• ベストアンサー

古文の質問(今鏡)

今鏡で 「雪おもしろくつもりたる朝に、白河院に、御幸などもやあらむと思ひて、ある、殿上人の馬引かせて参り給へりけるに、院、「いとおもしろきかな」と仰せられて、ご覧ぜむと思ほしめしたりけるに、馬具して参りたる、いみじく感ぜさせ給ひて、・・・」 という文章があったのですが ご覧ぜむと思ほしめしたりけるに  という部分について 白河院は 「見よう」とお思いになったが という訳と考えると ご覧ぜむ と尊敬語を使っているのは おかしいと思うのですが この尊敬語は いったいなぜ使っているのでしょうか? よろしければ詳しく説明をご教示ください<(_ _*)>ぺコリ

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

天皇・院の「自敬表現」ですね。 これは2説ありまして。 (1)本当はかれらは「見む」しか言ってない のに、書きとめる人は、当然彼らより身分が低いため、敬語表現に改めてしまい、妙な言葉遣いになってしまっている。 (2)かれらは本当に「ご覧ぜむ」と言っている つまり、自分が世の中で最も身分が高いため、自分のことも尊敬表現を使って表してしまう。 どうも、(1)の方が信憑性がありそうですが、時代が下るにつれ、(2)になっていった・・・ということも考えられそうです。 でも、今鏡の時代なら、平安時代ですから、やっぱり(1)の可能性が高いでしょうかね。

kakemegurutenn
質問者

お礼

回答ありがとうございます<(_ _*)>ぺコリ 自敬表現というのは 私もきいたことがあり、 少ししらべてみました。 尊敬語というのはおくが深いですね 適切なご回答ありがとうございましあ<(_ _*)>ぺコリ

その他の回答 (1)

  • kitasan2
  • ベストアンサー率41% (67/160)
回答No.2

 これは地の文ですから、単純に、作者が白河院に敬意を表すために使った尊敬語と考えればいいと思います。訳は、「(雪を)ご覧になろうとお思いになっていたところに、……」となります。引用句を表す格助詞「と」が使われているから、「 」でくくることが出来るとお考えかもしれませんが、白河院が発言した言葉ではありませんから、話し手は白河院ではなく作者となり、ここで尊敬語を使うのは別段変なことではありません。白河院に対しての敬意を表そうとしているために、敬語を使いすぎているという感じはありますが。

関連するQ&A