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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:釈尊の成道に必要なもの)

釈尊の成道に必要なもの

このQ&Aのポイント
  • ブッダは、悟りを開く前に苦行をおこなつてゐましたが、結局は達成できず、まづ体力の増進をはかることに方向転換しました。その結果として、のちの佛教の隆盛があるわけです。
  • 釈尊がなぜ6年間も修行するなかで、苦行が理解できなかったのかについて教えてください。
  • 釈尊が修行中に体力の増進をはかることを選んだ理由は何でしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.4

 こんばんは。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ブッダは、悟りを開く前に苦行をおこなつてゐましたが、結局は達成できず、まづ体力の増進をはかることに方向転換しました。  ・・・なぜ6年間も修行するなかで、そんな(一般人なら当然の)ことが理解できなかつたのか  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ わたしには むしろ逆なことが 不思議です。  いくらめざすさとりを《達成できない》からと言って それまで耳で聞いていた修行がよいと思ってやり始めたものを ふいと何故《方向転換した》のか?  むろん《餓死寸前》であってみれば 《体力の回復を図ること》が必要なことは 分かります。と言っても そういう難行苦行であることは 初めから百も承知なはずなのです。  つまりは ちょっと休みを取って 体力の回復を図り 再び三度 修行に就く。というのなら――と言っても わたしは それが正しい道だとか とにかくそうすべきではないかとか言っているのではなく 当時の修行のありさまから行けばという意味ですが―― まだ理解できると思うのです。  けっきょく ただ嫌になって放り出した。のではないですか? そんなところでしょう。

noname#214841
質問者

お礼

bragelonneさん、こんばんは。 お名前が目に入つて、少し引きました。 ここの方方のなかでも、いちばん文章が難解ですので。 でも、私の頭の程度にあはせてくださつてゐて、安心しました。 さういふ見方もできるのですね。 俗にいふ「結果オーライ」ですか。 ご本人がいらつしやらないので、 単独インタビューとか、記者会見とか、暴露本とか、 真実を知る手段はありません。 私が引用した文献にしても、後世の創作である可能性があります。 他の人とは違ふ観点からの御指摘、ありがたく頂戴いたします。 ここの人たちのさまざまな御意見は、プラトンの対話編のやうです。 (自分の理解できる範囲で)楽しませてもらつてゐます。 ありがたうございました。

noname#214841
質問者

補足

回答番号6の「お礼」で書きましたが、bragelonneさんをベストアンサーにしました。 宗教学者も佛教徒もおそらくは疑問に感じないこと、俗物まるだしの質問でした。 正しい答の出ない質問ですので、さまざまな意見を聞きたかつたわけです。 その貴重な少数見解(しかも質問文に対するもつとも素直な回答)といふことで選びました。 哲学カテゴリでは、kurinalさんを筆頭に、ベストアンサーには無頓着な人ばかりのやうですので、他の方へのお詫びは不要かと存じます。もちろんおほいに感謝してをります。 ときをりこちらで質問をするかもしれません。よろしくお願ひいたします。

その他の回答 (15)

回答No.6

 No.4です。お礼をありがとうございました。  でも おかしなことを感じました。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~  お名前が目に入つて、少し引きました。  ここの方方のなかでも、いちばん文章が難解ですので。  ~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ブロックしておけばよかったのに。と相手に言わせるお言葉ですね。  《難解》ではなく すでにじゅうぶん理解しているのだけれど 思想内容がご自分のと違っていて しかも嫌いな思想だということなのでしょう。  そういうときは ブロックしてしまうか。それとも 思想の違いを明らかにし 自分のただしいと思うところからわたしの思想を批判をするか。どちらか一つくらいではないでしょうか 道は。  回答としてのつけ添えですが もし《実際に修行をやってみて これは 体力を消耗するだけであって さとりには必要がないと分かった》という理由であれば 六年も七年もやりつづけることはありません。そういうもんだいがあります。  まともでまじめな修行者であったならば 一二年で分かります。せいぜい三年やって 難行苦行はやめるか。それとも 生涯をかけてやりつづけるかでしょう。  ▲ そこで、意志が強く叡智が無限の聖者は、食事をとろうと決心した。  ☆ 《意志が強く》を重視するなら 一生をかけてやりきるでしょう。  《叡智が無限》であるならば ひと月くらい実践すれば わかるものを。  というような重大問題が潜んでいます。(つまり みづからが言う成道に到る道へ方向転換したのは ペテン師としての誕生というのが その中身であった。・・・)

noname#214841
質問者

お礼

>>ブロックしておけばよかったのに。 >>と相手に言わせるお言葉ですね。 誤解なさつてゐます。 bragelonneさんのほかの文章を拝見すると、 哲学に疎い私では、ほんとうに理解できないのです。 「哲カテ」の回答文でも記しましたが、 文学は好きでも、哲学はほとんど手を染めてゐません。 その証拠が、回答番号7です。 >>>「哲学では「合理諭」といふ用語をもちゐるのですね。」 >>あれ、変換でミスしたようです。 私はほんとうに「合理諭」だと信じてゐました。 もちろん、真実をより正確に伝達するために、 数学や物理学などで複雑な数式を必要とするのと同じく、 哲学の世界でも難解な表現を用ゐることは承知してをります。 ただ、私の時だけは、手加減をお願ひします、 と質問文に記しました。 他意はございません。 >>そういうときは ブロックしてしまうか。 NemurinekoNyaさんのブロックしない態度に感銘を受けました。 私はさいはひ、嫌な回答を受けたことなどありませんが、 状況によつてはするかもしれません。 しかし、bragelonneさんがいつもの調子で寄稿なさつたとしても 辞書を片手に読むつもりです。 >>思想の違いを明らかにし  >>自分のただしいと思うところからわたしの思想を批判をするか。 質問したのは、わからないからです。 「批判」などおこがましいことです。 私は葬式以外に佛教とのかかはりがなく、 深い「思想」もありません。 >>まともでまじめな修行者であったならば 一二年で分かります。 同感です、それが質問文の内容です。 ただし、6年も続けた意味を知りたいとおもひました。 >>《意志が強く》を重視するなら 一生をかけてやりきるでしょう。 >>《叡智が無限》であるならば ひと月くらい実践すれば わかるものを。 鋭いご指摘です。 私はそこまで読みこんでゐませんでした。 >>ペテン師としての誕生 充分成立する仮説です。 回答番号4の「お礼」に記しましたとほり、 仏教の典籍は後世の創作の可能性があり、 真実は闇の中で、それぞれの解釈次第です。 私はbragelonneさんのご意見を尊重します。 むしろ昨夜は、他の方方とは異なつた見解なので、 「ベストアンサー」にしようと考へて就寝しました。 私の文章が軽すぎるので、お腹立ちはもつともですけれど。 申し訳ございませんでした。

  • fuukakou
  • ベストアンサー率22% (200/870)
回答No.5

私は詳しい訳ではないので、いいかげんな記憶からですが その頃って、修行ってそういうものだとみんなが思ってたんじゃないかな? 苦しい思いをして初めて得られるとか それに階級社会で修行が出来る階級の人も生まれつき決まっていたような?(ブッダは本来はやっちゃいけない階級だよね) 一般人には特別な人が特別の苦行をして素晴らしい聖者になれると信じてた時代だったんじゃ そして苦行に一生を費やす人々が沢山いた 当然そうだって世界で修行をしようと思ったらこの苦行の世界に普通は入ると思う で、やってみて、この方法は意味がないと判ったから、骨川筋衛門から回復し、正しい修行を探すために食事をとる事に決めた また、普通に暮らしていて自分を痛めつける必要は無いと思うのと、自分を痛めつけていてそんな必要は無いんだと理解するのは大分違うと思う。なんというか、得るものが全然違いそう。気付いた時の感動とかも。

noname#214841
質問者

お礼

御回答ありがたうございます。 さきほど起床したもんですから、お礼がおそくなりました。 >>で、やってみて、この方法は意味がないと判ったから、 >>骨川筋衛門から回復し、正しい修行を探すために食事をとる事に決めた 基本的にNemurinekoNyaさん、0fool0さん、kurinalさん、 と同じ御意見ですね。 >>普通に暮らしていて自分を痛めつける必要は無いと思うのと、 >>自分を痛めつけていてそんな必要は無いんだと理解するのは大分違うと思う。 身にしみてわかる、 たしかにおつしやるとほりです。 fuukakouが深夜に投稿してゐただいてゐるのに、 さつさと就寝した私には、至ることのできない境地です。

noname#214841
質問者

補足

[お詫び] 「お礼」末尾で、fuukakouさんの「さん」が抜けてゐました。 (今はやりの)コピペをしたものですから。 コピペをすると信用がなくなると、 世間で騒いでゐるのも当然です。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.3

plapota様、こんばんは。 「やってみて、会得した」ということでは。 「やってみて、会得する」とは、経験論であり、 「このようにすれば、こうであるはずだ」という「合理諭」では、ありません。 「合理諭」は、「迷信」のようなものです。

noname#214841
質問者

お礼

kurinalさん、こんばんは。 昨日は、別の質問にも答へていただいて、 ありがたうございました。 私の質問には、回答者が少ないものですから。 >>「やってみて、会得した」ということでは。 NemurinekoNyaさん、0fool0さんと同じ御意見ですね。 自分もそれで納得してゐるわけですが。ただし、 私はNemurinekoNyaさんのやうに人格高潔ではありませんから、 nananissethe3rdさんから「同じ穴の狢」と呼ばれたくありません。 第三者だから面白いだけです。 「サナダムシ」も嫌いです。 「モザイク消せ消せ」はかまひませんが。 >>「このようにすれば、こうであるはずだ」という >>「合理諭」では、ありません。 哲学では「合理諭」といふ用語をもちゐるのですね。 解説つきで、ありがたうございます。 たしかに最初から理論立てて結論がくだせる場合は、 それなりの道筋ができたあとのことです。 始祖であるブッダには無理です。

回答No.2

こんばんは。 苦行によって悟りが得られると信じられていた。釈尊自身、そのように信じていた。そして、6年にも及ぶ苦行をした。餓死寸前の状態に達して、はじめて「苦行によって、涅槃はえられない」と気がついた。 何で、釈尊ほどの人物がこのようなバカな真似をしたのだろう? このことを疑問に思うのは当然です。 そして、バカと、他人(ひと)に笑われても仕方がない。 しかし、実際にやってみない、と分からないことってあるんですよ。 とことん追求し、はじめて、この方法ではうまくいかない、と分かることってあるんですよ。 自然科学なんて、この繰り返し。 理論で示される、この方法で○○ができるはずだ→やる、失敗→その方法に少し改良を加えて、また、やる→失敗→・・・ これをとことん追求する。考えられる工夫、改良をすべてやり尽くす。これを何年間も繰り替えして続ける。でも、それでも、うまくいかない。 この時、はじめて、「あ~、この方法では○○はできないんだ」と気づくことはあるんですよ。 この期間、一見、無駄なように見えるでしょう。 でも、失敗を繰り返す間に、いろいろなノウハウや知識、知見が得られるんですよ。 そして、こうしたことが誰も成し遂げられない大発見につながったりする。 釈尊の場合も、これと同じなのではないでしょうか。 そして、その苦行を通じて得られたものをベースにして、釈尊の教えができている。 ですから、釈尊の苦行体験は、決して無駄ではなかった、と私は思います。 ですが、釈尊の失敗を真似をする必要はない。 失敗することは、分かり切っているのですから。 そして、涅槃に至る道筋は、釈尊によって示されている。 「これを道標にして、その道を進めばいい」のだと、わたしは考えます。

noname#214841
質問者

お礼

NemurinekoNyaさん、こんばんは。 昨日「宗教」カテゴリについてお尋ねした件です。 さつそくの御回答感謝してをります。 それにしても「哲カテ」の質問は大人気ですね。 >>実際にやってみない、と分からないことってあるんですよ。 0fool0さんと同じ御意見で、 それが真理としか言ひやうがありません。 お得意の数学でもさうなのですね。 私としては、その「やつてみる」原動力に興味があります。 >>釈尊の苦行体験は、決して無駄ではなかった、と私は思います。 私もさう思ひます。 >>釈尊の失敗を真似をする必要はない。 私には絶対真似できません。 職場でも、すぐに菓子に手を伸ばします。 女の子にはすぐにちよつかいを出します。 だからこそ6年間(正しいとしても)安易な方向に流れず、 「やつてみる」といふ姿勢を貫くことに対して、 不条理と同時に、憧憬を感じます。 お時間を割いてくださつて、ありがたうございました。 「カマキリ」の話や私の質問の相手をするのは、 「苦行」ではあつても、 「無駄ではなかった」とは言へませんね。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.1

その通りですね。 しかしそれも「やってみたから判った」のでしょう。 貴方がそれを理解していたのは、それだけ真理に近い位置にいるからではないでしょうか。 それと「一般人」の考え方を理解しているのでしたら、世界を理解しているのでしょうから、質問の必要は無いでしょう。

noname#214841
質問者

お礼

御回答ありがたうございました。 >>しかしそれも「やってみたから判った」のでしょう。 ごもつともです。 時代や背景が今とは違ひますから。 キリスト教の迫害への忍耐は外的なものですが、 ブッダが死の寸前までの苦行は自発的なものであり、 それが6年も続くといふのが、異常に感じます。 >>それと「一般人」の考え方を理解しているのでしたら、 >>世界を理解しているのでしょうから、質問の必要は無いでしょう。 哲学的な御意見ですね。 このくらゐの言葉で教へてくだされば、私にも理解できます。 こちらにお住まひの方たちの文章は、チンプンカンプンなものですから。

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