「コンコルドの誤謬」という言葉があります。超音速旅客機コンコルドは航空機史に名前を残す人気旅客機ではありましたが、採算という点では大赤字に終わった期待です。
その開発には膨大な費用が掛かり、途中で「こんなにかかると、もう採算はとれない」ということは分かっていたのですが、乗り掛かった舟でここでやめると何もかもが無駄になると思ったらなかなか決断ができず、結果としてはむしろ赤字を膨らませる結果となりました。
このように「もうここまできたら失敗だな」というのが分かりつつも「こんなに投資しておいて、今さら引っ込みがつかない」となって決断ができなくなることをコンコルドの誤謬というようになりました。
時系列では太平洋戦争のほうが古いですが、太平洋戦争の終結もコンコルドの誤謬でありました。それまでに軍民合わせて何百万人もの人が死に、国土も破壊されてしまいました。「ここまでやって負けましたでは、勝つと信じて国のために死んだ人たちに何と説明していいのか分からない」というような心理状態ではあったと思います。戦争継続派は「ここでアメリカに一撃与えて、こちら側の犠牲に見合う犠牲をアメリカに与えてから終戦したい」と思っていたのです。
日本軍の首脳陣や政治家たち、それに加えてアメリカ軍が最も恐れていたのは、これだけ狂信的に戦争継続を望む軍人たちが停戦命令に従わず、反乱を起こしても戦闘を継続することでした。
しかし全く不思議なことに、宮城事件まで起こして終戦に抵抗した軍人たちも、天皇の勅命が下ると全くそれに抵抗することなく、従順に武装解除に応じたのです。
私は宮城事件は、一度決まったことをなかなか覆すことができない日本人のメンタリティと陽明学の知行合一の融合によって生まれた事件だと思っていますけどね。
大塩平八郎の乱や三島事件にあるように、知行合一は日本人の琴線に触れるものがあるんですよね。
お礼
国民や戦争犠牲者などおかまいなし、自分の立ち位置の確保のことしか考えない。 海軍あたりに、陸軍中央は戦わずして敗けたとか言われることが我慢ならなかったんですかね。 くだらないエリート意識、そんなところですかね。回答ありがとうございます。