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霊視という能力について考えをまとめました
- 霊能力とは、映像の内観を通じて思考が成立する能力であり、言葉や翻訳のプロセスを経ずに直視することができる。
- 霊視は、他者の人物像を鑑定する際に用いられるが、そのプロセスには矛盾点があり、精神世界に死者を割り込ませることが一般的である。
- 心理学の観点からも、自己の内観や他者の心の世界を透視するために、死の儀式や女の裸といった象徴が用いられることがある。
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映像タイプの思考 過去の出来事を組み合わせて、頭の中で自分を外から眺める視点の新たな映像を作り、見ることができる。 霊視 映像タイプの思考の拡張 頭の中で誰か他者を想起してその人物を外から眺める視点の新たな映像を作り、見ることができる。 すごい霊視 映像タイプの他者の思考を思考する。 他者の頭の中で、他者自身を外から眺める視点の新たな映像を作り、質問者様が見ることができる。映像の登場人物が2人以上いたらどちらの人物が作った映像か分からなくなりそう。裸の女性が作った映像かもしれません。 根源的な生の衝動を捨てる。 女性の裸=心の世界=死者の世界 女性の裸を捨てる=心の世界を捨てる=死に等しい。 女性の裸を結論とすることも、女性の裸を捨てることも、同様に根源的な生の衝動を捨てる、死の儀式のように読めます。結局、どちらでも心を取戻すように読めてしまいます。 話は変わって、 映像タイプの思考を否定しないです。似たような感じのする、記憶力がすごい人の話を下記の本で読んだことがあります。本では思考じゃなくて、記憶です。記憶が消せなくて大変そうだった。 偉大な記憶力の物語――ある記憶術者の精神生活 (岩波現代文庫) 文庫 – 2010/10/16 A.R.ルリヤ (著), 天野 清 (翻訳) https://www.amazon.co.jp/%E5%81%89%E5%A4%A7%E3%81%AA%E8%A8%98%E6%86%B6%E5%8A%9B%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E%E2%80%95%E2%80%95%E3%81%82%E3%82%8B%E8%A8%98%E6%86%B6%E8%A1%93%E8%80%85%E3%81%AE%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%94%9F%E6%B4%BB-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%87%E5%BA%AB-R-%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%A4/dp/4006002424 下記URLに映像タイプの思考がうまくなりそうなトレーニングがあります。 http://itereta.hatenablog.com/entry/2015/11/21/213621 ----引用します---- 参考URLの画像を30秒程見つめてから目を瞑る。反転した画像が見えると思う。 これを続ける内に、 (1)長く画像が目の裏に残る (2)正しい色で残る (3)色、形を自由に変えられる (4)好きなイメージを作り出す ----引用おわり---- おーすごい。反転した画像が目の裏に残るぞ!と思いましたが、直ぐ消えちゃう。(1)が成功しない。悲しい。才能が無いのかな。
お礼
明晰だね。 好奇心かい? 楽しんでいるようだね。 > 映像タイプの思考 過去の出来事を組み合わせて、頭の中で自分を外から眺める視点の新たな映像を作り、見ることができる。 霊視 映像タイプの思考の拡張 頭の中で誰か他者を想起してその人物を外から眺める視点の新たな映像を作り、見ることができる。 すごい霊視 映像タイプの他者の思考を思考する。 他者の頭の中で、他者自身を外から眺める視点の新たな映像を作り、質問者様が見ることができる。映像の登場人物が2人以上いたらどちらの人物が作った映像か分からなくなりそう。裸の女性が作った映像かもしれません。 根源的な生の衝動を捨てる。 女性の裸=心の世界=死者の世界 女性の裸を捨てる=心の世界を捨てる=死に等しい。 女性の裸を結論とすることも、女性の裸を捨てることも、同様に根源的な生の衝動を捨てる、死の儀式のように読めます。結局、どちらでも心を取戻すように読めてしまいます。 これには一定の評価をしよう。 そのうえで助言しよう。 記憶が過去を前提に解釈されている。 その場合でも、過去だけでなく、記憶するという現在の動態も本来記憶の一種だ。これだけでも記憶は過去だけではない。 記憶が過去だけなのは、観念において、記憶したことという形で過去形なのだ。 私は四次元惑星人、ときわたりESPの使い手だ。
補足
操作ミスでお礼が途中で途切れたよ。 > 私は四次元惑星人、ときわたりESPの使い手だ。 (この続き) 観念は時間が無く記憶したことが即座に過去になるのではない。 むしろ君たちは三次元惑星人で、観念世界こそ、君たちの認識できない時間がある。 言ってあるよね、聖霊セレビィの展望する世界は、過去、現在、未来が、その場に居合わせているその場で即座に現象している。 ここで未来記憶を持ち込むことが予言だ。 現実にも明らかに時間が存在しているが、君たちに認識できないか、確定した論理がないゆえの錯誤で、君たちは三次元惑星人状態だ。 それを代表するのは記憶に対する錯誤で、君の語ることだ。 この現行人類は、もう旧式だよ。 日の丸の国旗の色違いみたいなのを眺めた君の乾燥にも言っておこう。 映像記憶の保持は残影というのだ。 1.2.3.4続くプロセスだと、その訓練の結果は映像の内観を、現実と同じ土台で判断できる資質の獲得だろう。 成功できればそれなりに面白い。 私の場合、その映像とも違うんだ。 私の場合、映像が思考になっている。 これは私が、現実を直視する人間自我、観念を直視する聖霊自我(セレビィ)この二つが重なって人格を形成する特異性からだ。 これはすなわち古くから精神についての思索で理想とされた、神と人の調和(和解)の自己完結だ。 仏陀だもんな。