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産業革命期以後の女性観について
大学生のSoteroと申します。 近々教育実習で産業革命について生徒に教えようと思うのですが、どうして産業革命期には重労働をさせられていた女性が、19世紀には家庭を守る者として家にいるようになったのでしょうか? また、何か生徒を引き付けられそうな小話や豆知識等がありましたら、教えて頂けませんでしょうか。 どうぞよろしくお願いします。
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jakyyです。付け加えます。 【女性差別】 英国では産業革命によって「男は仕事、女は家庭」という性別分業が進み、 経済的に自立できない女性は、いきおい精神的に男性に従属することになり、 女性差別を生み出す一因となりました。 【家事労働の軽減】 しかし第二次大戦後、無報酬の過酷な家庭労働は、家庭電化製品によって代替されるようになると、 女性は社会進出するようになり、少しずつではあるが地位の向上もはかられるようになりました。 つまり下記のような図式ですね。 家内工業→産業革命→過酷な労働からの解放→専業主婦の増加→女性の差別化 家電革命→家事からの解放→社会進出が可能→男女平等化 なお産業革命は過酷な労働をさらに生み出したという意見と 機械化によって過酷な労働がさらに増加され、資本家と労働者との対立を生み出したという意見があります。
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- jakyy
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女性と産業革命について簡単に説明いたします。Sotero様の視点とは違うかもしれません。 産業革命以前と以後の視点で書きました。 【家内工業】 「産業革命以前」 商人は原材料や半製品を供給して、自宅で賃加工する問屋制家内工業が主力でした。 編物、レース、手袋、織物などの製品が作られました。 高度の熟練技術も必要でなく、生産要具が簡単なため農村部の家庭の主婦でも作業が可能でした。 「産業革命以後」 産業革命による工場制度の出現によって、生産が工場において大量生産されるために、 家内工業は次第に衰退することになりました。 ここで間違えてはならないのは、 産業革命以前には家内工業で単純労働、重労働をさせられていた女性が、 産業革命によって家庭を守る者として家にいるようになったというよりも、 農村部の主婦は仕事がなくなったいう状態ですね。 【機械工業】 工場で繊維製品等が作られるようになると、資本家は効率よく生産しようと考えます。 新しい大量生産的設備機械が導入されると職人的熟練労働力は必要でなくなり、 工場には低賃金労働者だけが働くという状態になりました。 農村部の全く主婦は仕事が無い状態ですね。 【専業主婦】 しかし産業革命が女性を主婦(housewife)というものを生み出しました。 つまり家内工業から機械工業に移行することによって家庭内の分業化が進みました。 夫は職場で働き、妻は家庭で子供の面倒を見るという状態ですね。 【無報酬な労働】 しかし産業革命によって女性は重労働から開放されたのではなく、 働いても賃金が全く得られない無報酬な労働が増えたといえなくもありません。 これが女性の地位を下げていることになったといわれています。 つまり無報酬で母親、家政婦、さらにはセックス・パートナーまでさせられる結果となりました。 【女性の開放】 産業革命は中産階級を増加させ、女性の選挙権の獲得、 教育改革への変革は、女性に、大いなる自由と解放をもたらしたという意見もあります。 アメリカなどは、女性の各分野進出をもたらしたといいますね。 【二面性】 お解かりになるかと思いますが、産業革命は女性を開放したという意見と、 無報酬で家庭に縛り付ける結果という意見とがあります。 この議論は現在も続いていますね。 【議論】 教育実習で産業革命についてお話になるなら生徒に意見を求められるといいでしょう。 同時に日本の女性は働きすぎか、怠け者かという議論に発展させても面白いでしょう。
- ayumu-k
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まず大前提として、 > 産業革命期には重労働をさせられていた女性が、 > 19世紀には家庭を守る者として家にいるようになった という言明には問題があります。というのも、「重労働をさせられていた女性」は労働者階級の女性であり、「家庭を守る者」は中産階級の女性だからです。つまり女性といっても階級や暮らしている地域(都市か農村か、など)、民族(イギリス人?フランス人?イギリス人でもイングランド人?スコットランド人?…)によって異なる経験をしています。 19世紀産業革命(とそれに先立つ商業の興隆)の結果として勃興した中産階級の男性は、自分たちこそが政治を中心とした公共の事柄を仕切るべき「市民」であるべきだと考え、その考えを正当化するための思想やマナーをつくりだしていきました。その一つが「男は外、女は家庭」という価値観です。 中産階級の男たちは、貴族ではない自分たちでも(いやむしろ自分たちこそ)統治に参加する能力があることを示すために、女性を家庭に封じ込めようとしました。家を統治する(=女・子供を統治する)ことができるがゆえに、家長たる男性には国家を統治する能力がある、というわけです。そして、この能力に参政権への要求の根拠を求めていきました。 そして「女は家庭にいるべき」という概念にポジティブな意味が付与されるようになったのは、中産階級子弟の育成を専門に行うものとしての「賢母」が重要になってきたからです。中産階級の主婦は「家庭の天使」、次世代の中産階級「市民」を育てる「国の母」として賛美されるようになります。 彼らは、以上のような中産階級の男女観・家庭観を、女性が「重労働をさせられていた」人々、つまり労働者階級の生活との対比によって正当化しようとします。つまり、労働者階級の生活を「妻が働きに出ているがゆえに、家庭が堕落し、子は非行に走る」と問題視する、そんな主張を流布させることによってです。 中産階級の女性は、おおむね「女は家庭にあるべし」という構図に乗りました。その理由は、 ・問題ある(とされた)労働者階級家庭のライフスタイルとの対比において、自分たちの中産階級主婦としての社会的ステータスが保たれることになった。 ・家庭の責任者、「賢母」「国の母」という立場は、中産階級の家庭内における女性の発言権を一定程度保証するものであった(「母」としての立場から、あれこれ主張することが可能になった)。 というところにあります。しかし、こうした構図に乗ることで、中産階級の女性は外で働いたりすることが困難になりますし、政治参加も要求しにくくなります。「男は外、女は家庭」という価値は、中産階級女性にとっては諸刃の剣のような思想でした。 多くの労働者家庭は、夫婦そろって(そして多くの場合は子供たちも)賃金労働しなければ生活が困難でした。中産階級の「男は外、女は家」(これをイギリスやアメリカの女性史では「家庭性domesticity」イデオロギーとか「分離領域separate spheres」概念と呼称しています)が確立すると、特に労働者階級の男性は、そうした家庭生活を目指すことが地位向上であると捉え、「女房子供を養うに十分な賃金」=「家族賃金family wage」を雇用主や政府に対して保証することを求めるようになります。 この場合、労働者階級の女性にとってはやはりこうした価値観はやはりディレンマでした。賃金労働で現金を家計に入れていたことから生じた一定の家庭内での発言権が低下するというデメリットがありました。しかし、「主婦になる」ことは、辛い労働からの解放であり、職場でセクハラにあったりするおそれもなくなるというメリットがありました。また、「中産階級のようになる」ことがステータス向上であったことも確かだったのです。 中産階級の女性は働くとしたら教師とか専門職とか事務職だったでしょう。しかし労働者階級の女性はそな「やりがい」もあり、社会的地位も高い仕事に就くことは困難でした。「女性が外に働きに出る」ことの意味は、女性の階級によっても異なったのです。 一般メディアに流布する「女性の権利」議論は、しばしば女性の地位や歴史的経験などが、階級や民族や地域などで差異化されているということを無視したものが多く、少々気になるところです(「女は~」と一般化・普遍化させて語ってしまうか、「女もいろいろ」とあいまいにしてその「いろいろ」が生じる社会的背景を無視するなど)。
お礼
ありがとうございます。 考えてみればおっしゃる通り、前提がおかしいですね。 お恥ずかしい限りです。 読んでいて私自身が非常にワクワクしてしまいました。 もしよろしければ、出典等も教えて頂けないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 色々なテーマ毎に分けて下さり、非常に分かりやすかったです。 ぜひとも授業で使わせて頂きたいと思います(^^)