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質問者が選んだベストアンサー
これは、『孟子』の一節です。『孟子』は、『大學』『論語』『孟子』『中庸』という四書の一つで、注釈書も汗牛充棟な程あります。本統ならばそれを見て下さいという処ですが、このサイトの趣旨も勘案し、国訳(いわゆる書き下し文)と通釈をつけておきます。 出典 『孟子』公孫丑章句上(六)の末尾部分です。 この中で「之」と云って指しているのは「四端」です。「四端」は惻隠、羞悪、辞譲、是非の四つを云い仁義礼智の徳のはじまり(端緒)とされています。 (国訳) 苟(いやしく)も能(よ)く之(こ)れを充(みた)さば、以(もつ)て四海(しかい)を保(やす)んずるに足(た)るも、苟も之を充さざれば、以って父母に事(つか)ふるに足らず。 (通釈) <若しこの四端を十分に拡充して、仁義礼智の四端を天下に被(こうむ)らすならば>、四海の大も能く之を保んずることが出来るのであるが、若しそのことが出来ないとしたならば、たとえ父母の如き近親者に対して、間違いなく之につかえることはできかねるのである。 < >の中は「苟も能く之れを充さば」を説明した部分。 (語釈) 四海 四つの海。この場合は、いまで言う世界中くらいの意味にとらえておいてよい。 父母に事へる 儒教の考え方では、先ず父母(親)につかえることが一番はじめのことであった。従って、この場合は基本的なことすら満足にできないだろうくらいの気持ちである。 ご参考にならば幸甚です。
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- TANUHACHI
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回答No.2
態々と丁寧に出典元を記してあるのだから、図書館に行って『全訳 漢文大系』の該当巻や『岩波文庫』を紐解いてごらんなさい。 何でもネットで訊けば解決できるとお考えならば、それは安直で自ら勉強するとの姿勢を放棄していることと同じです。 情けないと思いませんか?
お礼
このサイトの趣旨を考慮していただいて、とても丁寧でわかいやすい回答をありがとうございました。 大変勉強になりました。 感謝いたします。ありがとうございました。