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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:植民地政策の自慢も非難もくだらないと思いませんか?)

植民地政策の自慢も非難もくだらないと思いませんか?

このQ&Aのポイント
  • 植民地政策の優しさ自慢や厳しさ非難はくだらないと思う。
  • 16世紀の日本の豊臣秀吉や、スペイン・ポルトガルによる侵略が酷かったのは、日本人やスペイン人が特に残酷と言うよりは、略奪を必要とする経済の体制によるものであり、19~20世紀のイギリスが英語教育や鉄道や近代的な港を広めたのも、イギリス人が特に立派なのではなく、工業製品の輸出と原料の輸入を必要とする産業革命以降の経済の発展によるものであり、20世紀の日本の植民地政策もこれに継いだもの。
  • さらに、20世紀中盤にはアメリカはフィリピンの独立を決議し、無条件降伏した日本も独立させている。特にアメリカ人が親切なのでは無く、大衆大量消費社会の実現していたアメリカは工業製品を買ってくれる労働者や中産階級を国内外に欲していたからである。その他、防衛や外交、宗教や文化の類似性などによって植民地政策は決定されていく。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.3

自慢も非難も一般的には有益とは思いませんが ビジネスとして、あるいは利益を引き出す為に利用出来る限り続くと思います

shirouuda
質問者

お礼

ありがとうございます。 差の通りですね。

その他の回答 (6)

  • blackhill
  • ベストアンサー率35% (585/1658)
回答No.7

 くだらないかどうかは、歴史を学ぶ人それぞれが考えることで、他人があれこれ口をはさむことではないと思います。  しかし、1952年のサンフランシスコ条約発効から1972年の施政権返還までの間、事実上の植民地であった沖縄のことを考えると、他人事のように簡単に割り切る気分になりません。  沖縄にとってどんな歴史であったかの議論がくだらないと現地のひとにいえるでしょうか。

shirouuda
質問者

補足

ありがとうございます。 しかし、沖縄については、 「占領」であって、 「植民地」ではない。 というのが主流の考えですよね。 私もそう思います。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.6

”日本の豊臣秀吉や、スペイン・ポルトガルによる侵略が酷かったのは”     ↑ 秀吉の朝鮮出兵には諸説ありますが、私は第三の元寇を 阻止するためであった、と思っています。 これに対して、スペインやポルトガルは、自国の経済的 利益の為です。 目的が異なるのですから、同一に論じるのはどうでしょう。 ”19~20世紀のイギリスが英語教育や鉄道や近代的な港を広めたのも”      ↑ これは順序が逆ですね。 英国が産業革命に成功したのは、奴隷を中心とした 三角貿易で、巨大な資本を蓄積できたからです。 そのお陰で、英国は世界一の大国になり、 4000万人を奴隷として輸出されたアフリカの社会は 崩壊し、現在の飢餓大陸になっている訳です。 ”特にアメリカ人が親切なのでは無く、大衆大量消費社会の実現していた  アメリカは工業製品を買ってくれる労働者や中産階級を国内外に欲していたからである”      ↑ 原爆を落とし、フイリピン人60万を虐殺した 米国が親切なはずないでしょう。 戦後、米国が日本を援助したのは、社会主義国に対する 極東の防波堤の役割を果たさせる為であった、という のが通説です。 ”植民地政策の優しさ自慢や厳しさ非難はくだらないと思う。”      ↑ 優しさ自慢など、誰かやっているのですか? 日本人の中には米国に感謝しろ、という人もいますが そういうことでしょうか?

shirouuda
質問者

補足

ありがとうございます。 私は、バランスのとれたモノの見方への努力が必要だと思っています。それが先進国と後進国の差だと思っています。

  • tande
  • ベストアンサー率12% (22/179)
回答No.5

shirouudaさんは中々良い所をついていますねえ。 植民地政策が他国と比べ優遇されたことの自慢は実にくだらないですし、厳しさを非難することも実にくだりありません。 言うまでもないことでしょうが、植民地政策の所業を仕方ない事だと開き直ることも実にくだらないですし、厳しさ自慢も実にくだらないことです。 無論、小難しいことを言って中立を気取ることも実にくだらないですし、だからといって植民地側や宗主国側に肩を持つことは当たり前ですがくだらないと思います。 当然ですが,無関心を決め込むこともやっぱりくだらないでしょう。 shirouudaさんのおっしゃる通りかと思われます.

shirouuda
質問者

お礼

その通りですよね。 ありがとうございました。

回答No.4

他人の好意による回答を期待するなら文体には礼儀を掃ってください(最低でも丁寧語による書き言葉) 私は、馴れ馴れしさと親しさは別のものだと思っています。 ここは、あなたの日記帳ではありません。 >16世紀の日本の豊臣秀吉や、スペイン・ポルトガルによる侵略が酷かったのは、 欧州の侵略の酷さは認めますが、 「秀吉の侵略が酷いか?」には疑問があります。 彼は植民地統治は行っていませんし、よく無知な人が騒いでいる戦闘時の行為(耳塚)は朝鮮や明国でも行われています。 それに、日本は死体からしか耳を取っていませんし、日本はそれらの犠牲者への供養も行っています。 朝鮮や明国は供養などは何もしていません。 それに、当時の朝鮮王の統治は酷いもので、朝鮮の民衆は秀吉を解放者として歓迎し協力しています。 >英語教育や鉄道や近代的な港を広めたのもイギリス人が特に立派なのではなく、 これについては、↓の理由から全く同意します。(後から請求もしていますし) そもそも植民地とは、宗主国の国民を入植させつつ未開の遅れた地域を開発し、現地人に文明を与え発展させる為のものです。 実際の白人による植民地支配の実態は全く違いますが、彼らの中では未開の土人に文明を与えてやったという意識なので、植民地支配を悪だとは思ってもいません。(元植民地の国々がどう思っているかは知りませんが) 当時の白人の西欧列強諸国の植民地に対する認識は以下の通りです。 1.未開国を植民地とするのは当時の国際法により合法である。 2.植民地支配は未開国に文明の恩恵を与え生活が向上し、人口が増加し寿命も伸びた。 3.植民地支配が悪と言うのなら、未開の生活、無知蒙昧の状態に戻るべきである。 4.植民地政策により生活を向上をさせたことを感謝すべきであり、謝罪要求など問題外である。   もし要求されてもそれには絶対に応じないことが、西欧社会の常識である。 5.我々は過去の植民地支配について罪悪感など抱くことは決してない。 ということなので、↓のように、欧米各国は植民地に謝罪も賠償もしたことは全くありません。 それどころか、植民地が独立するときは、↓のように教育とインフラの代金を要求しています。 オランダはインドネシアの独立の時に60億$を請求しています。 他にも、インドネシアにオランダ人が所有している土地財産の保全と、スマトラ油田の開発費用の弁済を要求しています。 その他の西洋諸国も同様で、独立した植民地には何もしないか逆に独立費を要求しています。 敗戦国のドイツすら植民地には賠償をせず、併合していたオーストリアに戦後賠償金を払わせています。 フランスはギニア独立時に公共施設を破壊し、国の重要資料を本国に持ち去りました。それにはギニアの地図も含まれていました。独立後のギニアの開発は、地図が全くない為に行き詰り、世界最貧国に転落しました。 本来の意味での植民地経営を行ったのは日本くらいのものだと思います。 日本の植民地だったのはパラオと台湾ですが、どちらも侵略によるものではありません。 >その他、防衛や外交、宗教や文化の類似性などによって植民地政策は決定されていく。 その決定された植民地政策の内容と実態に触れずに、ただ「宗教や文化の類似性などによって」と言っても、単に言い訳の為のアリバイとしか思えません。 その植民地統治が原住民を尊重したご立派なものだったら、日本軍は何故歓迎されたのでしょうか(動画参照) >20世紀中盤にはアメリカはフィリピンの独立を決議し、 フィリピンについては日本は混乱させてしまったかもしれません。 しかしアジアの他の国々同様に、植民地支配をするつもりはありませんでした。 ↑の独立までの経緯ですが、 実は、フィリピン国民は「フィリピンの独立記念日」は1898年だと思っています。 フィリピンは元はスペインの植民地でしたが、スペインはアメリカと戦争し、フィリピン独立の為にアメリカ側で戦いました。 戦争はアメリカが勝利し、フィリピンは独立を宣言しました。 しかし、アメリカはスペインからフィリピン統治権をルで買って、新たな宗主国としてフィリピンを統治しました。 日本は占領後の1943年にすぐ軍政を撤廃し、「フィリピン共和国」として独立させています。 その後日本の敗戦により、日本に亡命したラウレル大統領によって「フィリピン共和国」は解散されます。 その後、1946年にアメリカ統治下での選挙で当選したロハスによって、「現在のフィリピン共和国」が独立します。 >植民地政策の優しさ自慢や厳しさ非難はくだらないと思う。違いますかね? 回答:そう思います。 だから、日本は自国の「植民地政策の優しさ自慢」はしていません。 日本が植民地にしたのは台湾やパラオですが、それらの国々は自ら「植民地政策の優しさへの感謝」をしています。 実際、植民地支配を受けていた国で、独立後順調に発展しているのは、日本が統治した国々くらいのものです。 【日本と台湾は一心同体】 http://www.youtube.com/watch?v=gwPwOrmdlMs 【日本とパラオ ~歴史を越えた友情~】 http://www.youtube.com/watch?v=cTRfPNEPR-A 日本の主張は、事実ではない植民地統治(併合も含む)や戦時中の非人道行為についての反論です。 そして、それを仕掛けてきたのは、隣国の人達です。 「隣国とサヨクとの討論)(動画) http://www.geocities.jp/pleasurepleasure108/flash/battle.html 私は、これを自慢と思う人の知能と国籍を疑います。

shirouuda
質問者

補足

ありがとうございます。 私は、バランスのとれたモノの見方への努力が必要だと思っています。それが先進国と後進国の差だと思っています。

  • fujkn
  • ベストアンサー率52% (19/36)
回答No.2

 >「植民地政策の優しさ自慢や厳しさ非難はくだらないと思う。違いますかね?」には、私も同感ですが、私見を述べる論文にはなっても、答案にはならない質問ですね。仮にこのような問題が試験に出た場合にどのように答えれば、正解なのか?ここで、どう書けば回答になるのか、まったく自信がありませんが、私見として書かせていただきます。  私は子どもの頃は、歴史が何よりも好きでした。しかし、今は歴史書を読むよりは、現実的に有用そうな技術や知恵に興味があります。  技術や知恵には国境がありません。個人でも知的財産としてある程度のものを持つことができます。言語が違っても、それらを求めて遠くから、人がやってきます。世界中から留学生やバイヤーが大勢来てくれようになることは現世の幸せや国力にもつながりますので、たいへん誇らしいことです。  豊臣秀吉が朝鮮を侵略した理由は、今風にいえば「家臣団すなわち幹部社員からのベースアップ要求」に応えることが迫られたためです。  国内を統一した支配者は、どこの国でも外国の侵略をうかがってきたと思います。ただ、そうしたくても、できずに終わったところもたくさんあります。韓国の時代劇でも、中国への侵略による領土拡張や奪回の機会をうかがったことが、たびたび出てきます。逆に昔の中国からの干渉や侵略も頻繁に受けてきています。  秀吉の後を継いだ徳川家康は、意図的に全国を2分して戦う「関ヶ原の役」を起こして、敵対した側から召し上げた領地を家臣に下賜して、その忠誠を促し、徳川幕藩体制を確立しました。  そして幕藩体制確立後も諸藩を監視することによって、容赦なく落ち度を探し出して、反体制派や危険分子のお取りつぶしや改易を強行して、体制の維持を図りました。領民も家臣も領主の圧政がどんなに耐え難くとも、他国への移住も、脱藩もできませんでした。  しかし、一人一人は支配者の庇護無くしては生きてゆけませんでしたから、権力者に絶対服従せざるを得ませんでした。人民には、渡航の自由も、国際交流の自由もありませんでした。  独裁者がお気に入りの家臣のベースアップを図るには、そのための原資を、どこかから奪って来なくては賄えません。国内の民衆からの収奪だけでは限界がありますので、他国を侵略して、領土や植民地を拡大して、配下に報いる(今の時代なら国民の支持や票目当ても含まれます)、それが、侵略問題の本質ではないかと思います。  侵略には、相手からの猛烈な抵抗もありますので、当然、戦争になります。それによって攻める側にも国が傾くほどの軍事費がかかるだけでなく、反撃による莫大な犠牲者、国土荒廃も出ます。 それでも、勝てれば、損は取り返せるのはとの期待があれば、わずかな勝利でも国民が歓呼して賛同する、ちょっとそんな感じになります。愛国心を煽れば、国民は、外国をやっつけることには疑問を感じません。むしろちょとでも疑問を感じれば、非国民と見なされて排除されます。  中世に至り、スペインや英国は早くから、海外に出て、版図を広げて大成功を収めていました。  アメリカは民主主義の国と言われてきましたが、フィリッピンをはじめ多くのアジアの諸国を植民地にしましたから、植民地を広げることには、米国民はおおむね賛成だったのではないかと思います。  ロシアも東方に版図を拡大するべく南下し、中国の遼東だけでなく朝鮮をも自国領土とすることを狙っていたとする説もあります。  我が国は徳川幕府が幕藩体制を維持するのに都合の良い鎖国政策をとりました。海外に出て行くことも外国から入ってくることも厳しく禁止していましたので、幕府も外国の動向に無関心でした。  当然、間宮林蔵が探査した樺太、北前船が通っていた千島への取り組みにも遅れを取りました。  ペリー来航をきっかけとして徳川幕府による鎖国体制が崩壊し、極東情勢を実見できるようになったときに、欧米の列強によってアジア諸国が浸蝕されている現実(アヘン戦争など)を間近にみて、「いずれは我が国も」との危機感を抱くようになり、明治新政府は急速に富国強兵政策に傾いてゆきました。  国際競争にいちばん最後に参加して、ババを引いてしまった、貧乏くじを引いてしまったのが我が国です。欧米の列強諸国の反感を買って、彼らを敵に回して世界戦争になり、徹底的に破壊されて、焦土にされてしまった上に、その負の遺産がいつまで経っても解消しないというのが、我が国の今の姿です。  韓国や台湾は日本に併合されましたが、連合国からの攻撃と破壊を免れました。  しかし、朝鮮半島の場合は、北はロシア(当時はソ連)が統治したため、南と北に分断しました。その結果として、韓国と北朝鮮の対立が生まれ、1950年に勃発した朝鮮戦争は、中国義勇軍まで巻きんで3年余りの長期に及び、戦争被害が韓国全土を荒廃させてしまいました。  1950年に終結した第2次世界大戦の戦後の秩序の維持を理由として、当時の戦勝国が、今も国連の特別な権益を維持しています。中国、ロシア、米、英、仏とともに国連常任理事国として、国連安全保障理事会での拒否権を占有しています。  北朝鮮や中国が、戦前の日本が歩んだ軍事優先の国家主義に非常に酷似したいわゆる「いつか来た道」をそっくり模倣しているようにも見えます。このまま進んで行って、他国に迷惑をかけて、破滅してもよいのか?たいへん心配です。  上記は、答になっていないと思いますが、むしろ、この際、この機会に、質問者様のお考えを是非、お伺いできましたら、ありがたいと思います。

shirouuda
質問者

お礼

ありがとうございました。

回答No.1

事実を事実として認識すればいい。 それができないだけ。

shirouuda
質問者

お礼

ありがとうございました。

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