったのです。 (今もないです、輸入に頼ってます) 終戦間近になると、銃やゼロ戦などの武器を作る鉄がなくなって、お寺や教会の鐘まで軍に提供したんですよ。 (うちの教会の鐘も持ってかれたそうです) 飛行機を飛ばす石油もなくて、ゼロ戦の特攻は苦肉の策だったんです。 (帰りの燃料まで入れることが出来なかった。) しかも食糧難でもありました。 単純な比較はできないかも知れrませんが、食料や武器が十分に供給されてる軍隊と、そのどちらも不足してる軍隊ではどっちが長く戦えると思いますか? 一般市民も共に戦ったはずだなんて、考えてるんじゃないでしょうね?
お礼
ありがとうございます。
補足
ドイツみたいにはドイツか゛東西に分断されたように、日本も?みたいな意味です。
- cubetaro
- ベストアンサー率24% (1290/5172)
ないです。 ミッドウェー海戦で主力が落とされた時に終わりです。 あの時にミサイルを対地用に換装してなかったら、もう少し粘ってたでしょうね。。。
お礼
ありがとうございます。
お礼
大変詳しいご回答ありがとうございます。