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釈尊とマハーヴィーラは話した事があるんでしょうか?
仏教の開祖の釈尊(ブッダ・ゴータマ)と、ジャイナ教の事実上の開祖のマハービーラは同時代で、さらには同じ地域に生きていたらしいですが、それならば実際に2人が会ったり、話したり、接触、遭遇、したことはあるんでしょうか?
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こんばんは、先程の者でござます。 > 紹介のサイトはこのことを調べてるときに見ました。 そうでしたか。これは失礼致しました。 > しかし仏教とジャイナ教の親にあたるという 沙門宗教 というのはググっても、それらしい記述が出てきませんでした。 紀元前600年ころにはガンジス川流域での農耕文化が成熟し、余剰生産物すなわち「富」が生まれてくると共に王侯・貴族階級のクシャトリアの中でバラモンに対する不満が鬱積してきました。そのとき、反バラモン教の動きが出てきたのだそうです。そして、この人たちは「努力する人(シュラマナ)」と呼ばれ、「沙門」の語源となったそうであります。 > 沙門とはバラモン以外の修行者という意味ですよね、釈尊は出家後に先駆者の沙門には 影響を受けたようですが、各々がそれぞれが違う自分の宗派のようなものを形成してたはずですし 沙門宗教という一つのまとまった宗教があったという意味ではないですよね となると、沙門宗教とはなんなのか、さっぱり分りません。 そのときの反バラモンの一派(一宗派)かと考えております。つまり、釈尊もマハービーラも、(歴史には載ってはいないが)ある「沙門」の影響を受けた可能性がある、ということかと考えております。 これは、釈尊、マハービーラの出家、さらには伝道の道程を詳細に調べることが可能でしたならば、判明するかもしれませんが、現実は困難なようであります。 ただ、各々の弟子達には交流が見られたというのは、ほぼ確実かと考えております。ダンマ・パダ(法句経;そもそも釈尊の入滅後に記述されたものです)の類似性を鑑みますと、入滅後には、何らかの接触はあったろう、と考えております。 ご参考になれば、幸いでございます。
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- neil_2112
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「沙門宗教」というのは、ある特定の教義や宗派のことをさすのではありません。一般的に、沙門というのは当時の常識であったバラモンの教えに納得せず、遍歴しながら思想したり教えを広めた人たちの総称です。三百六十三見などという言葉も残っていますから、相当な数の人たちが、思想と発表の自由を旗印にして様々に活動したわけです。彼らをまとめて「沙門」と呼ぶのであって、沙門という教えがあるのではありません。 現在知られているものは少ないのですが、その考えの中身はかなり雑多で、ただの懐疑論や快楽主義といったものもあります。ただ、少なくとも共通しているのは、バラモンの権威に対して自由にふるまった人たち、ということです。宗教としての側面からざっくりまとめれば、「人の清浄さは生まれによって決まる」としたバラモンに対し、沙門とは「人は生まれ以外のものによって清浄となる」と考えて実践した人たち、と考えればわかりやすいと思います。 その中でも、ジャイナ教と仏教は「行いによって清浄となる」ことを目指した点で共通し、またいろいろな相似点があることはご承知の通りです。ただ、開祖同士の接触は恐らくなかったのだろう、というのが一般的な見方でしょう。二人とも没年自体が不明で、諸説により150年もの開きがあるのが現状ですが、ジャイナ教の正統な教学では、確か開祖の没年を紀元前527年としていたと思いますので、それに従うなら恐らく、お釈迦さんとは直接には時代が重ならないことになります。 恐らく両者が似ているのは、直接の交流のせいではなく、時代性と地域性を共有したことによるのでしょう。たとえば中村元先生は、かつて古代インドの思想の研究のなかで、地域や時代が近いこの2つの宗教が似るのはいわば当然としたうえで、ひとつの可能性として、当時の(沙門でなく)バラモンの遍歴修行者らの言説を半ば半面年教師としてジャイナ教が教えの骨格を説き始め、仏教もそこから多少の影響を受けたのではないか、とされています。 論点がずれるのでここでは触れませんが、似ているとされる2つの宗教が後に全く違う道を歩み始めることから、むしろ両者の質的な違いのほうに着目した興味ぶかい論考もいくつもあります。色々とお調べになってみると理解が深まって面白いのでは、と思います。
お礼
>彼らをまとめて「沙門」と呼ぶのであって、沙門という教えがあるのではありません。 やっぱりそうですよね。そもそも沙門宗教という言葉は適切なんでしょうか。 当時のインドの土壌にあった沙門思想のなかから仏教もジャイナ教も生まれた、というなら解かりますが 「沙門宗教」という共通の親といわれますと何か釈尊とマハーヴィーラに影響を与えた、一つの宗教があったかのような印象を受けました。 実際は反バラモン思想という共通点はあっても千差万別、各々がまるで異なった思想を持ってたわけですし 沙門宗教という言葉には若干の違和感をおぼえます。 >恐らく、お釈迦さんとは直接には時代が重ならないことになります。 そうでしたか。中村元さんの本を10冊位読んだのですが、そのような記述はなかったので、どうだったのだろう、と疑問が起こりました。 neil_2112さん、回答ありがとう御座いました。
こんばんは、ひどっちと申します。 確かに共通点の多いことはよく知られたところでございます。 例えば、原始仏教を調査したいとき等には、当時のバラモンの風習、そして、このジャイナ教もが参考になるとされています。双子の宗教とも言われているぐらいですので、参考になろうかとは、容易に推察できます。 > それならば実際に2人が会ったり、話したり、接触、遭遇、したことはあるんでしょうか? いえ、愚生が調べた結果、お互いが話したことはないようでございます。”接触”とはどの程度のことを指すのかは微妙でございますが、ある大きな群衆の中の一人として、それとは意識し合わずとも、見たことぐらいはあるのかもしれません。 以下には、共通の祖先がいるのではないか? との疑問も呈されております。 http://todaibussei.or.jp/izanai/03.html ご参考になれば、幸いでございます。
お礼
回答ありがとうございます。 同じ時代、同じ地域で、おなじ出家修行者(サモン)であれば 遭遇してたと思うんですよね、両者ともにビンビサーラ王に庇護を受けるほどの大人物だったはずですし うーん、謎ですね。 紹介のサイトはこのことを調べてるときに見ました。 しかし仏教とジャイナ教の親にあたるという >沙門宗教 というのはググっても、それらしい記述が出てきませんでした。 沙門とはバラモン以外の修行者という意味ですよね、釈尊は出家後に先駆者の沙門には 影響を受けたようですが、各々がそれぞれが違う自分の宗派のようなものを形成してたはずですし 沙門宗教という一つのまとまった宗教があったという意味ではないですよね となると、沙門宗教とはなんなのか、さっぱり分りません。
お礼
当時はあまり宗派という意識はなかったのかもしれませんね 釈尊も、釈尊の弟子たちも、マハーヴィーラも、同じ修行者というカテゴリーに入り 仏教徒、ジャイナ教徒、という区切り自体があまり無かったかもしれませんね。 釈尊自体も仏教という意識は薄かったように見えますし 法は信じろといっても仏教を信じろなどとは言いませんでした。 入滅のときも 修行者たちよ、修行に励め、とあくまでも修行者として修行を重視し 仏教を広めろなどとは一言も発してないですもんね。 2人に影響を与えた特定の人物がいたかは分りませんが、2人の入滅後に弟子たちが 交流があったのは可能性が高いですね。彼等には仏教やジャイナ教というより修行者という 自己認識のほうが、あの当時は強かったのかもしれないですね。 Hidotchiさん、再度の回答、そして興味深い話をお聞かせ下さり ありがとう御座いました。